第27話 おまえは、誰だ?

「せめて誰か一人でもいれば――――」


 ルカは顔をこわばらせながら、苦し気に呟いたが、口に出してみたところで状況は変わらなかった。今期待するのはやめよう、と小さく首を振り、ルカは前を見据える。短刀を握る手に力を込めながら、ズボンのポケットに手を添わせた。


 昔からずっと一人で戦ってきたのだ――――今さら恐れることなど何もない。


 ルカは言い聞かせるように心の内で呟き、ポケットの内側にあるいくつかの魔術具を指でなぞってから、すっと息を吸った。全身の血を頭の先から爪先まで巡らせるように、魔力をいきわたらせる。


 左手をわずかに上げて、ジュリエットに合図を送る。彼女からは小声で返事があった。


 攻撃のために一瞬結界を消そうと短刀を振るった。しかし切っ先が線を描ききるより早く、人混みのなかから声が上がった。


「先生! すみません、お待たせしました!」


 扉の近くで手が高く振り上げられ、ゆらゆらと動いている。ルカは短剣を振り切る寸前のところで、ピタリと手を止めた。


「ライアンか!?」

「はい、今戻りました!」


 彼はざわめきを押さえ込むような大声で叫ぶと、人混みをかき分けるようにして駆けて来た。


 彼が速度を落とさずに突っこんでくるのを見て、ルカはタイミングよく短剣を真横に薙いだ。傷のついた革靴がルカの横を通り過ぎていったのを見計らって、結界を修復する。


 ふーっと息を吐くライアンに、ルカは腰に手をやった。


「おまえ、いつ弾が飛んでくるかも分からない状況で、よく生身のまま走ってこられるな……」

「今ちょうど止んでたので大丈夫かなあって。そんなことより先生、遅くなってすみません。今からですけど手伝います」

「エマは?」

「ちょっと体調が悪かったみたいで、外の庭園にいました。コルセットの締めすぎかもって言ってましたよ。夜会が終わるまで外にいるそうで、そこで別れました。……でも俺本当にびっくりしたんですからね。帰ってきてみたら広間は大混乱しているし、先生は戦ってるしで!」


 ライアンは早口にまくしたてる。ルカは苦笑いを浮かべてから一歩前に踏みだした。


「戻って早々に悪いが、俺は結界の外に出て遠距離から迎撃する。おまえは俺の代わりに結界を維持してくれ。それから弾が飛んで来たら、俺の前にも結界を張ってほしい。できるか?」

「いきなりで完璧にできる自信はないですけど……やれるだけやってみます」

「よし。とりあえず結界だけでも今代わってくれ。そろそろ俺の魔力が尽きそうなんだ」

「はい!」


 ライアンは威勢よく答えると、ルカの前に進み出た。革靴のかかとで床に線を描く。


「断絶は時として災厄を阻む盾となる。故に我は空間を分かち、永遠の隔絶を望んだ。これは籠であり檻であるが、正しき想いのもとに成就する。この力は愛すべきものを守護するために。すべての敵意ある者らから我を守れ!」


 ライアンは張りのある声で、一音ずつはっきりと発音した。彼の詠唱に呼応するように、淡く色づいた障壁が足元からせり上がってきて、空間を二つに分けた。ライアンは顔を上げて、ぱっと振り返り次の指示を求めた。


「先生?」

「…………あ、ああ」


ルカは一瞬ぼうっとしていて、彼の視線に気が付かなかった。数拍遅れて頷きを返す。


「それで十分だ。次は――――」


 ルカは手を動かしながら二、三言続けた。微妙な違和感があったような気がするが、それが何なのかわからなければ、上手く言葉にもならない。


 気持ち悪さを覚えながらもゆっくりと考える時間がないので、進めざるを得なかった。話をしている間にも、敵からの弾が結界に衝突したので、ライアンは無言で振り返った。


「先生、早くしないと……」

「ああ、説明はこれで終わりだ。分からないところは?」

「いえ。一度結界を崩して先生を外に出す、その後でもう一回作り直す、ですよね」

「そうだ。手早く頼むぞ」


 ライアンは首を縦に振った。ルカの中にある違和感はまだ消えないが、ここで立ち止まっているわけにはいかなかった。


 いつ敵の増援が来るかもわからない状況で時間を稼がせるのは悪手だ。敵が二人だとはっきりしているうちに片をつけなければ、とルカは目元を強張らせた。


「……二人?」


 そこまで考えて、ルカはぽつりとひとり言を零した。


 ――――そもそも何故二人しかいない?


「先生、俺ならもう準備できてますよ。合図をもらえればいつでもいけます」

「…………」

「先生?」


 話しかけられていることにも気付かず、ルカは床の一点を見つめていた。指先がズボンのポケットのあたりを何度も撫でた。考えることに集中しすぎて呼吸が深くなる。ルカは声を出さないまま乾燥した唇をかすかに動かしていた。


 ジュリエットの話を信じる限り、プランタンはそう小さな集団ではない。ならば目的を達成するために、なるべく多くの人間を配置した方が都合はいいはずだ。


 もしルカが敵の立場なら、狙撃はあくまで援護に使い、広間の中には近接戦闘に長けた人間を送りこむ。そちらを本命とすれば、より確実に仕留められる。実際プランタンにはそれができるだけの力を持った勢力だ。


 だったら何故そうしない?


 ルカはそこまで考えてはたと指を止めた。


「――――いや、すでにそうしている?」


 ルカははっと顔を上げて、広間中に視線を巡らせた。招待状さえ手に入ればこの広間に難なく侵入できるのだ。奪うのが手っ取り早いだろう。


 一度広間の外――――屋敷の外におびき出してから招待状を奪取してすり替わればいい。ジュリエットに接近しても違和感のない人物なら、さらに都合がいいだろう。


 真っ先に候補になるのはほかでもないルカだが、激しい戦闘になることは目に見えているし、そもそもジュリエットの傍を離れることはあり得ない。ならばルカに近しいであろう人物なら、ルカに協力すると見せかけて――――。


 何かがカチリとはまったような音がした。さっきからこびりついている違和感の正体も今なら分かる。謎が鮮やかに解けていく。視界がやけにクリアでカーテンの赤色が鋭く目に刺さる。


「……なあ、ライアン」


 掠れた声で呼べば、彼は不思議そうに瞬きをした。ルカは感情のこもらない声で続けた。


「そういやおまえ、さっきの詠唱……なんで全節詠唱した?」


 口の中がぱさぱさに渇いている。ライアンはゆっくりと首を傾げた。


「え?」

「この前学院で詠唱したときは、確か四節だったはずだ。一年俺が会わないうちにあいつの腕は確実に上がっていた。……四節あれば充分なくらいまでに。なのにこの切羽詰まった状況で、何故無駄なことをするんだ?」


淡々とした言葉ににライアンは目を見開いていた。反論を探すかのように瞳が揺れるが、無意味な抵抗だった。


 ルカは無意識のうちに手を動かしていた。


 今になってライアンをじっと見つめてみれば、袖口から覗いているシャツに赤い点々が散っていた。ワインを口にしていないのに、そんな汚れが付くはずがない。もう答えは見えていた。彼もそれがわかっているのか、口をつぐんだままだ。


 ルカは呼吸を止めたままで、正面に立つ彼を見据えた。


「――――おまえは、誰だ?」


 ざわめきの中で、ルカの一言だけがやけに重々しく響いた。


 目の前の彼は無表情のまま薄く唇を開いた。しかし何を言うでもなく、また閉じる。そしてニィっと口角を上げた。


「ああ、でも、上手にできていたでしょう?」


 彼の腕が動く。ルカは瞬時に後ろに飛びのき、ジュリエットの前に立ち塞がった。片手を広げて短剣を構えた。


「魔術式、起動」


 ライアンの顔をしたままの敵はにこりと笑い、革靴で二度床を叩いた。


 コツコツと軽快な音とともに魔法陣が広がって、線が真っ白な光を帯びた。魔力が急激に循環していくのが見える。ルカが短剣を振るったのと同時に、魔法陣から氷柱が突き出た。


「……っ!?」


 ルカは息を呑んだ。ルカの目と耳が確かなら、彼は詠唱らしい詠唱をしていないし、魔法陣も描いていない。彼はたった一言口にしただけだ――――まるでルカが邪道と言いながら魔術具を扱うように。


まさか、という言葉がいつのまにか口をついていた。冷や汗が背中を伝っていった。

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