第21話 なんでおまえら全員揃っているんだ
ジュリエットとの待ち合わせにはそう手間取らなかった。
ルカ自身カフェ・トゥルクを訪れたことは何度かあったし、隅のテーブルに座っていたジュリエットは一目見れば彼女とわかるほど、上品で気品あふれる女性だったのだ。
アリスは相変わらずの人見知りで、すっかり黙りこんでしまったが、ジュリエットは気にすることなく美しく微笑んだ。
「私、子どもが好きなのよ。だってとても可愛らしいでしょう?」
ルカは仕事を引き受ける前に二つの条件をつけた。
一つめに、サロンにはアリスを連れていくこと。二つ目に報酬としてジュリエットが知っているだけの情報を提供すること。
彼女は迷うそぶりもなく快諾したので、仕事の話はごく簡単に進んだ。ルカが驚いてしまうほどあっさり済んだので、終わったころにはまだ時計の長針は半周もしていなかった。
これ以上話し合うことも残っていないので、ルカは残っていた珈琲を一気に流しこむ。立てかけていたステッキを掴み、ジュリエットに別れを告げようとするが、彼女は赤い唇に笑みを浮かべて言った。
「ねえムッシュー。そんなに急がなくたっていいじゃない。奥でビリヤードでもしていくのはどうかしら?」
彼女はふいと視線をやって示した。カフェのホールにはいくつかのビリヤード台が置かれていて、今もまさに台の一つを男性二人が囲んでいるところだ。
ルカとアリスの座っている席からは、キューを構えて狙いを定める男性の表情がよく見える。アリスは物珍しいのかじっと見つめていた。
「ほら、お連れの彼女もお気に召したようよ?」
「あ、いえ、わたしは……」
アリスは困った顔でふるふると首を振った。本心ではなくいつもの遠慮癖だったが、今日ばかりは便乗させてもらおうとルカはひそかに決意した。
単純に気乗りしなかったのだ。会ったばかりの仕事相手と楽しく交友を深めようと思えるほど、ルカは社交的ではない。
「いや、結構。用も済んだことだからこのまま帰る」
つけ入る隙を与えないように露骨な言葉を選ぶ。すげなく断ってみせると、しかしジュリエットはにこりと笑った。
「あら、ごめんなさいね。ムッシューは魔術だけでなくビリヤードも不得手だったかしら?」
「…………」
ルカは頬のあたりをピクリと動かした。
挑発されているだけだとわかっていながら、ここまで言われてすごすごと帰れるほど、ルカも大人ではない。
結局ビリヤードをしていくことになった挙句――――ジュリエットには全くと言っていいほど敵わず、こっぴどく負けて大恥もいいところだったので、カフェを出たころにはとんでもなく不愉快な気持ちになっていた。
ルカが下手だったわけではない。彼女のビリヤードの腕前が達人級だったのだ。
「今日は私の運が良かっただけよ、気になさらないでね」と言ったときの彼女のからかうような笑みを思いだすと、額に青筋が浮かんだ。ジュリエット・カタラーニがどのような人間であるかはよくよく分かった。
「……今夜は美味しいスープを作りますね!」
アリスと言えば、必死にルカを慰めようとしていた。
ジュリエットと仕事上の契約を済ませてからというもの、ルカの書斎に引きこもる時間は増える一方だった。護衛として戦うことを考えると、新しい魔術具の開発は必須条件だった。
時々はアリスがやって来て、睡眠時間を削ってでも仕事をしようとするルカに少々不満げな顔を見せた。
口では何も言わないが、エメラルドグリーンの瞳をじとっとさせるので、ルカは大人しくベッドへと向かうしかない。それでも真夜中に目が覚めてしまったときは、こっそりランプに明かりを灯して仕事をする日もあった。
サロンが開かれる日まではあっという間で、魔術具の調整がすべて終わったのはその日の夕方だった。
「……これは、まずいな」
窓から見える空がうっすらと赤い。ルカは書斎でぽつりと呟くと、恐る恐る懐中時計のふたを開いた。
カチカチと動く針を見る限り、残されているのはたった三時間で、ルカはさすがに顔を青くした。慌てて寝室にいるアリスを呼びよせると、ステッキをひったくるようにして掴んだ。
二人して何の準備もしていない。さすがのアリスもサロンという場がどういうものか想像がつかなかったのか、髪をいつもより丁寧に整えているくらいだった。それでも、寝ぐせをそのままにしていたルカよりはよっぽど上出来だった。
ステッキで床を二回突き、まずはエソワの邸宅を出てパリへと飛ぶ。目的地はジェラールの邸宅だ。
調整に調整を重ねた魔術具は、ルカの不器用ささえもなかったことにするかのように、正しく機能した。無事に邸宅の庭に降り立った二人は扉をノックする。ジェラールは珍しく一階に下りてきていたらしく、扉を自らの手で開けると、呆れたような顔で開口一番に説教をした。
「ルカ、君と言いう奴はまったく……。普段ならともかく、いい大人がこんな日にまで遅刻するかね?」
「……それに関しては弁明のしようがない」
この状況において、ルカが悪いことははっきりとしているので早々に降参した。
ジェラールはため息を吐くと二人に入るように促した。着るものはジェラールに用意してもらう約束なのだ。
ルカとアリスは別々の部屋に通され、それぞれで身支度を済ませることになった。ルカはジャケットを脱ぎ捨てると、壁にかけられている衣装に手を伸ばした。
サロンに招待された男性が身に付ける衣服といえば、大抵モーニングだ。前裾が斜めになったコートとストライプ柄のズボン、中にはワイシャツを身に付けて、シルクのネクタイを結ぶ。黒のブーツを履いてステッキを持てば、サロンにふさわしい紳士の姿だ。
糊のきいたワイシャツにどうしても違和感があって、着心地悪そうに腕を曲げたり伸ばしたりしながらルカは部屋を出た。足早にいつもの応接間へと戻る。
扉を開けると、ソファに深く腰かけているジェラールから視線を向けられた。頭から足の先まで確かめられるのは、まるで子どものようだったので、ルカはむっとしたように眉を上げた。
「着方くらい分かっている」
「そんな顔をするものじゃないよ、ルカ。大丈夫そうだね」
「アリスは?」
「もうじき戻ってくるだろうさ。身支度は手伝ってもらっているから心配しなくても構わない」
ジェラールの言葉通りノックの音がすぐに聞こえた。
「着替え、終わりました……」
扉がゆっくりと開いて、隙間からアリスが顔を出した。しかし扉の陰に隠れて部屋に入ってこようとしないので、全身がほぼ見えない。ルカが手招きすると彼女はようやく扉をすべて開けた。
ルカはジェラールがしたのと同じように、彼女をじっと見つめた。
いつもは赤いリボンを結んでいるだけの金髪だが、繊細に編み上げられている。ルカが与えた質素な白ワンピースはサフラン色のドレスに変わっていて、華奢な首元はフリルで飾られていた。ドレスは腰のあたりでたっぷりと膨らんでいて豪奢だ。
もう少し自信に満ちた顔をしていたなら、貴族の娘と信じてしまうほど気品があった。
「あの、先生?」
しばらく黙りこんでしまっていたルカは、彼女に声をかけられてはっと我に返った。
「いや、その……似合うな」
珍しく素直にそう言えば、アリスが一瞬にして頬を真っ赤に染め上げた。
「あ、ありがとうございます」
アリスは両手をきゅっと握りしめて俯いた。赤くなっているのを見られたくないのか、ルカの視線から逃れるように横を向く。しかし耳まで赤くなっているのでまったく意味がない。今までになく恥ずかしがっているので、逆にルカまで照れてしまいそうだった。
「いかがですか?」
もじもじとしているアリスの後ろから顔を見せたのはエマだった。
彼女もいつも以上に着飾っており、大きく開いた胸元には大粒のサファイアが輝いている。彼女は自慢げに笑った。
「アリスさんの支度はわたくしが責任をもって手伝わせていただきました。時間があればもう少し丁寧に仕上げたのですけれど、これならば夜会でも十分でしょう」
「おまえが手伝ってくれていたのか、エマ。助かった。自分の服ならともかく女物だと、俺じゃどうにもならんからな。――――ところで」
ルカはうんざりした顔で首を振った。
「なんでおまえら全員揃っているんだ」
ルカは身体を半回転させて、ソファの方を見遣った。
ソファの半分を陣取ってワインを楽しんでいるエリアスと、彼に追いやられて隅の方で苦笑いしているライアンの二人は、同じくモーニング姿だ。彼らのもとへ戻り腰かけたエマも、同じくらい美しいドレスを身にまとっていた。
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