第24話 いちいち俺をけなさないと会話もできないのか?


 アリスは言葉を続けようとするが、広間の中央のあたりにジュリエットを見つけると唇を閉じる。ジュリエットはピアノのすぐ前に姿を見せると、膝を曲げて恭しく一礼した。


「皆さま、ごきげんよう。今夜はジュリエット・カタラーニの魔術サロンに、よくお集まりくださいました」


 ピアノの演奏は自然とフェードアウトしていく。ジュリエットは広間にいるほとんど全員の視線を集めたが、一歩前に進み出ててはふっくらとした唇に微笑を浮かべた。


「魔術が美しき学問となってから早数十年。私は一人の魔術師としてさらなる魔術の発展を願っています。皆さまの絶えまぬ歩みを賛美するるとともに、魔術の道に祝福があらんことを」


 ジュリエットはすらりとした腕を広げて誰にともなく愛をふりまく。どこからか拍手する音が聞こえてきたかと思えば、つられて次々に手を叩き始め、気づけば全員が手を打っていた。


「美しき学問ねえ……」


 ルカは唇を曲げながら適当に拍手をしていた。まだらに響く音はそう納得していない証拠だ。


 魔術は技術である――――というのがルカの信条で、生徒に唱え続けてきた唯一絶対の言葉だった。


 ルカは魔術を崇高なものだとは一切思っていない。使い方によって学問になり、芸術になり、そして武器になる。その事実を認めながら淡々と向き合ってきた。だからこそルカはいつだってつまはじきだ。


 人道を外れた魔術師は魔術師ではない、と切り捨ててしまうのは簡単だった。だとすればその魔術師もどきに傷つけられてきたアリスはどうなるのだろうと、ルカはぼんやり思う。


 首は動かさず視線だけ下げてアリスを見ると、彼女は小さな手で一生懸命に拍手をしていたものだからルカは細く息を吐いた。


 しばらくすると拍手が収まってピアノの演奏も再開された。ジュリエットは招待客もそれぞれ談笑に戻り始めた。


「お待たせしました。何事もなくてよかったわ。怪しい方はいらっしゃらなかった?」


 ジュリエットが小さく手を振りながらルカの方へ歩いてくる。ルカは問いかけに首を振った。


「特には見当たらなかった。というか狙うなら、あんなど真ん中にいるときじゃないだろ」

「それもそうね。今夜は一人にならないように気をつけなくちゃ」


 目を細めてくすくすと笑うジュリエットはどこか他人事のようだ。ルカは眉間にしわを寄せると、腕を組んだ。


「それであんた、なぜ狙われているんだ」

「あら、この前お会いした時わからないと申し上げたのに。お若いのにもうお忘れなの?」

「いちいち俺をけなさないと会話もできないのか?」


 ルカは革靴で床を軽く叩く。ジュリエットは「ちょっとした冗談じゃない」と言った。


「でもそうね、あなたに明かしたところでそう支障はないのだし、構わないかしら」

「……あんたは俺が嫌いなのか?」

「あら、嫌いなんてとんでもない! 欠片も興味がないだけよ。あなたは魔術師としての道を外れているんだもの、面白くもなんともないわ」


 ジュリエットはにこりと笑う。ルカは口角を引きつらせた。


「そりゃあどうも。実利で雇っていただけて光栄だ」

「状況が状況だもの。仕方がないわ」


 二人は声を上げて笑った。


 流れる空気は刺々しいものになっていき、黙って聞いているアリスは手足をそわそわとさせ始める。ちらちらと伺うような視線にジュリエットは肩をすくめた。


「それで、私が狙われる理由だったわね。あなたがかつて教鞭をとっていた魔術学院――――フランスの魔術師の多くが属する正統なる組織だけれど、その資金源はご存知?」

「生徒が学費として納める分……は微々たるものだな。ほとんどが寄付金だったか?」

「カタラーニ家は寄付額が最も高いのよ」


 ジュリエットは腕を組んだ。豊満な胸を強調するような艶やかなドレスだが、彼女の品の良さを損なうどころか魅力的でしかない。ルカは視線をテーブルの方へやると軽く頷いた。


「なるほど。あんたみたいなのが金を出しているから、学院の学問主義も加速するわけか」

「私は皆さんの研究に口を出した覚えはないわ」

「どう考えても気を遣うだろうが」

「ムッシューは気を遣ってくださらなかったようですけれどね」

「俺は人一倍現実を見ただけだ。というか、俺の研究が学院の結界に一役買っていることを忘れるなよ。今までの壮大なばかりで非効率的だった結界を、使えるように整えたのは俺だぞ」


 ルカはわざとらしく身振り手振りを混ぜながら、乱暴に吐き捨てた。ジュリエットは目元をぴくりと動かす。わずかな動きでしかなかったが彼女の目はほとんど笑っていなかった。


 再び雲行きが怪しくなってきたので、アリスは「んん」と声を零した。


「あの……」

「どうしたのかしら、お嬢さん」

「どうしてたくさん寄付すると、狙われるんですか?」


 アリスはもじもじとしながらもジュリエットを見上げて質問した。ドレスのスカートのあたりで両手をきゅっと握りしめていた。


 気になったというよりは、場の空気をどうにかしなければという義務感で口を開いたらしく、好奇心は読み取れない。ジュリエットも承知しているのか、ふっと頬のあたりから力を抜いて、穏やかな笑みを浮かべた。


「魔術学院はフランスの魔術師を取りまとめている組織よ。もちろん全員が属しているわけではないけれど、一大勢力には間違いないわ。だから学院は道を外れた魔術師を捕らえて罰を与えることを己の責務としているの。暗に“任務”と呼ばれているのだけれどね」

「学院は悪い魔術師の敵、なんですか?」

「簡単に言えばそうなるでしょうね。悪い魔術師からすれば、学院の存在はとても邪魔になるでしょう? つまりその学院を援助している私も邪魔というわけよ」


 ジュリエットがかみ砕いて説明すると、アリスはすっきりとした顔になった。ありがとうございます、とお礼を言ってからまた口を閉ざした。その頃になると険悪な空気はどこかへ失せてしまっていて、ルカもジュリエットもいざこざを続ける気にはなれなかった。


「……それで」


 ルカはため息を飲み込んで言葉を続ける。


「敵対勢力に目星はついているのか?」

「ええ、そうねえ。これは報酬の話にも繋がるのだけれど――――」


 その時三人の方へ向かってくる足音を聞きつけて、ジュリエットはぱっと言葉を切った。何事もなかったかのようにゆっくりと振り返り、ドレスの裾を揺らした。ルカもジュリエットの向こう側を見ようと身体を傾ける。足音の主は覚えのある人物だった。


「ライアン」


 ルカは片手を上げて挨拶をする。しかしライアンの顔はそう穏やかなものではなかった。


「どうした?」

「お話し中にすみません! 先生、エマを見ませんでしたか?」

「エマ? あー、ええー……」


 ルカは言葉の先を伸ばしながら記憶をたどった。しかし邸宅について別れた後、彼女がどこにいたかはさっぱりわからなかった。片手を顎にやってよくよく考えてみるが思いつかない。


 ルカが小声でぶつぶつと呟きながら記憶を探っていると、アリスがそろそろと手をあげた。


「わたし、カタラーニさんがご挨拶する前に見かけました」

「アリスちゃん、その後は?」

「ええと……ごめんなさい。わからないです」


 ライアンは短く礼を言うと、ルカの方を向いた。


「気づいたらエマがいなくなっていて。もう三十分くらいたっているはずなのに全然どこにも見当たらないんです。エマは強いし、何かあっても大丈夫だとは思うんですけど、ちょっと心配なので俺が探しに行ってもいいですか? 人手が減って申し訳ないです」

「いや、気にするな。俺はここから動けないから、エマのことはおまえに任せた」

「はい!」


 ライアンはぺこりと頭を下げ、ついでにジュリエットにも会釈すると走り去っていった。


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