第31話 アリストロシュを守りなさい
「アリス!」
ルカはとっさに後ろから腕を伸ばしていた。短剣を握っている彼女の手を、上から包み込む。
「魔術式、起動!」
ルカは彼女の手ごと掴んで短剣を振るった。光の粒が線を形どって壁となり、魔術具はアリスに届く寸前に遮断された。地に落ちていく布を見つめながら、彼は悔しげに声を上げた。
彼はアリスの魔術に捕らえられていて、目元を押さえながらふらふらとしていた。
「目、が……」
彼は舌の回っていないような声で呻いた。寸前でアリスの魔術を防御したのか、意識はうっすらと残っているようだ。しかし眠りに落ちるのは時間の問題で――――シャルルは腕を持ち上げると、もう片方の腕に爪を立てて強くひっかいた。
薄皮が引き裂かれて、五本の筋がくっきりと浮かび上がった。痛みで強制的に覚醒させたのか、彼は荒々しく息を吐く。
「ぐ、っ」
「アリスを魔術具じみた身体にしたのはシャルル、おまえか?」
「……だとしたら、どうだって……言うんですか」
シャルルは瞼が痙攣するほどの眠気に襲われているのに、ルカの言葉を聞くや否や無理やり口角を上げた。布がシャルルの手元に帰って、もとのネクタイへと姿を戻す。ルカは「そうか」と短く言っただけだった。彼の目も見ずに小さく呟くと、ポケットの中に手を突っこんだ。
「……っ!」
シャルルは後退しながら靴で床を叩いた。氷の矢を作り出すのは彼の気に入りの魔術らしく、手馴れた様子で魔術式を起動させた。ルカは防御するべきか迷って短剣を見遣ったが、柄に埋め込まれているガーネットはすでに砕け散っていた。舌打ちをする。ポケットからブローチを引っ張り出してきた。
いつの間にか上手く呼吸ができるようになっている――――ルカは身体を起こした。片腕でアリスの腕を引き、抱き留める。彼女は驚いたように短く声を上げたが、腕の中にすっぽりと収まった。
「魔術式、起動」
氷魔術に対抗するなら炎がいいだろう、とルカは思うが生憎コントロールが特に不得意な分野だった。ならばと選んだのは水に関わる魔術だ。アクアマリンをはめ込んだだけの簡素なデザインのブローチを手に握りこみ、ルカは詠唱した。
二人の魔術は宙でぶつかりあって相殺される。氷の矢は水に溶け、水もまた凍り付いた。間髪入れずにシャルルは別の魔術具を取りだしてきた。ルカもまたポケットから新しい宝石を取りだした。
手数を揃えることの重要性を唱えたのはルカで、かつて彼の弟子であったシャルルもまた忠実に従っていた。互いに手数では退くつもりがなく、勝敗がつくとすれば油断したときか、折れたときくらいだ。
もしルカが万全の状態で、覚悟も決まっていたなら話は違ったのかもしれないが、少なくとも今は泥仕合にしかならない。
「アレヴィ!」
未だ結界の外から攻撃を仕掛けているエリアスが手を振り上げた。ルカは一瞬だけ視線を遣るが、応える余裕がない。するとルカの腕に収まっているアリスが軽く身をよじった。
アリスは身を乗り出すと、エリアスの方へと手を伸ばす。血のこびりついた指先がエリアスの身体を捉えていた。
「――――っ」
アリスは息を止めた。二人の足元に魔法陣が現れた。白い光が陣を満たしたかと思えば、目が潰れそうなほどの閃光がほとばしって、ルカの目の前を一瞬で駆け抜けていった。遅れて響いたのは轟音だ。耳を貫いたそれが雷鳴だと気づいたのはもう少し経ってからだった。
シャルルが言葉につっかえた。彼の結界に大穴が空いていて、薄く煙が昇っていたのだ。
一部始終を見ていたはずのエリアスもまた呆気に取られていたが、身体を震わせて我に返ると、掴んでいた棒状の何かを見せつけた。
「アリスちゃん、見てて若干引いたけれどよくやった! これを!」
彼が手にしているのはルカのステッキだ。口を動かして詠唱すると、ステッキは粒子となって忽然と姿を消した。次に現れたのはアリスの目の前だった。
「わ、あ!」
アリスは慌てて両手を突き出しステッキを抱きとめた。
「二人とも、行け!」
塞がる結界の穴の向こう、エリアスは叫んだ。アリスはステッキを握りしめたままルカを見上げていた。不安げに揺れる瞳は答えを求めている。ルカは魔術具を操りながら視線をさ迷わせた。
ステッキさえあればすぐにでもここから脱出できるが、連れていけるのは精々一人――――今触れているアリスくらいだ。
ルカははっと振り返った。ジュリエットの前にはエマが立っていて彼女を守っていた。エマは身体のいたるところに傷を作っていた。頬にも赤い筋が刻まれていた。
息を呑むと、エマは何度も首を振った。――――それでもこのまま置いていけない。今この場を離れればシャルルの敵意がどこへ向けられるかわからない。ルカはゆっくりと瞬きをしたがジュリエットが叫んだ。
「行きなさい!」
彼女は指を胸の前で組んだ。
「アリストロシュを守りなさい! きっと、きっとよ。それが多くを守ることになるのだから!」
彼女は迷うことなく言い切った。澄んだ瞳だった。ルカは何か言おうと口を開くが、彼女の目を見ていると何の言葉も出てこなかった。唇を噛んで俯く。そしてアリスの手からステッキを取り上げた。
アリスの身体を強くかき抱き、ステッキを握ると床を二度叩いた。
「……魔術式、起動! エリアス、エマ、悪い!」
「いいから黙って任せておきなさい!」
「先生、わたくしたちはそう簡単に負けませんわ!」
魔法陣に白い光が巡っていく。ルカとアリスは一瞬にして姿を消した。
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