歌織記

きり

序章 歌織職人

第1話

 そこは、路地裏に建つ小さな店だった。初めて来た人間には、そこが店だとは分からないくらいにちっぽけな店だった。

 表通りの喧騒が嘘のように静まり返ったその場所に、男が一人立っていた。未だ少年と呼べる程の若い男だった。

 男は看板の無い店の前を何度も行き来した後、やっと決意したかのように店の扉に手を掛けた。

 しかし彼の決意も虚しく、中に人のいる気配は無かった。そもそも店と言うわりに、商品らしい商品が一つも見当たらないというのも可笑しい。

 騙されたのだろうか。

 ここへきて初めて、男は自分の判断に自信が持てなくなった。

 探していたのは、元々、噂程度でしかない店だった。しかも、偏屈を地でいく老人が営んでいるとも聞いていた。もし店に辿り着けたとしても、店主に気に入られなければ、話す事すらままならないという話だった。

 男は肩を落として購入を諦めると、そそくさと店を出て行こうとした。

 するとその時、聞き慣れない音を耳にした気がした。店――と呼べるのか甚だ疑問ではあるが――の奥から微かにではあるが、音がしているのだ。木を削るようなその音に誘われるまま、男は店の奥に歩みを進めた。

 そこで彼が目にしたのは、老人と言うには明らかに無理のある若い男の後ろ姿だった。背中の中程もあろうかと思われる艶やかな明るい栗色の髪を無造作に後ろで一本に縛り、椅子に座って何かを作っているようだった。

 老人だとばかり思っていた人物が、思いの外若かった為、男は声を掛けるタイミングを失った。

「何の用だ?」

 背中を向けたまま店の男は言った。その声に客の男は一瞬、違和感を覚えた。年若いにしても、男にしては声が女のように高過ぎる気がする。

「用が無いなら、帰ってくれないか」 

 答えぬ男に苛立ちを隠そうともせずに、店の男が言った。

 否。若い男でもなかった。大仰に振り向いたその顔は、女のそれだった。男物のゆったりとした服を着ていた上、男――それも老人だと聞かされていた先入観故、そうとは気付かなかったのだろう。

「あんたと違って暇じゃないんだ。用が無いなら、帰ってくれ」

 疲れたように机に手を突き、女が言った。机の上には、センと言う両手引きの刃物と、何やら製作途中の木塊が載っている。

「いえ、用ならばあります」

 我に返り、慌てて言葉を紡ぐ。アークと言う職人を訪ねて来たのだと告げた。

「どういったご用件で?」

 しかし女は慇懃に問い返しただけで、目的の人物を呼ぶ気配すら全く見せなかった。

「それはアークさん本人に直接言います。アークさんを呼んで下さい」

 自分が客だと思い出した男は、彼女の問いを無視すると、己の言いたい事のみを告げた。

「……アークは私だが?」

 部屋の温度が下がった気がした。 

「貴女がアーク?」

「いかにも」

 冗談だろうと畳み掛けると、あっさり肯定されてしまった。形勢が不利だという事だけは分かった。アークは確かに男名だが、氏とする者もいないわけでは無い。

 とは言え、男はやっとの思いで捜し出したアークなる人物を前に、安堵の笑みを浮かべた。

 だが、そんな男の様子に何の感銘も受けていないらしい件の人物を前に、男の笑みが歪んで消えた。先程から全く上手くいっていないやり取りに悪態を吐きたくなる。

 しかし、研究の為には是非とも欲しい。駄目で元々、と心を決めた。

「僕に歌布(かふ)を売って下さい」

「……いいだろう」

 矯めつ眇めつ男を無遠慮に見詰めた後、彼女はあっさりと了承の言葉を述べた。

「……本当に、いいのですか?」

 余りにあっさりと承諾されると、却って信じられないものらしい。男の警戒するような言葉に、彼女は苦笑を浮かべた。

「商売だからな」

 言いながら立ち上がると、男がついて来るのも確かめずに先程男が通って来た店内へと入って行った。

「さて、どのような生地をご所望で?」

 男が店に戻るのを見計らい、彼女は帳台の引き出しから帳簿を取り出し、ペンを握った。それをインク壺に浸すと、早速尋ねた。

「どんな物でも良いのです。兎に角、歌布が欲しいのです」

 急いたように告げる男に、彼女はペンを置いた。

「……売れないな」

 溜め息を吐くと、出していた筆記用具を元あった場所に仕舞い始めた。

「売ってくれると言ったじゃないですか!」

 男に構わず店の奥に戻ろうとする彼女に、慌てて声を掛けた。

「商売なのではないのですか? 一度は売ると言ったのに、その言葉を翻すのですか!?」

 詰め寄る男に、彼女は冷笑ともとれる笑みを浮かべた。

「用途の分からない布は織りようがないんでね。悪いが他所を当たってくれないか」

 言って再び背を向ける彼女に、男は肩を掴んで引き止めた。

「態々織らなくとも良いのです。端切れでも構いません。お願いです。譲って下さい!」

 彼女は必死の形相で頼み込む男の目をひたと見据えた。

「そもそも魔術師様に私の布は必要無いと思うのだが?」

 片眉を上げてみせると、男は熱い物にでも触れたかのように、掴んでいた手をぱっと放した。

「何故私が魔術師だと思うのですか?」

 不思議に思い男が尋ねた。今日は魔術院の制服ではなく、私服で訪れているのに、何故そう思うのだろうかと。

「ここは天下の魔術大国ネウーゼだ。石を投げたら魔術師に当たると言っても過言じゃない。そうだろう?」

 と、逆に問われ納得は出来ないものの、男は頷くしかなかった。

「では、何故歌布が必要で?」

 黙り込む男に、彼女は言葉を変えて尋ねた。 

「魔術師に歌布等必要なかろうに」

 答えぬ男に溜め息を吐くと彼女が呟いた。

「生憎、うちは注文が来て初めて布を織る。故に端切れ一枚も無いというのが現状でね。……って、それくらい教えておいてくれよ、ルフナ」

 と、彼女は最後の一言を男の背後に向けて告げた。

 男が驚き振り向くと、そこには何時姿を現したのか、彼女よりも幾分年上の男が悪びれぬ様子で立っていた。

「タ、ターナクルス様!?」

 客の男は飛び上がらんばかりに驚くと、帳台にしがみついた。彼こそが、男にこの店を教えた人物だった。男にとっては雲の上の人物で、こうして対面するのもこれが二度目でしかなく、驚くのも無理はなかった。

「すまん、すまん。でも、まさか本当に歌布を手に入れたがっているとは思っていなかったんだ」

 ルフェナガルド・ターナクルス――ルフナと呼ばれた男は言いながらぽんぽんと動揺している男の頭を軽く叩くと、帳台に手を突き彼女に顔を近付けた。

「で、本当に売るつもりはないのか?」 

 ルフェナガルドがにやにやとひとの悪そうな顔で笑いながら尋ねると、彼女は降参と言うように両手を挙げた。

「本当に魔術師の役に立つとは思えんのだがな」

 本当に欲しいのならば、用途を教えるように、と再び告げた。

「ん? やっぱり歌布は要らないのかい?」 

 尚も困ったように口を閉ざしたままの男を前にして、今度はルフェナガルドが彼女に加勢する。

「すまなかったな。うちの生徒が仕事の邪魔をしたようだ。……ところで忙しいところ悪いが、茶でも飲ませてくれないか?」

 喉が渇いて、と言いながらルフェナガルドは彼女の肩を抱き店の奥へと誘う。

「ま、待って下さい!」

 ルフェナガルドに促されるまま店の奥に戻りかけた彼女を男の声が引き止めた。

「研究に……僕は、ガレハンヌの聖歌布(せいかふ)の研究をしているんです」

 次第に小さくなる男の声に、彼女はあしを止めた。

「ガレハンヌの聖歌布? そんな物の研究をするような奇特な人間が、今時魔術院にいるとは驚きだな」

「魔術師は常に真理を求めて止まぬ生き物よ」 

 気取って言うルフェナガルドに、彼女は苦笑を浮かべた。

「それで私の歌布が欲しい、と?」

「ええ。歌布の構造が分かれば、聖歌布作製の手掛かりになると思うんです」

 意気込む男の顔は、希望に満ちていた。 

「聖歌布ねぇ……」

 と呟き、彼女は帳台の引き出しから調律用の共鳴棒を取り出すと、それを無造作に台に打ち付け男の目の前に翳した。その響きを見るかの如く虚空を見据えた後、今度は店の奥に入って行った。

「我々も行こうか」

 ルフェナガルドに促されるまま、男が続いて部屋に入ると、彼女が棚から竪琴を取り出しているところだった。見ると先程作業していたその部屋の棚には、多数の竪琴が並べられている。

 そんな竪琴の一つを作業台の上に置き、一旦外に出た彼女が水の入った桶を持って戻って来ると、足元に置いて椅子に腰掛けた。

「時にお客人、幾らまでなら出せる?」

 竪琴を構え、いざ弾くばかりの体勢になった彼女が、ふと顔を上げた。

「幾らまでなら払えるんだい?」

 答えない男に彼女に代わってルフェナガルドが後押しする。

「え、あ、二万ギナールまでなら、何とか」 

 我に返った男の言葉を聞いた二人は、渋い顔になった。

「たったそれだけ? それじゃあ、ハンカチ一枚にも満たないぞ」

 ルフェナガルドの言葉に、男は顔を赤くして俯いた。歌布が高価な物だという事は知っていたが、二万が今彼の出せる精一杯の額だった。

 そんな男に呆れた顔をしてみせるルフェナガルドの頭を彼女が無言で一つ叩いた。

「痛っ!」

「端切れでも良いと言ったな」

 彼女の言葉に男が頷くと、痛いと騒いでいるルフェナガルドを無視して弦を掻き始めた。しかし、忙しく動く指に反し、弦は何の音も発しなかった。

 男が訝しんでいると、それは起こった。弦に呼応するかのように、彼女の足元にある桶の水が揺れ始める。シャランシャランと細い氷柱がぶつかり合うかのような音が響き、それが音を奏で始めた。すると突然、水が細い一本の糸になり、弦に巻き付き始めた。

「始まったな」

 子供のように不平をぶちまけていたルフェナガルドが、目を輝かせて言った。その興奮が男にも伝わり、知らず両手に力が入る。その間にも糸と化した水はするすると耳に心地好い音を奏でながら弦に巻き付き、ついで弦の先から布と成って吐き出されていく。これが歌うと表される歌布織りなのかと、男は息を呑んだ。

 そうして布が子供の掌程の大きさになると、突然、彼女は手を止めた。弦に巻き付いていた水が、桶の中にピチャリと跳ね落ちた。

「悪いが二万だとこれが精一杯だな」

 そう告げて出来上がった歌布を男に差し出した。

 歌布を受け取った男は、物珍しそうに布の表面を指先で撫でた。向こうが透けて見える程薄い布は、ツルツルとしていて貴婦人が好んで着るドレスのような光沢を放っている。恐る恐る両手に持って引っ張ってみたが、しなやかなその布が損なわれる事は無かった。これが先程まで水だったとは、その工程を見ていた男自身にすら俄には信じ難かった。

「二万ギナール」

 耳元でそう告げられ飛び上がりそうに驚いた男の傍には、満面の笑みを浮かべたルフェナガルドの姿があった。

 男が慌てて懐から取り出した巾着を逆さに振ると、銅貨がじゃらじゃらと帳台の上に落ちた。

 しかし彼女は銅貨をきっちり半分にだけ受け取ると、残りは全てを男に返した。

「でもそれじゃあ……」

 男の視線の先には先程歌布を織るのに使った竪琴があった。それは水を吸い、半ば腐りかけた木塊に成り果てていた。歌布が高い理由の一つに、この歌布を織る際に使用する楽器の消耗の激しさがあげられる。男も知識としては知ってはいたが、実際に目にしたのは初めてだった。

 恐縮し受け取ろうとしない男に、彼女は苦笑を浮かべ、男に渡した歌布に触れた。

「歌布とは言え、こいつには殆ど魔力を込めていない。だからこの値段で充分」

 笑って答える彼女に、男は安堵の笑みを浮かべ礼を述べると、今度こそ意気揚々と店を後にしたのだった。

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