第15話 ほんっとうに役に立たないのな
「……っ」
生徒という身分に一瞬ひるむが、すぐに持ち直す。靴底で床を鳴らしながら体を回転させるとルカの方を向いた。
目を逸らすことは許さない、とでも言いたげな顔だ。
エマの真っ直ぐな視線はルカの心臓を射抜くようだった。プライドと意地と情愛が混じりあった瞳は、不思議と純粋だった。
エマもまた魔術師として王道を歩んできたような人間で、魔術の名家に生まれながらも、自分だけの正義を貫きながら生きているのだ。
「先生はどうされたいのですか」
十七歳とは思えないほど落ち着いた声に、ルカはつばを飲み込んだ。
「わたくしは自分の信じたいものを信じるだけです。ですからわたくしはきっと先生の判断に従います。それでもこれだけは言わせてください――――アリスさんを見捨てたとして先生は後悔なさらないのですか?」
エマはルカの瞳の奥を覗き込むように言う。飾りも偽りもない言葉にルカの心臓が痛みを伴いながら収縮する。息が苦しい。剣を握る手に彫刻が食い込んだ。
ルカはちらりとアリスの方を見た。蔦の絡まる向こうでうずくまっているであろう彼女を思うと指先が痺れる。
どうすれば一番簡単かはわかっているのに、どうしても割り切れなない。
彼女の見せる不器用な笑顔が目に焼き付いてしまっているのだ。守りたいと思うには十分だった。
「……見捨てられない」
ルカは苦しそうな声で言った。
「俺はあいつを見捨てられない。これが賢明な判断ではないことはわかっている。おまえたちを巻き込むことだって、悪いと思っている。……それでも俺はあいつを助けたいんだ。もう二度と子どもを手放すようなことはしたくない!」
ルカは剣先を薙ぐと、アリスの方へと身体を向けた。
迷いに迷った末やっと腹が決まったのだ。そんな彼を見たエマもまたルカの横に並んだ。彼女は嬉しそうに口角を上げていた。
「巻き込まれるだなんてとんでもありません。わたくしたちは自らの意思で、先生についていくだけです。ねえ、ライアン?」
「そうですよ、先生。危険なんて承知の上です。だから俺たちにも手伝わせてくさい」
結界を維持することで精いっぱいになっているライアンは、振り返ることもなく言った。平気そうに笑っているがシャツは汗で肌に張り付いている。猛攻は今もなお続いているのだ。
ルカは首だけ回してエリアスを見た。彼は少し驚いたように目を丸くすると、表情を崩して困ったように笑った。
「いいよ、わかった。君に付き合おう」
「……悪い」
「謝らなくたっていいんだよ、アレヴィ。正直君を試したかっただけだからさ。やっと君らしい返事が聞けて良かったよ。――――さあ、指示を出すといい」
ルカは礼を言うと全員の顔を見回した。すでに覚悟が決まっているのを確かめてから自身も深呼吸をし、一気に指示を出した。
「ライアン! おまえは結界を張りなおしてくれ。後ろにある魔法陣を保護してほしい。あれが破壊されると学院の守りが消えてしまうから頼んだぞ。それとおまえにはアリスを治療してもらうから、多少魔力を温存しておいてくれ」
「はい!」
「エマはライアンの護衛だ。余裕があれば、俺の身体に強化魔術をかけ続けてくれ」
「先生に強化魔術……ですか? ええ、承りましたが……」
「前衛は俺とエリアスだ。俺がアリスの元まで行って銃弾を拾ってくる。それがあれば魔術の解析もできるだろう。エリアスはとにかく蔦を片っ端から片付けて――――エリアス?」
エリアスは黙ったままポケットを探っている。呼びかけても返事がないので、ルカは言葉を切ってまじまじと彼を見た。
彼は全身を調べるようにぺたぺたと触り、突然脱力したかと思えば、ふっと爽やかな笑みを浮かべた。
諦念にも似たそれに「まさか」とルカが零す。エリアスは申し訳なさそうに両手を上げた。
「いやあ、まさかこんなことになるとは思わなくて……魔法陣の略図、全部置いてきてしまったんだよね!」
「おまえほんっとうに役に立たないのな! 本当に手ぶらで来る奴がどこにいる!?」
腹から出した渾身の叫びが反響した。結界を破ろうと衝突し続ける蔦などには一瞥もくれず、エリアスを振り返っていた。
「第一お前の略図なんてぺらぺらの紙だろうが! 常にポケットに仕込んでおけよ!」
「だって、ポケットに入れておくと出し忘れて洗ったときに悲劇が起きるんだよ! 君知らないのかい!? でろでろにふやけた紙がポケットの内側に張り付いている様を!」
ルカは床に剣を叩きつけそうになった。寸前のところで堪えるが、呆れてものも言えない。
一番の強みを失ったエリアスは、それ以上弁解することもなく、情けない笑みを浮かべるだけだった。
「もういい、おまえはその辺で自衛でもしていろ! エマ、あいつのことは放っておいていいから強化の詠唱に入ってくれ」
「わかりました。……ですが、あの、先生はどのようにしてアリスさんに近づくおつもりですか? 失礼ながら先生の魔術は非常にレベルが低――――」
「それ以上言ったら俺は泣くぞ、この場で」
食い気味に言えば、エマはさっと口を閉じた。
ルカはため息をついてから剣をゆるく構えた。
再び魔力を流し込むと刃は美しい赤に染め上げられていった。この剣もまたルカの魔術具で、魔力を帯びることで切れ味が格段に良くなる。
ルカは剣を見つめてから足を一歩前に出して肩の力を抜いた。かつての動きを思いだすように、息を深く深く吸いこんだ。
ルカはライアンに一瞬目配せをしてから床を蹴る。ライアンは魔術を取り消すための詠唱を始めた。最後の一節まで言い終えると目の前にあったはずの壁が脆く崩れ落ち始める。壁を突き破ろうとしていた蔦は我先にと襲いかかって来た。
ルカは剣先をきらめかせながら、ためらいもせずに駆け抜けた。
ルカはほとんど生身のままで蔦の中へ飛び込み、剣を振るう。身体を回転させながら次々に切り落としては一歩ずつ着実に前に進んでいく。時々蔦が身体をかすめていくが、寸前のところでかわしては反撃に出た。
――――ルカの戦闘スタイルは、魔術師としては極めて珍しいものだった。
そもそも魔術師には戦闘を行わない者の方が多い。血生臭い戦闘を嫌い、学問主義を貫こうとするのがここ数十年の主流だ。自衛のための攻撃魔術すら習得しようとしない魔術師がいるなかで、戦闘だけに特化したルカは異端ともいえる存在だった。
つまるところ、ルカには崇高な理念などかけらもなかったのだ。
自分には与えられなかった才能を追い求めるようなことはせず、自分にしかできないことを突き詰めた結果が、魔術具による魔術戦闘であった。
普通魔術を発動するまでには詠唱や魔法陣の描画といったタイムラグが生じる。この工程にどれだけ時間をかけたかで威力が決まるが、ルカはこの考えを最初に捨てた。邪道ともいわれる魔術具を使うことで、ノータイムで攻撃に移れるようにしたのだ。
さらに魔術に頼り切った戦闘さえやめた。剣術を身に付けることで、大抵の魔術師が苦手とする近接戦闘を武器としたのだ。
代償として身の安全を差し出すこととなったが、ルカにとっての勝ち筋はこれしかなかったので甘んじて受け入れた。
「くそ、さすがに数が多いな……」
ルカは剣先を突き出しながらぼやいた。四方八方から伸びてくる蔦に、足が進まなくなってきたのだ。
アリスに近づくごとに蔦の動きは俊敏になり、確実にルカを捕えようとしてくる。すでにローブはところどころ破け、腕には絞められた痣ができていた。
途中で銃弾を回収してエリアスの方に投げたが、解析が終わったという声も聞こえてこない。
このままじりじりと追い詰められていく展開が見えてきて、ルカは手汗を滲ませた。
真正面から勢いよく伸びて来た三本の蔦を素早く切り伏せルカは浅く息を吸う。しかし背後から忍び寄る蔦には気が付かず、はっと振り向いたときにはもう遅い。
慌てて剣を構えようとするが、たった一秒が間に合わない。
「――――!」
傷を負いながらでも反撃に出る覚悟を決めたとき、詠唱する声が響き渡った。
「――――のようにことごとく切り捨てよ!」
エマの凛々しい声とともに、風の刃が視界を横切り、蔦を切り裂いた。開いた空間に身体を滑りこませてくるエマは髪を乱していた。
「先生、ご無事ですか!」
「悪い、助かった!」
ルカはほっとしたように息を吐きだした。芯まで冷え切った身体は思いだしたようにカッと熱を持ち、血の巡りが異常に早くなった。
ルカはエマの傍へと移動し、彼女を守るように剣を振るった。ルカに庇われているエマは口早に詠唱をし、二人が立っていられだけのスペースに小さな結界を張った。三分もつかどうかもわからない不安定な結界だったが、蔦による猛攻がようやく止む。
ルカはようやく一息つくことができて、肩を下ろした。
「……それで何故エマがここにいるんだ? ライアンを放っておいて大丈夫なのか? あいつ、戦闘はからっきしだっただろ」
「ご心配には及びませんわ。配置を入れ替えましたの」
「入れ替え……?」
「だって先生、エリアス先生のことをほとんど勘定に入れてらっしゃらなかったでしょう?」
「あっ」
ルカは思いだしたように声を上げた。そういえば彼のことをすっかり忘れていた。
エリアスは自身の研究成果である、魔法陣の略図を用いて戦う魔術師だ。
すでに紙に書かれた略図に対価――――横着した分だけ大抵高くつくのだが――――を支払って手早く魔術を発動させる。
だがその肝心の略図をすべて置いてきてしまったと言うから、ルカは彼を戦力外だと思い込んでいたのだ。
しかし彼はルカと違って、まともな魔術師である。正当な手続きを踏むことも彼ならできるのだ。完全に頭から抜けていたと言うルカに、彼女は苦笑いを返した。
「エリアス先生に術式を組んでいただいて、大規模な結界を完成させました。守りはすでに万全です。魔術分析は代わりにライアンが。終わり次第、思念魔術で伝えるとのことです。わたくしは手が空いてしまったので先生をお助けできます。背中はわたくしにお任せください!」
そう言ってエマは両手をぐっと握りしめた。なるほど、筋は通っているしよっぽど効率的だ――――ルカは数秒間考えこんだが問題に気が付いてしまい、首を傾げた。
「そうなると俺に強化をかけてくれる奴がいなくなるだろ。さすがの俺もきついぞ」
「そこもご心配なく。わたくしが強化と補助の両方をこなします」
「そうは言ってもおまえ、この状況で強化までできるのか? 相当忙しなくなるぞ?」
怪訝な顔つきで問いかけると彼女はにっと不敵に笑った。
「あら、先生。わたくしが器用なことをお忘れになったのですか?」
彼女らしい自身に満ち溢れた物言いに、ルカは苦笑しながら横髪を耳にかけた。
「……あー、そうだな。そういえばそうだったわ。おまえ俺の分まで吸収したんじゃないかってくらい器用だったもんな。さすが優等生」
「そういうわけで先生、ご一緒させていただきます。もうこの結界ももちませんし」
エマは言うが早く、魔術で作り出したらしいレイピアでドレスの裾から腰部分まで切り込みを入れた。
上質な布はあっという間に裂けて無残な姿へと変わってしまう。避けたところから白い太ももが晒されているから、淑女からは程遠い姿だった。
あまりの思い切りのよさに、ルカは唖然としてしまうが、エマは動きやすくなったと微笑んでいるだけだった。
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