第26話 同じ手を二度もくらうわけがないだろ


 二人しばらく世間話をしながら時間をつぶした。ジュリエットはサロンの女主人だけあって、魔術界隈に関して知らないことはないといった調子で話し続けた。


 ルカという一魔術師が、どのような経緯をたどってきたかもあらかた掴んでいるようで、ルカとジェラールとの個人的な関係に触れてみせたりもする。ルカは乾いた苦笑いを零した。


「そこまで丸裸にされてもな」


 ぼやきながらテーブルのグラスに手を伸ばす。なんてことはない動きだ。指がグラスの脚をかすめようとした――――そのとき。


 かすかな破裂音が響いた。


「――――っ!」


 ルカは呼吸を止めた。聞き覚えのある音だった。


 右足を軸にして、身体を一気に半回転させる。目のピントが合うのと同時に青い光が一直線に伸びてきた。あの日、アリスの片腕を貫いたのと同じ魔術弾だ。


 目で捉えるので精いっぱいだった。魔術式を組むような時間は残されていない。だと言うのに、ジュリエットはグレーの瞳を閉じることもなく、ただじっとその場に立っていた。


 逃れることなどできそうにない、鮮やかな狙撃。


 しかし閃光がジュリエットに届くことはない。ルカの足元に魔法陣が浮かび上がり、光は一メートル手前で霧散した。


「同じ手を二度もくらうわけがないだろ!」


 ルカはここにはいない敵に向かって吠えた。二人の前には、攻撃を阻むための結界が広がっていた。ジュリエットは満足げに微笑を浮かべている。


 息つく間もなく二度目の狙撃が行われるが、結界は揺らぎを見せつつも、弾を消し飛ばしてみせる。


 気が付けば広間中で悲鳴が上がっていた。いたるところで詠唱する声が響き、艶々と光る床には魔法陣が描かれた。それぞれが自分のための結界を作り上げて閉じこもった。流れ弾の心配はしなくていいらしい。


 ルカが改めて自身の結界を見上げると、正面のあたりに小さなヒビがが入っていた。さすがに二弾同じところを狙われたのはまずかったらしい。


 ルカは腰のあたりに手を伸ばすと、上着の下を探るようにもぞもぞと手を動かした。ゆっくりと引き抜くと手には短剣が握られていた。柄のあたりに華美な装飾が施されたアンティークものだ。とても実用的とは言えないが、ルカは宙を切り裂くように短剣を真横に振った。魔力をともなった斬撃が、宙に残り新たな結界を生み出した。


「これを作るのに、俺が何日徹夜したと思っているんだ……!」


 ルカは恨み言をこめながらぼやく。


 ナイフには三つの魔術式を刻んである。魔力の貯蔵と、魔力の探知、そしてカウンターとして魔術を発動させるもの――――この前の襲撃で後れを取ったからこそ、二の舞にならないように考えた結果が、この魔術具だった。


 いつどのタイミングで狙撃されるか分からないのなら、カウンターにすればいい。

 

 思いつくまでは早かったが、問題はどのようにして実現するかだった。今まで一つの物体に刻んだ魔術式は二つまでなのだ。今になって研究を進めることになるとは思わなかったから、勘がにぶってしまっていて、感覚を取り戻すのには苦労した。


 ルカはちらりとアリスのいるであろう方に目をやった。彼女はソファの近くにいたはずだが、エリアスに連れられて壁際に移動したのか、彼の背中に庇われていていた。時々背中から顔を出して、ルカたちの方を不安げに見つめている。ルカは深く息を吸い込んだ。


 手元で短剣をくるりと回すと、切っ先を真っ直ぐに突き出す。そして挑発するように鋭く睨みつけた。


 どこからでもかかってこい、と言わんばかりの仕草だ。


「さて、マダム。不吉な想定が不幸にも現実になったわけだが、いかがしようか?」

「打ち合わせ通り、迎撃に専念してちょうだい」

「仰せのままに」


 今になってわざとらしく敬ってみせると、後ろからジュリエットに腕をつつかれた。振り返りはしなかったが、彼女が口角を下げているのは見なくてもわかる。


 狙撃の間隔はまばらで、すかさず連続で打ち込まれたかと思えば、しんと静まってしまったりと敵の動きが読めなかった。若干移動もしているようで、角度が変わったりもする。


 結界は四方に張り巡らせているから困りはしないが、無防備になっているところを狙われると、結界が崩壊しやすくなってしまう。ジュリエットに目配せすると彼女はゆるやかに頷いた。


「敵の位置を探ってみましょうか」


 ジュリエットはたおやかに腕を伸ばした。色づいた唇が薄く開かれる。


「かの魔力を持つ者を探し出せ」


 整えられた爪先が宙を掻いた。魔力弾の残骸をもとに魔力の主を探り当てるつもりなのか、残留している魔力を回収した。ラピスラズリの髪飾りが揺れる。


 彼女はぱちぱちと瞬きをして、長い睫毛を震わせた。思うような成果が上がらなかったのか、ヒールで床をコツンと鳴らした。


「さすがに向こうも、何かしらの防御策を取っているのか。どうする? 諦めるか?」


 ルカが声をかけると、ジュリエットはやや視線を伏せた。


「……か細い風は寄り集まり一つになる。やがては空を引き裂く刃になるだろう」


 一節抜いた簡易の詠唱だ。ジュリエットの指先にごく小さな風の渦が生まれた。彼女は空いた左手で横髪を持ち上げると、風の渦を髪へと近づけていった。


「マダム、そこまでしなくとも――――」


 慌てて声をかけるが遅い。彼女の横髪は切れ味よくスパッと切断されて、床へはらはらと散った。無残にも、片方だけ短くなった横髪をなびかせながら、ジュリエットは唇を曲げた。


「さあ、対価なら十分に支払ったわよ――――かの魔力をもつ者を探し出せ」


 彼女が再び詠唱すると、床に散らばった髪の一本一本が粒子となって宙に立ちのぼった。ジュリエットの身体はほのかな光に包まれて、ドレスが艶やかに輝いた。


「ああ、やっと見つけたわ。あちらの方角に一人……いえ、二人。今は西の方角に移動中。片方が狙撃をしていて、もう片方が透過魔術をかけているみたい」


 ジュリエットは右斜め向こうを指さした。ルカは顔を向けないまま返事をした。


「おそらく、学院を襲撃したのと同じ人選だ。余裕があればこちらからも仕掛けて撤退させよう」

「私、攻撃魔術は不得手ですから、あなたにお任せするわ」

「……それは嫌味か?」

「この状況で嫌味が言える女だと思って?」

「あんたなら言えそうだから末恐ろしいよ」


 まあ! と彼女はわざとらしく口を開けて、それからくすくすと笑った。


「ムッシュー、構えて。敵の魔力が増大しているわ。来るわよ!」


 ジュリエットが言い切るのと同時に、魔力弾が結界に衝突した。続けざまに二発、三発。さすがに結界の軋む音がしてルカは歯を食いしばった。


 すぐさま短刀を振るって魔術を重ねがけするが、魔力の底が見え始めてきている。無駄遣いはできなかった。


「これは、なかなかまずいぞ……」


 ルカはくっと口角を上げる。額に脂汗が浮かんでいた。


 このままでは防戦一方になってしまうことはわかっているが、反撃できるほどの隙を見つけることはできなかった。傍にいるジュリエットは戦力として数えられないし、遠くで控えているエリアスはアリスを置いて離れることもできなかった。サロンの客人たちは、当然のことながら“学者”を自称する人間ばかりである。


 今ここで戦えるのはたった一人、ルカだけだ。

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