第20話 もう二度と後悔するつもりはないからな


 ジェラールは重々しく頷いた。


「彼女は生きている限り血を作り続けるから、それを対価に魔術を発動させれば、消耗品を越えた武器になる。……しかしこれは間違いなく非人道的な実験だ。魔術師としての掟に背いている――――学院としてもそれなりの対応をしなければならないだろうね」

「エリアスあたりを動かすのか?」

「君相手とは言え、さすがに外部の人間ににそこまで教えるわけにはいかない。さて、アリスが戻ってきてしまう前に話をすべて済ませてしまおうか。今日はなぜ君からここに来てくれたのかな?」


 ジェラールは目元の皺を寄せながら、色素の薄い瞳でルカを捉えた。質問をあっさりとかわされたことに文句の一つでも言いたくなったが、ジェラールの言うこともまた正しかったので、今日はやめておくことにした。


 ルカは指先でグラスをくるくると回しながら本題に入った。


「頼みがある。ここ最近の情勢についての情報が欲しい」

「……それは君が任務に戻りたいということかね?」

「いいや。そういうつもりはないが、この先アリスを守るためには、知っておいた方が都合がいいんだよ。今のままだと俺たちは後手に回らざるを得ない。先手を打って、こちらから仕掛けていけるだけの準備がしたいんだ。……俺はもう二度と後悔するつもりはないからな」


 ジェラールは最後まで聞き終わらないうちに、驚いたように息を呑んでいた。ルカ自身、らしくないことを口にしている自覚はあったので、ふいとそっぽを向く。


 数年前のシャルルと暮らしていたころはともかくとして、ここ一年の落ちるところまで落ちた自分を思えば、ずいぶんと積極的になったものだ。


 少し前までは魔術さえ忌避し、すべてを忘れようとしてできず夢にまで見る始末で、間違いなく魔術師としても人間としてもろくでもない日々を送っていた。


 それでもアリスの存在はルカを変えるに至った。彼女を悪意から遠ざけてやりたいと思うくらいには、彼女のことを放ってはおけない。彼女が今も抱えている傷を見て見ぬふりはできなかった。


「……ああ、よかった」


 ジェラールは口の中でぽつりと呟いた。思わず出てしまったという風であまりにも小さな声だった。ルカは聞き取れずに訊き返すが、彼は静かに首を振るだけでそれ以上口にしようとはしない。


 繰り返す代わりにジェラールは短く詠唱する。部屋の隅にあったチェストの一番上の段が引きだされて、中から一通の手紙が浮かび上がった。ジェラールが手招くと手紙が飛んできてルカの手の中に収まった。遅れてペーパーナイフも付いてきたので右手で掴んだ。


「……読めばいいのか?」

「ああ。君宛に届いていたものだ。どうせこういうものは好まないだろうから、見せるつもりはなかったんだけれどね」


 ルカの面倒ごと嫌いは昔から変わらない。わざとらしく肩をすくめてからカードを取りだした。


 手紙の送り主は女性なのか、甘やかな香水の残り香が立ちのぼった。ジェラールに目配せしてから手元に視線を移してカードを読み始める。さっと目を通してからルカは首を傾げた。


「……なんだこれは?」


 このカードが招待状であることはすぐにわかった。


 エスプリの利いた誘いの文章から始まり、場所も日時もはっきりと書かれていてるからだ。上から下まで格式を感じさせるもので、読んでいるだけで肩が凝りそうだった。


 ついでに送り主が同じ魔術師であることも遅れて理解した。流れるように美しい文字でジュリエット・カタラーニの名が記されていたのだ。直接会ったことはないがルカでも名前を聞いたことのある魔術師だった。ルカは顎に手をやる。


「カタラーニ家って言ったら、エマのベルナール家とも並ぶ魔術の大家だよな。……となるとこれは何の招待状だ?」

「まあ君は昔からそういう集まりに疎いからね。詳しくないのも仕方がない」


 ジェラールは苦笑いを浮かべると、ルカの置きっぱなしにしていたナイフを回収してチェストに戻した。そして優雅な手つきでグラスを持ち上げ、少々気取ったような口ぶりで言った。


「――――それは魔術サロンへの招待状だ」


 魔術サロン、とルカは繰り返す。ジェラールは言葉を続けた。


「パリにはいくつもの魔術サロンが存在している。サロンくらいはさすがにわかるかな?」

「貴族の邸宅で開かれる社交界のことだろ」


 適当に答えるとジェラールは頷いた。


「サロンでは知識人が集められて交流を持つ。大抵は会話のテーマとなるものがあって、文学だったり詩だったり演劇だったり――――種類はあるが我々の場合は魔術になることが多い」

「魔術師が集まって、魔術の話をするってことか?」


 魔術師同士が交流を持つことはそう多くはない。魔術についての情報を交換するとなると、さらに珍しくなってくる。普通の魔術師ならば、学問の追究のためにサロンを求めることもあるだろうと納得した。


 ルカと言えば、魔術師の王道を外れすぎたせいで、重鎮からは腫れもの扱いを受けている始末だ。ルカの方も今さら大志を抱くつもりはなく、己の道を突き進んでいて、当然交流をする気などさらさらない。


 これまでであれば、招待状はそのまま屑箱に放り込まれていたはずだ。しかしこの状況となっては逆に好都合だった。


「つまり招待を受ければサロンで情報を集められるというわけか」


 ルカは満足げに頷いた。しかしジェラールの方は困ったように眉をひそめた。


「……ただし少々問題があってね。君は客人として招かれているわけではないんだよ」

「は?」

「それはあくまで仕事の依頼だ」


 ジェラールに促されて封筒の中を覗きこむともう一枚便せんが入っているのが見える。ルカは取りだして同じように目を通した。


『カードにありますように来る七月十七日、サロンを開く運びとなりました。会にはフランス中の高名な魔術師をご招待しようと考えております。しかし私には一つ困りごとがあります。ここ十日ほど何者からか狙われているようなのです。ジュリエット・カタラーニとしてサロンを中止することはできませんから、せめて一夜あなたに護衛をお願いしたいと思います。もしよいお返事をいただけるのであれば――――』


 ルカは頭の中で繰り返すとため息を吐いた。


「……なるほど、理解した」


 よくよく考えてみれば、何の縁もないカタラーニ家から招待状など届くはずもない。むしろ仕事の依頼の方がよっぽどルカに向いているだろう。


 ルカ自身そう思ったはずなのに、妙に裏切られたような気持ちになって、少しむっとした。ジェラールは子どもでも見るような目で笑った。


「彼女は一度外で会いたいと言っていたよ。場所はダンプル通りのカフェ・トゥルク。日時は君に合わせるそうだ」


 ルカはこれからの予定を思い浮かべるよりも早く、行き道でアリスに話してやったことを思いだしていた。


「噂をすればカフェか……」

「ん?」

「いや、こっちの話だよ。マダム・ジュリエットには三日後に会おうと伝えておいてくれ」


 ルカは遠くから響いてくる足音にゆるりと振り返ると、投げ出していた足を組んだ。


 やっと書斎から戻ってきたアリスは一冊の本を抱いていた。表紙の一部が剥げていてページもほとんど外れかけているようなそれは、きっと本棚で一番古そうな本だったのだろう。


「これを……」


 アリスは遠慮がちに差し出してきた。彼女はやはり困ったように眉を八の字にしていた。何となく予想できていたことなのでルカはさっと立ち上がると、アリスを連れてもう一度書斎へ向う。


 彼女は「これでいいんです!」と必死に首を振っているが、彼女が一番ほしいと思った本を見つけ出すまでは、帰る気分になれそうになかった。

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