第12話 もう少し図太くなれ
エリアスもさすがにまずいと思ったのか、そっぽを向くが、細い肩が震えている。ライアンは眉をひそめた。
「エリアス先生、今笑う場面じゃないと思いますけど」
「い、いや……私だってわかっているんだけどね、アレヴィの顔が面白くって……。ふふ……」
息を整えながら弁解しようとしたものの、ついに顔を覆ったまま天井を向いたエリアスに、ライアンが盛大なため息を吐いた。
「今回のことは素直に感謝していますけど、エリアス先生のそういうところは治したほうがいいですよ。そんなことばかりしているから、先生に嫌われるんじゃないですかね」
「え? 私は嫌われてなどいないさ! なあ、アレヴィ!」
「俺はおまえほど面倒くさい男はいないと思っているが?」
「そんな馬鹿な!」
エリアスは本気で驚いたように身を乗り出した。ルカはうっとおしそうに睨んだ。なおも食い下がろうとする彼を手でしっしと払い、改めてアリスの方へと視線をやる。彼女は伺うようにちらりと見上げてきたが、視線が交わった瞬間に瞳を揺らした。
「……ごめんなさい」
「だからなんで謝るんだ、おまえは」
「先生の嫌がること、しました」
「……否定はしないが、それくらいでいちいち謝られても困る。そこのエリアスなんぞ、俺の嫌がる顔を見るのが趣味みたいな男だぞ。あれに比べればおまえなんて可愛いもんだよ」
今回の恨みをたっぷり込めた目でじとりと睨んでやると、彼はへらへら笑った。
「さらっと私の悪口を入れてくれるね、君は」
「あいつはともかくとしてアリス、おまえは気にしすぎなんだ。もう少し図太くなれ」
ふっと息を吐く。ルカはなんでもないことのように、淡々とした口調で言った。視線だけをアリスに向けると、彼女は場の空気に促されるがままにこくっと頷いたが、表情はまだ固い。
「……悪いが、先に仕事の方を済ませてきてもいいか。後で戻ってきたときに全部話すから」
話を変えるように言えば、ライアンはむっとしたように唇を尖らせた。
「水臭いこと言わないでくださいよ。いつもみたいに僕たちも手伝います。いいよねエマ?」
「当然です。魔術具の調整でしたら、わたくしたちでもお力になれます」
ルカはつられて頷いた。そういえば昔はこの二人に手伝いをさせていたのだ、と今になって思いだした。エリアスに許可を求めるように視線を送ると、彼は軽く頷いた。
「助手扱いなら構わないよ。私はむしろここでゆっくりしていたいくらいだけれど、学院との仲介役だしそうもいかないなあ。どうせ君を案内するだけだし、手ぶらでいいかい?」
「ああ。説明だけきっちりしてもらえればな」
ルカはゆっくりと体重を前にかけて立ち上がった。つられてアリスもさっと腰を上げ、他の三人もばらばらに同じようにした。
研究室を出ようと数歩進んだルカは、ふと振り返った。かけてあるローブを取ろうと踵を返すと、先に気づいたアリスが手を伸ばした。布の重みによろめきながらも大切そうに抱え、小走りでルカのそばへやってきた。
ルカが「助かる」と言いながら手を出す。彼女はぺこりと頭を下げた。一部始終見ていたエマはぽつりと零した。
「……従者のようですのね」
ルカはローブを羽織りながら苦々しい顔で背を向けた。今でもアリスはこうだった。
一行はルカを先頭にして研究室を出た。
目的地は遠いので、適当に話しながら階段を下りていく。最初はルカのすぐ後ろにアリスがぴたりとついていたが、いつの間にか離れたところを歩いていた。彼女の近くにはエマいたので特に声をかけることなく、ルカはエリアスから雑談混じりの説明を受けていた。
それでもアリスの様子は気になるので時々耳を澄ませてみる。アリスとエマの二人はずっと無言のまま歩いていたはずだが、気づけばエマが話しかけていた。
「アリスさん」
「は、はいっ! ベルナールさん……ですよね」
「エマで構いません」
「エマ、さん」
「ええ。それでアリスさんに少しお尋ねしたいことがあるのですけれど、よろしいですか?」
「だ、大丈夫です」
アリスはかちこちになった声で、たどたどしく受け答えをしていた。若干声が裏返っていて、助け船でも出してやりたくなるような緊張ぶりだが、他人と話すという経験を積ませなければ彼女のためにならない。ルカは振り返ることもしなかった。エマは少し声を潜めて尋ねた。
「……アリスさんは、先生とどのようなお話をなさるのですか?」
「お、お話ですか?」
「アリスさんは先生と一緒に暮らしているのですよね?」
はい、と自信なさげに同意したものの、答えに詰まったのか、なかなか口を開かない。アリスはずいぶんと困っているようだった。エマは不思議に思ったのか「アリスさん?」と声をかけた。それにはすぐに返事をするのだが、肝心の質問には答えられない。
やがてアリスは意を決したのか、自分から話しかけた。
「あ、あの。エマさん」
「ええ」
「お話は、あんまりしません」
やっとのことで絞りだされた答えに、エマは黙りこんだ。二人の間に沈黙が流れる。沈黙を打ち破ったのもまたアリスだった。
「先生はお仕事の時間が長いんです。昼間はほとんど書斎で、わたしは中に入らないので……」
言い訳のように付け加えられた言葉に、ルカは目を伏せた。確かに間違ってはいないが、二人の間に会話が少ないのはもともとだった。顔を合わせている時間もそれなりにあるはずだが、必要なこと以外で話が弾むことはほとんどないのだ。
「そう……。そうでしたか」
エマはぼんやりとした声で返した。アリスは気付いていないのか必死に話しているが、エマの受け答えはどこか心あらずだ。それは何か考え事をしているときのエマの癖だった。
一体何に引っかかっているのか――――とルカも考えていると、隣のエリアスに肘でつつかれた。
「ちゃんと聞いているのかい、アレヴィ。私は同じことを二回言いたくはないよ」
「あ、ああ。今日は魔術具の確認で、本格的な調査はまた今度って話だろ?」
「なんだ、一応聞こえていたのか」
エリアスは意外そうに小首を傾げた。それから足を止めると、にやっと口角を上げた。
「さっきからずっと、後ろのアリスちゃんばかり気にしていたのにねえ?」
エリアスはわざとらしい口調で、階段中に響くような声で言った。ルカは一瞬ぽかんとした顔でエリアスを見返した。エリアスはからかうときのように、じいっとルカの反応を観察している。
ルカは頭の中で彼の言葉を繰り返し、その意味を理解するやいなや、声にもならない声を上げて、反射的にエリアスの肩を叩いた。骨を強かに打ち付けてしまったので、彼は情けない声で「痛い!」と叫んだ。
「肩がビリビリ痺れているんだけれど!? 今の割と本気で殴ったな!?」
「ばっ、ちがっ、違う!」
「後ろを向いていないで、私の文句を聞いてくれよ!」
彼が肩を押さえながら騒ぎ立てているのも構わず、ルカは振り返っていた。視線の先にはアリスがいて、突然のことに目を白黒させていた。完全に固まってしまっているのは、見ればわかることだというのに、ルカは必死に弁解を重ねた。
彼女の隣にいるエマも同じく、唖然とした表情でルカを見ていたが、アリスよりも早く我に返ると視線を落とし、考え事を始めた。癖のある横髪が頬を覆う。彼女たちより少し後ろを歩いていたライアンは、何か微笑ましいものを見るように目元を和らげた。
ルカは息継ぎもせずに、きっちり一分、理由らしきものを述べ続けた。
最後の最後でゴホゴホと咳きこんでから、一度深呼吸をして呼吸を整える。
「……というわけで俺はおまえのコミュニケーション能力をみていただけだ! わかったな⁉」
荒い呼吸のまま言い切って、ぴしっと指をさす。ルカは顔どころか耳まで真っ赤に染めていた。
「は……はいっ!」
アリスは雰囲気にのまれたのか、今までに聞いたことのないほどの大声で返事をした。階段を突き抜けるような高い声、彼女はぱっと口元を押さえた。
ルカと同じくらい顔を赤くした彼女は、慌てて顔を伏せた。ルカは若干冷静になり始めた頭で、彼女もこんなに大きな声を出せたのかと思った。
二人して顔を赤らめていると、少し離れたところから笑い声が聞こえてくる。まぎれもなくライアンのものだった。
「ふふ……ははっ……」
ライアンはくつくつと喉を鳴らしている。一部始終を眺めていたエリアスは唇を尖らせた。
「私には笑う場面じゃないって冷たく言ったくせに、君が笑うのかい」
「これは許されるでしょう。だって、こんな、年頃の女の子みたいな……」
ルカは何か言い返そうとしたが、その気力もなかったので、はーっと長いため息を吐いた。
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