第17話 たぶんおまえによく似てた


 ふと気が付いたとき、視界に広がっているのは白い天井だった。


 自分が仰向けに寝かされているのだとわかって、ゆっくりと瞬きをする。長いこと眠っていたような気もするが、時計がないので時間もわからなかった。


 とにかく身体を起こそうと頭を持ち上げて、その重さに驚いた。全身が疲れ果てているかのようにだるく、思うように動かなかった。それでも無理やり筋肉を使って身体を動かし、ベッドに片腕を腕をついて身体を支えようとする。だがすぐ近くから制止する声が飛んできた。


「いいからそのまま寝ていてください! 前から言ってますけど、俺は骨や皮膚をくっつけて治すだけです。身体自体はまだボロボロなんですからね!」

「……ああ、ライアンか。手間をかけさせたな」


 全身から力を抜いて頭をベッドに沈める。すぐに椅子を引く音がして、足音が近づいてきた。


「先生、お加減どうですか? ……って聞くまでもないですよね。先生が無茶をしないように念押しとして説明しておきますけど、骨が合計四本折れていました。あと二本ヒビが入っていて、喉はかなり炎症を起こしていました。とりあえず治しましたけど、これは先生の生命力の前借りですからね。その分しばらくは安静にしていてくださいよ」

「……アリスの様子を見たい。手を貸してくれ」

「本当に俺の話聞いてました?」


 にっこりと笑みを浮かべながらも、ライアンは棘のある声で尋ねた。ルカは投げやりに頷く。ライアンに治療を頼んだのはこれが初めてではないので当然知っているが、口うるさく言われたところで大人しく従ったことはほとんどない。


 ライアンはわざとらしくため息を吐くと、呆れた顔で腕を伸ばしてきた。手首を軽く掴むとそのまま引っ張り上げられ、ルカは上半身を起こした。部屋を見回して、自分がエリアスの研究室に付属する仮眠室にいることに気が付いた。


「おまえしかいないのか。他はどこに行ったんだ?」

「エリアス先生とエマならまだ地下にいますよ。部屋に残っている魔力痕を調べています。もしかしたら犯人に繋がる手がかりになるかもって。アリスちゃんは先生の研究室にいますよ。まだ空き部屋になっているので、ベッドだけお借りしています。……アリスちゃんはもうだいぶ回復してきたはずです。銃弾は腕をかすったみたいで、治療にはそう手間取りませんでした」

「そうか」


 ルカは痛みを堪えるように声を漏らしながら、ベッドから片足を下ろし、革靴を探した。一度蹴飛ばしてしまってから足につっかけ立ち上がった。


 ルカの研究室はすぐ右隣だ。ライアンもわざわざ付き添うほどではないと思ったのか、それともルカに気を遣ったのか、「早めに切り上げてくださいね」とだけ言って椅子に座りなおした。


 ルカは一人で仮眠室を出てエリアスの研究室に戻った。ライアンの言ったとおり人の気配はなく。窓辺のカーテンが風で揺れているだけだった。ルカは落ちている書類を踏まないように大回りしながら扉へと向かい、廊下へ出る。


 数メートル歩いただけで目的地までたどり着いた。ルカは何でもないことのような顔でドアノブに手を伸ばすが、寸前でピタリと止めた。


 ノブの近くにある傷を見つけて黙りこむ。


 この傷はかつてソファを運び入れるときに、ルカがつけたつけたものだった。人差し指の腹で触れて、深さを確かめるように上から下まで撫でた。確かソファの真ん中をライアンが支えていて、後ろをシャルルが持っていたのだ。


 思い出はいとも簡単にフラッシュバックするから、ルカは口元を強張らせた。


「……入るぞ」


 ノックを三回してからルカは扉を押し開けた。ギギ、と扉が嫌な音を立てたことすら懐かしい。ルカはゆっくりと扉を閉めると振り返り、呆然と立ち尽くした。


「……何も、変わっていないな」


 ルカは腕をだらんとさせたまま、しばらくぼうっとしていた。本が抜き去られ空っぽになった本棚。壁の落書き。乱雑に置かれた紙の束。床に転がった万年筆。机のインク汚れ。ルカが逃げるように出ていった日から時間が止まったかのように何も変わっていなくて、気づけば声を出していた。


 確かにルカはここに存在していて、かけがえのない時間を過ごしたはずなのだ。


 生徒のエマとライアンがいて、そこに弟子のシャルルを連れてきて、時々エリアスが首を突っ込んできたりして――――騒がしい日々だった。


 間違いなく、人生で一番幸福な時間だった。


 たとえ壊れたとしても、すべてをなかったことになどできないのに、ルカは目を逸らし続けた。愚かなことだとわかっていながら、その愚かさを認めたくなくて、どこまでも逃げたのだ。


 だがそろそろ清算しなければならないとルカは思う。


 ルカは慣れた足取りで部屋の奥へと向かい、仮眠室の扉をノックした。返事はなかったが、黙ったまま押し開けた。部屋の中にあるのはベッドが一つと小さなテーブルと椅子くらいだ。ルカは扉のすぐ近くに置いてあった椅子の背を掴むと、ベッドのそばまで持っていき腰を下ろした。


 アリスはルカに背を向けるように寝転がっていた。金色の髪がベッドに広がっていて、髪を飾っていた鮮やかな赤色のリボンは、枕元に置かれていた。顔はシーツに埋もれているから、起きているのか寝ているのかはわからなかい。


 寝息が聞こえないので、もしかすると起きているのかもしれないとルカは思ったが、特段確かめるようなことはしなかった。


 何から言おうかと迷ってしばらく黙りこんだ。二人きりの部屋はひどく静かだったが、いつもの気まずい感じはなく、むしろ心地よいくらいだ。ルカは足に置いていた指を組むとふっと息を吐いた。少しだけ緊張していることに気が付いて、静かに笑う。


「アリス」


 穏やかな声で呼びかけると、シーツの塊がかすかに動いたように見えた。しかし返事はない。ルカは何も見なかったことにして言葉を続けた。


「これは俺の、ただのひとり言だ。俺が勝手に話すだけだから、聞きたくなきゃそのまま忘れてくれ。まだあいつらには話していないことも混じってるかもしれないが――――」


 ルカは背中を丸める。


「俺にはな、あいつら二人の生徒と、もう一人弟子がいたんだ」


 弱々しい声だった。


「弟子はシャルルって名前で、引き取ったときは十歳の、まだ子どもだったよ。なのにおまえみたいにしっかりしていてなあ――――俺の後ろをちょこまかついてきては、俺の世話を全部やってしまうような奴だった。たぶんおまえによく似てた」


 ルカはふっと笑みを浮かべるが、胸の奥がひどくうずいてすぐに消す。


「俺がシャルルと出会ったのは今から七年前だ。あいつは両親と二人の兄弟を教会に殺された。今でこそ和平協定が結ばれているが、あの頃は魔術師と教会の争いが激化していてな。あいつもそれに巻き込まれて、運よく一人だけ生き延びたんだ。俺はその事件の鎮火に関わっていて、その縁で身寄りのなくなったシャルルを引き取ることになった。それで、しばらくしてから弟子にした。あいつが一人で戦えるだけの力が欲しいって言ったんだ。復讐がしたいんだってすぐにわかった」


 奥にある窓は開いていて白いカーテンに覆われている。そよ風に優しく揺れている。


「シャルルは懸命に生きて、絶望から這い上がってきた。俺の元で魔術の基礎を学んで、一人前になろうと努力していた。こんな俺のことも先生先生って呼んで、嬉しそうに慕ってくれて――――親にでもなったつもりだったよ、俺は。だからシャルルを必ず幸せにしようと思った」


 自嘲気味に笑って、ルカは息を止めた。


「だから、俺が教会と戦うからおまえは何もしなくていいよって、そんな嘘を吐いたんだ」


 今のルカなら痛いほどよくわかる。それはシャルルを裏切ることと同じだ。

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