閑話 夢見る学生

第2話

「凄かったね」

「あれってやっぱり魔術だよね」

 ケイス・カーグが書庫塔――通称、黒の塔の扉に手を掛けようとしたその時、中から新入生らしき未だ幼さの残る学生達が吐き出されて来た。

 彼女等の話を推察するに、ガレハンヌの聖歌布(せいかふ)を見てきたのだろう。魔術院に入りたての頃は、自分も見る度に興奮したものだ、とケイスは沁々(しみじみ)と思った。時が経つにつれ、他の魔術に触れる機会が増えるにつけ、その興奮は薄れるものなのであるが、毎年、新しく学生が入る頃になると、こうして連日のように黒の塔が新入生で一杯になる。

 ガレハンヌの聖歌布とは、至宝と言われる歌布(かふ)の一つである。稀代の歌布職人、ガレハンヌの作と言われている。創世記を描いたそれは、光に触れると、光の加減により見る場所、角度で絵が違って見える不思議な歌布と言われている。しかもある一定の時間になると、絵が浮かび上がる事でも有名だった。天井近くに設置された布の影が、暗い床の上に立体的な絵となって動き出すのだ。

 その為、この時間になると新入生達がこぞって黒の塔に来るようになるのだ。

 ケイスは懐かしく思いながらも、塔の中に入って行った。

 中に入ると、先程までの喧騒が嘘のように静まりかえっていた。

 借りていた本を司書に返却すると、下位魔術を学ぶ者に許されるギリギリの階にまで昇り、天井を見上げた。

 塔の中心部は吹き抜けのように天井の硝子窓まで遮る物が無く、その壁一面を覆うように蔵書が収まっている。下から礎位(そい)魔術、低位魔術、下位魔術、中位魔術、上位魔術と階を隔てて収められている。その光景は一階の広間からも見てとれた。しかしその上にあたる高位魔術と最高位魔術の書だけは剥き出しにされておらず、外からは窺い知れない秘密の部屋の中にあるとされていた。が、高位魔術、最高位魔術を扱える者が共に少ないのと、彼等と気軽に言葉を交わす事の出来る者がケイスを含め彼の周りにはいない為、真偽の程は定かではなかったが。

 そして見上げた先――天井付近には、ガレハンヌの聖歌布がある筈だったが、ケイスがいる場所からではある事は分かっても、その姿までは、はっきりと確認する事は出来なかった。

 暫くそうして眺めた後、本来の目的である蔵書にあたる事にした。歌織(うたおり)に関する書物である。

 一般に、歌布を織る職人の事を歌布職人(かふしょくにん)と呼ぶが、歌織と呼ぶ事も多い。それは、歌布の製作過程を指す言葉でもあるという事をケイスも知識としては知っていたのだが、どういう事なのかは自身の目で見てみるまでは分かっていなかった。先日、生まれて初めて歌織を見る機会に恵まれ、初めてその本当の意味を知る事が出来たが、未だ謎は多かった。

 その歌布を手に入れあまつさえその製作過程を目にする事が出来たのもここに通っていたお蔭だった。あの日、今と同じようにここで歌布に関する本を物色していた時に、最高位魔術の位階を持つ聖賢(せいけん)魔導師の一人、ルフェナガルド・ターナクルスに声を掛けられたのだ。熱心だね、と。

「よう、ケイス、相変わらず熱心だな」

 数少ない歌織に関する書をやっと見付け出したケイスが、ふとルフェナガルドと出会った日の事を思い出していると、突然、声を掛けられた。

 ルフェナガルドに掛けられた言葉と同じ事を言われた為、空耳かと思った。

 気を取り直し、本を手に閲覧机に向かおうとしていると、また声がした。

「おーい、ケイス」

 再び呼ばれて、現実の事だと思い至った。キョロキョロと周囲を見回したが、それらしい姿は見えなかった。

 肩を竦め、聞かなかった事にして歩き出そうとした所で、再度声を掛けられた。

「ケイスってば、冷たいなぁ」

 その声にやっと階下から発せられた声だという事に思い至った。手摺から身を乗り出すと、声の主を辿って階下を見下ろした。

 しかし聞こえて来た場所には、誰の姿も見付けられなかった。

「何処を見てるんだよ。ここだよ、ここ」

 肩を叩かれ振り向くと、そこにはケイスの友人、イリス・ドルトンが立っていた。

「イリス、驚かせないで下さい!」

 胸を押さえ、大仰に訴えるケイスに、当のイリスはニヤリと笑ってみせただけだった。

 ケイスが優等生ならば、このイリスは劣等生と言えるだろう。決して頭が悪い訳ではないのだが、彼の場合、自身の興味にしか学習意欲が湧かないらしく、成績は常に低空飛行を続けている。

 しかしここは魔術院である。彼の入学時の魔力適性検査を信じるならば、その年に入学した人間の中で最も成績の良いケイスをも遥かに凌駕するものだった。

 とは言うものの、実際の所は自ら進んで低空飛行を続けているとも言えるケイスが、下位魔術の蔵書が並ぶこの階にいる事は、甚だ問題のある事だった。

「イリス、不味いですよ。君、未だ低位魔術を修得していないでしょう? ここにいるのが誰かに見られでもしたら、謹慎どころじゃすみませんよ!」

 ひそひそ声で慌ててイリスを階段に引っ張って行こうとするケイスに、イリスはニヤリと笑った。

「じゃーん!」

 そう言って見せたのは、章環(しょうかん)と呼ばれる院章(いんしょう)の付いた指環だった。

 章環は、魔術院に限らず様々な組織でも印として用いられている物だった。魔術院の章環にはそれとは別に鍵としての役割があり、寧ろそちらの方に重きをおかれていた。魔術を施された章環は、それを身に付けていなければ、院内はおろか、湖に浮かぶ魔術院が建っている島にすら入られない仕組みになっている。

「もしかして、低位魔術の試験に合格したんですか!?」

「おうよ!」

 章環の院章に付けられた模様の変化に気付きケイスが喜びの声を上げると、満面の笑みでイリスが答えた。

「じゃなきゃ、俺がここにいる訳ないだろう? 前の章環じゃあ、この階に昇って来る事すら出来なかったんだから」

 呆れたように言うイリスの言葉に、ケイスはやっと思い出した。章環は院内の出入りは勿論の事、ここ、書庫塔においても行動範囲に制限をかける物だという事に。

「にしても、やっぱり、いいな、新しい章環は」

「おめでとうございます」

 満足気に呟くイリスに、ふとケイスは先日会ったアークという歌布職人の事を思い出した。

 彼女が自分の事を魔術師だと見破ったのは、偏(ひとえ)にこの常に身に付ける事を義務付けられた章環故ではなかったのか、と。謎が解けてしまえば何という事もないが、正直、歌布職人の神秘の一つに触れた気がして喜んでいたのに、とがっかりしてしまう。

 そんなとりとめの無い事を考えていると、イリスに肩を叩かれた。

「俺、暫(しばら)くネウーゼを出ようと思うんだ」

 唐突にイリスが言った。寮の同室者として、報告しておこうと思って、と。

 一方、言われたケイスは、一瞬、何を言われたのか分からず、言葉を失った。

「え? それって、魔術院を辞めるって事ですか? でも君、今、低位魔術を修得したと言ったばかりじゃないですか。今辞めるなんて、勿体無いですよ!」

 イリスの言葉を理解するや否や、ケイスは慌てて彼を引き留めにかかった。

 実際、低位魔術を修得するのは難しい。

 ここネウーゼの魔術院で学ぶ魔術の学習段階には、礎位から上位まである。それはまたそのまま魔術師の位階となるのだが、位階各々に下級、中級、上級が存在する為、その位階を名乗るには、その位階を習得しなければならない。礎位魔術の課程だけは、魔術の基礎的な事を学ぶだけである為、魔力の適性がある者にならば簡単に修得出来るが、そこから先に行ける者は、実のところ、格段に少ないのだ。魔術師の資質に欠ける者は、この段階で魔術院を去って行く。

 故に今イリスが院を去るのは殊更ケイスには残念に思えた。

「ちょっと待て。俺は、“暫く”ネウーゼを離れる、と言ったんだ。“ずっと”じゃない」

 子供に教えを授ける教師のように、一言一言ゆっくり告げると、ケイスの顔が明らかにほっとした物に変わった。

「じゃあ、辞める訳じゃないんですね?」

「おうよ。当たり前だろう。折角、低位魔術を修得したばかりなんだぜ? 最終的には中位魔術くらいは修得しなきゃな」

 笑顔で述べるイリスに、ケイスは乾いた笑いしか出せなかった。

 何と欲の無い事か……。

 成績こそ自分の方が遥かに上ではあったが、その才に限って言えばイリスの方が遥かに上をいくというのに、とケイスは苦々しく思った。教師達が常から嘆いているのも頷ける。やる気さえあれば、と教師達も零(こぼ)していた。

「で、何処に行かれるんですか?」

 半ば呆れ、おざなりに尋ねると、分からないという返事が返ってきた。

「分からないとはどういう事ですか? 自分の事でしょう?」

「まあ、そうなんだけど。うーん、向こうでの事情による、かな?」

「ふうん。まあ、君が決めた事ですからね」

 そう言いおいて立ち去ろうとしていると、イリスがとんでもない事を言い出した。

「魔獣討伐に行くつもりなんだ」

「……今、何と仰いました?」

 ケイスが驚きに目を剥くと、イリスが続けた。

「最近、コーラル砂漠で魔獣騒ぎが頻発しているらしいんだ。そこで今度デルゼネートが討伐隊を出すって話なんだ。それが何とあの、黒の騎士団なんだぜ」

 声を落として告げるイリスの顔は、何時になく真剣その物だった。

「何処でその話を聞いたんですか?」

 話の真偽を確かめようと尋ねると、教師達が話しているのを立ち聞きしたのだと答えた。立ち聞きする方もどうかと思うが、好奇心旺盛な学生が沢山いる院内で、そんな話をしていた教師等の迂闊さにも溜め息が溢れた。

「魔術院(うち)からも、魔術師(ひと)を出すって話らしいぞ」

 何かを期待するかのようにそこで言葉を切ったイリスに、ケイスは言った。

「魔術師を出すのは分かりましたが、間違っても君や僕のような学生が駆り出される事はありませんよ」

「分かってるって。だから、勝手について行くんだよ」

 今日これから出発してシーバル海峡を挟んでネウーゼに隣接するデルゼネートの海岸線に位置する宿場町ジャフネで、魔術院に訪ねて来ている黒の騎士団の帰りを待つのだと言った。

「忘れているかもしれませんから言っておきますが、無断で院を出たら、最悪、退学になりますよ」

「大丈夫。一応、家族が病気だからって、院には帰省届けを出して来た」

 そこまで根回しされてしまうと、最早ケイスには引き留める材料は思い浮かばなかった。

 だが、イリスのやろうとしている事に賛成している訳ではなかった。寧(むし)ろ、反対である。退学云々以前に、魔獣討伐に対して反対なのである。ましてやデルゼネートの黒の騎士団が関わる事に、友がついて行く事に反対だった。危険過ぎるのだ。ただでさえ危険な魔獣討伐に、噂に名高い黒の騎士団が関わっているとなると、かなり危険な魔獣であると推測された。

 院に来た当初から将来は魔獣討伐専門の魔術師になると言って憚(はばか)らなかったイリスである。実戦に出てみたくて仕方がない気持ちも分からないではない。

 けれど……。

「大丈夫、危険な事はしないから。と、言うよりしないと約束させられたから」

「約束?」

 怪訝に思い問い返すと、意外な人物の名を告げられた。その人物に相談した上での行動であるとも言った。

「だから退学の心配は一応無し。問題は、一緒に行く事になる魔術師を説得しなくちゃならない事だけなんだよなぁ」

 そう言ってぼやくイリスの顔は、言葉とは裏腹に期待に満ち溢れたものだった。

「くれぐれも怪我等しないようにして下さいね」

 ケイスはそう言うと、無理矢理ついて来られる事になる魔術師に祈らずにはいられなかった。

 イリスを魔獣から守ってくれますように、と。

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