06 晴寄耕也の推察

 晩春の侯。

 病院で入院生活を送っていた晴寄はれよりの元に、黒住くろずみ家全焼の知らせが届いた。やはりな、と嘆息をついた晴寄は、その知らせが書かれた手紙を少しだけ握りしめて床頭台に置く。

 白羽しらはは今、川相かわいの家に匿われている。元気にしていると、たまに見舞いに来る川相は少し呆れ顔でそう言っていた。

 その話は当然白羽の所属する中学にも連絡が入っている。つまり、忌み嫌われている白羽が川相の家にいるという事実は、職員室全体に知れ渡っているということだ。それを聞いたとき、晴寄は真っ先に川相の立場を気にしたが、彼女のある程度の技術が必要であり、主要な科目でもない音楽教師という担当役割が幸いし、何も言われず普通に仕事ができているらしい。

 そんなこんなで、白羽は川相の家で引きこもり生活を続けている。しかし、前とは違い全く動かずすみに座り込み、遺骨の入った骨壷を大事そうに抱えているらしい。それは、それなりに理解している川相にとっても少し気味の悪い事象だそうで、どうしたらいいのかと首を振るばかりであった。

 その話を聞いた晴寄はふと、なぜ、枝を切って欲しいと願うほど嫌っていた祖母の遺骨を、それと知って大事にしようとするのか、と首を傾げた。その疑問を投げかけられた川相は知らないわよ、とあきれ顔で返したのは当たり前の話である。

 人は、相手の考えていることを全て感じ取れるわけではないのだから。

 しかし、その絡まった糸を解き終わるのに、入院生活というのは長すぎた。

 一週間という、――彼には長いときの末、ある程度想像がついてしまったのだ。


「まぁ、答え合わせをするのは、ここを出てからでしょうね……」


 誰もいない病室で、晴寄は独りごちる。まだ暗闇はある。しかし、それは恐らく彼女に会って少し話せば恐らく晴れるだろう。

 ふっと見上げた窓の外では、晩春を彩る桜の花びらが温かい吹雪と化して吹き荒れていた。


 .*・゚

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 白羽は、ただ黙って骨壷を抱えていた。

 もちろん、食事を与えられれば食べたし、風呂に呼ばれれば機械的に入って出た。睡眠もそのままとっていたし、抱えたままトイレにも行っていた。

 必要最低限な人間の生活は送れていた。

 だが、問題はその心だ。白羽の心はどこかが決定的に壊れていた。


「そろそろ、あの人が帰ってきてもいい頃なんだけど……」


 そんな白羽の姿を見ながら、川相は窓の外を眺める。今日が退院日だと、一昨日の昼に手紙が届いた。

 なんて古風な人なのだろう、そんな連絡くらい携帯でいいじゃないか、川相はそう思ったが、おそらくこれを彼女が白羽に見せているのを知ってのことなのだろう。

 粋な計らいではあるし、同時によく彼女のことを考えているなぁと感心する。

 川相が彼女にできることと言ったら、人間らしい生理的欲求を満たしてやることくらいだ。

 不意に、ろろろろ……という音を立てて、黄色いタクシーが家の前に止まった。

 川相はふっと笑みを浮かべて降りてきた人を迎えに行く。


「ただいま……という所でしょうか……」

「はいはい、おかえりなさいです。あなたの大切な小鳥が、待ちわびていますよ」


 容量を得ない晴寄の言葉を華麗にスルーし、道を開けてやる。晴寄はどこか恥ずかしそうに笑いながら、家の中に入っていった。


「……白羽、さん」


 部屋のなかで蹲る黒百合が一輪。

 低い声が部屋に響くと、虚ろな目をくらりと晴寄に向けた。


「晴寄……先生」


 小さな掠れ声が耳に届く。

 久方ぶりに見る白羽の姿は、酷く痩せて見えた。

 川相に聞いてはいたが、ここまでかと少し驚きながら、彼は彼女のもとへ歩み寄っていく。

 左手を後ろに回した彼の背中では、隠しきれない小袋がその後ろで揺れていて、それが白羽の黒い瞳にも映っていた。

 晴寄はその視線に気づき、苦笑する。そして、やはり隠すことは難しいですか、と困ったように眉を下げた。


「その、袋は?」

「もう少し、恰好よく話そうと思っていたのですが……」


 イタズラを見破られた子どものような、悔しさに溢れた言葉を発しながら、晴寄は後ろ手に回していた左手を前に持ってきた。

 晴寄が一番初めに取り出したのは、一枚の写真――幼い白羽が写ったあの家族写真だった。


「こ……れは」


 白羽の大きな目の下にある小さな瞼が大粒の涙でいっぱいになる。白羽は、漏れ出そうになる嗚咽を堪えようと、右手で口元を覆った。

 祖母の全てを憎んでいるのではないという更なる確証ができ、晴寄は少し安堵のため息を吐いた。晴寄自身、可も不可もない一般家庭で育ってきた身であるので、やはり祖母を嫌う孫の姿を見るのはどこか辛かったのだ。

 晴寄はその口元に優しい笑みを浮かべて、白羽に写真を見つけた経緯を語る。


「骨壷の裏にあったのを見つけてしまい、ずっと返しそびれていました。

 けれど、その写真は僕に考える機会をくれました。桃花さんのお子さん、つまり君のお父さんとお母さんはなぜ、今の白羽さんのような状態に陥っていないのか、もしくはその状態になってまで、なおも元凶である母をこうも愛せるのか。そんな疑問です。

 普通は、初めて会ったときの君のようになっていたはずです。ですが、その写真の笑顔は本物だ。

 その疑問は、僕の認識に矛盾が生じさせました。桃花さんが元凶であるならば、一体いつからなのか、違うのであればどのような理由で白羽さんを貶めようとしているのか。この一週間の入院生活で考えていました。

 そこで、分かったことがいくつかあります。

 まだ、確証は得ていませんが……」


 なんとなくです、と晴寄は苦笑を深くする。それは、自分が他人事に首を突っ込みすぎていると改めて理解したためであった。

 しかし、その苦笑いはあくまで柔らかく和やかで、白羽に不快感を感じさせなかった。

 彼女は涙の溜まったその大きな目で晴寄を見つめ、こくりと唾を飲んだ。


「君を貶めている主犯、というより元凶といったほうがいいですね。

 その人の名は、花宮麗衣、彼女ですね」


 ぼろりと音を立てるかのように大粒の涙が頬を伝う。白羽がひゅっと息を飲み、大きくその目を見開いたのだ。


「晴寄先生、あなたで良かったです」


 一言。白羽は言葉を紡いだ。少し掠れてはいるけれど、とてもはっきりとした口調で。

 予想もしていなかった言葉選びに、晴寄は少し目を開いたが、言葉の続きを促した。


「黒住桃花、私の祖母はとても美しい人でした」


 彼女は、涙をそぎ落とすように薄らと目を閉じて、あまりにも短く醜悪な物語を語り始めた。

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