08 絶望の終わりは幸せの始まり
晴寄は、帰宅途中に彼女がつけてきているのは気づいていたが、何をするでもなくそのままにして玄関の前で待っていた。
壁に身を預け、余裕ぶった態度で自分を待つ男を見た花宮は、一瞬だけだが歩幅を狭め、平然とした瞳の裏に警戒心を潜ませ近づいてきた。
「何の用でしょうか、花宮さん」
「体はもう良くなったみたいですわね、私はただ、そこで少しお見かけしたのでお見舞いを言いに来たのです」
「わざわざご丁寧にありがとうございます」
あくまで、ただ見かけたから声をかけただけ、という振りを装って、花宮は平然とした顔で晴寄の問いに答えた。
会話がプツリと途切れる。しかし目と目の間には静かに火花が散り、相手の出方を疑っていた。
「
「ええ、そうですね。最近は白羽さんに心を開いていただけているようで」
「それは、教師として良い行いとは思えませんわ」
「
「……! だから、私は教師として、と……」
「僕は来年、教師ではいないでしょう。それに、白羽さんは転校をお望みです」
わざと花宮の怒りを煽る。
晴寄も花宮に負けるほど子どもではない。目立ちはしないが、あの引きこもりであった白羽を丸め込み、一度登校させたほど舌が回る男である。
それを花宮は見誤ったのだ。
「あぁそれと、白羽さんの証言をもってすれば、黒住家に火をつけた犯人は真っ先に君たち花宮家だと疑われるでしょうね。
これ以上自分たちの信用を落とすような真似はしたくないのでは? まぁ、僕には誰かということまで分かるほどの脳みそはないのですけれど」
子どもの首を捻るように、反論の余地を与えない言葉の責め苦。
ただの中学生が彼に敵うはずもなかった。
「早く行ってしまえばいいのですわ! あんな女! そして、どこかで野垂れ死ねばいいのですわ!
憎悪の黒で澱んだ涙が、花宮の両瞼から滴り落ちた。負け犬の遠吠えも相まってそれは酷く惨めだった。
「僕には君の憎悪など分かりませんが、一つ言えるのはそんな小さなことにとらわれず、未来に生きろということです。
君はおじの不幸な死を掲げて征服欲を満たしているだけに過ぎない。だから、さっさと家に帰って明日提出の宿題をやるべきですよ」
花宮はぐっと唇を噛んで晴寄を睨み、来た道を走っていった。
晴寄は目だけでその背中を追い、彼女が見えなくなるまで外で立っていた。
疲れが後から沖から迫ってきた波のように押し寄せてくる。
ふらりと足を踏み出してマンションのなかへ入る。
ほぼ機械的に暗唱番号通りのボタンに指を滑らせ、帰り着いた部屋の玄関先に座り込んだ。
ふう、と息を吐く。虚ろになった眼を天井に向け、ぼんやりと思考する。
そうしていると、珍しく思いついた名案があった。
闇のなかで暗く澱む顔に微笑を浮かべ、彼は携帯を開いて電話をかけた。
.*・゚
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「どうして、うちなんですか!」
指定時間きっかりに来た晴寄に、川相の罵声が浴びせられた。
わざわざ玄関まで迎えに来た川相の今の姿は、学校で来ていた若干フォーマルな格好の上に腰エプロン姿。つまり、夕飯づくりの最中だったのだ。
廊下の向こうでは、ひょこりと長い黒髪が覗いている。
「いやぁ、仕事疲れの上に花宮なんて悪童の相手をしなきゃならないなんて聞いていない話ですよ。ご飯を作る気にならなかったので、白羽さんの顔を見るついでにご飯をと」
さらりと意地の悪い笑顔で愚痴を漏らす晴寄に、川相が呆れたため息を吐き、さっさと上がってくださいと声をかけた。
晴寄は最初に謝ってるじゃないですかぁ、と情けない声を漏らしながら靴を脱いで上に上がり、勝手知ったる顔で手を洗い、白羽のいるリビングに向かった。
「勉強は捗っていますか? 白羽さん」
「は、はい。もちろんです」
「花宮さんなら、今後手出しはしてこないと思われますよ。まぁ、もし次があれば白羽さんの証言で花宮家に矛先を向けることができますけどね」
「そうでなくても、十中八九花宮家の関係者でしょう? 他になにがあるってんですか」
川相がキッチンからそう声を飛ばしてくる。
しかし、それは断言できない話であった。首謀者は花宮だとしても、その話に感化されて白羽を虐めていた人間はいくらでもいる。だが、同時に花宮が黙れば周りも黙るだろうと晴寄は確信していた。
元はといえば、ほとんど迷信のような話だ。一〇〇%それを信望している人間がいるようには思えない。
さらに言えば、白羽はそのうち引っ越すことになる。そうなれば、誰も追いかけてはこないだろう。
これらのことから、晴寄は問題は解決したと大いに気を抜いていた。
「ほんとあなたという人は、人生の倍は生きてるんじゃないんですか? その理論でまさか、校長含む先生方全員の口を止めてしまうんですもの」
脱力しきった晴寄の語りにそう返し、内心ヒヤッとしましたよ、と川相がぼやく。
しかし、そんな彼女の言葉に返ってきたのは軽い笑い一つだった。
「まぁまぁ、あの入院生活は思考する時間が多かったものでしてね。この道筋まできちんと織り込み済みです」
ただ例外があるとすれば、と晴寄は白羽の頭を撫でる。急に撫でられた白羽はびくりと肩を震わせ、照れくさそうに晴寄を見上げた。
「君が僕を好きになってくれたことでしょうか、白羽」
川相が呆れて肩をすくめるのを見向きもせず、仲睦まじい二人は肩を並べて出される料理を待つのであった。
〔了〕
春花のヒバリ 紫蛇 ノア @noanasubi
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