第11話 迷惑極まりないですわね


 ひとまず研究室に留まることになったルカとアリスは、勧められるままソファに腰かけた。


 ルカは慣れた様子で背もたれに体重を預けどっしりと座ったが、アリスは緊張しているのか、肩に力を入れたまま黙りこくっていた。目の前に置かれた紅茶やマカロンにも手を付けようとせず、身体を小さくしている。


 ルカが初めてアリスに会ったときと似たような反応で、どうやら彼女は筋金入りの人見知りらしかった。


「ええと、とりあえず自己紹介からでいいですかね?」


 ライアンがそろそろと片手を上げる。全員が同意したので、ライアンは言葉を続けた。


「初めまして、アリスちゃん。俺はライアン・バレーヌ。先生の研究室に属していて、一年前までは先生の授業を受けたり研究を手伝ったりしていました。今はエリアス先生の研究室にいるんですけどね。それでこっちが――――」


 ライアンが首だけを動かしてエマを見る。エマはぴんと背筋を伸ばして座っていた。裾がふんわりとふくらみ、ギャザーの寄ったドレスは今の流行りだ。


「エマ・アンドレ・ベルナールです。わたくしも同じく先生の研究室に属しておりました」

「エマはベルナール家っていう名家出身なんだ。魔術師としては誰もが羨む一流だよ」


 ライアンが付け加えると、エマはむっとした顔で彼を見た。彼女の栗色の髪をまとめているリボンが揺れた。ライアンはわざとらく肩をすくめる。


「嫌味じゃないってば、本当のことなんだから。ひとまず、俺たちに関してはこのくらいかな。エリアス先生もついでに自己紹介をどうぞ」

「え? 私も?」

「アリスちゃんとは初対面なんですから、この機会にしておかないと」

「ええー」


 エリアスは子供のように口を尖らせた。


 面倒だとでも言いたげにソファに身体を沈めると、片腕をソファの背もたれに投げ出した。隣に座っているエマがうんざりとした顔でエリアスを見る。妙な迫力に気圧されたのか、エリアスは身体を起こすと襟を正した。


「私なんてそれこそアレヴィの同僚というだけで、面白くもなんともないのに……。でもまあ改めましてアリス嬢、私はエリアス・クレマン。この学院の教師をしているしがない魔術師さ。この研究室では魔法陣の略図を研究していて――――とかそういう話をしてもあまりわからないのかな? だったらそうだな、私の趣味はそこにいるアレヴィをおちょくって遊ぶことだよ」

「ふざけるな」

「迷惑極まりないですわね……」


 心からの非難を浴びているというのに、エリアスはへらへらと笑っていた。何を言っても意味がないことは誰もが知っているから、早々に諦めたライアンは彼から視線を外した。


「アリスちゃん、どう? これくらいでいい?」

「は……はい」

「あはは、そんなに緊張しないでいいよ。よかったらアリスちゃんのことも教えてほしいんだけど、いいかな?」


 ライアンは子供慣れしているのか、声のトーンを落とし優しい口調で尋ねた。柔らかく響くテノールの声と笑顔に安心したように、アリスはやや肩の力を抜いて頷いた。


「……アリスです」


 何をどこまで言えばいいのかわからない、と視線だけでルカに伺いをたててくる。ルカは彼女の言わんとしていることはわかっていたが、気付かないふりで少し首を傾げ先を促す。アリスは困惑したように目を丸くしたが、尋ねてくるようなことはなく、両手を握りしめるだけだった。


「こ、この前まではおじい様にお世話になっていて、今は先生と暮らしています。十三歳です。魔術のことはわかりません。他のこともあんまりわかりません」

「ああ、おじい様ってのは学院長のじいさんのことな」


 ルカは短く補足した。アリスの自己紹介はもう終わってしまったらしく、彼女は唇をきゅっと結んだままで誰かの言葉を待っていた。過去については意図的に話さないことにしたようで、彼らもあえて聞き出そうとはしない。一瞬沈黙が流れて再び話を切り出したのはエリアスだ。


「とりあえずアレヴィ、このまま仕事だけして帰るわけにはいかないだろ。君の可愛い生徒たちに、これまでのことを説明してあげた方がいいんじゃないのかい? 二人からすればある日突然姿を消した教師になっているわけだしさ」


 エリアスはにやにやとした顔で、ルカに視線を投げかけた。面白がっているだけだということはルカも分かっていたが、彼の言い分は間違っていないので言葉に詰まった。


 そわそわとした調子で腕を組んで考え込む。まだ話すには心の整理がついていないが、彼らに捕まった時点でこうなることはわかっていたので、ルカは諦めたように組んでいた腕を解いた。


 何から話そうかと思案していると、右袖が軽く引っ張られたような気がして、視線を向ける。アリスが困ったような表情でルカを見ていた。


「あの……わたしはいない方がいいですか」


 ルカは数回瞬きをしてから口を開いた。


「別にいればいいんじゃないのか。聞かれて困るようなことはしていないからな」

「でもわたしだけ関係ないです。……それに」


 アリスはそろえた足に力を入れる。ほとんど聞こえないくらいの、もごもごとした声で呟いた。


「いてもいいって言いながら、先生はすごく嫌そうな顔をしました……」


 ルカは呆気にとられたように、口を半開きにしたままアリスを見た。アリスはますます委縮したように膝の上で両手を握りしめた。研究室はしんと静まり返る。しかしエリアスが堪えきれなかったのか、口元を押さえたまま噴き出した。

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