第2話 一人で寂しく死ぬつもりかい?
「……はい、すべて受け取りました。今回もありがとうございます」
「こちらこそ毎度ごひいきに。お代は一ヵ月以内に頼む」
学院の担当者が事務的に頭を下げた。肩のあたりで切りそろえられた髪がさらりと揺れる。
いくつかの魔術具――――正確にはその核となる宝石――――を納品し終わったルカはすぐに腰を上げ、立てかけてあったステッキを手に取った。
部屋を出れば一階の廊下に繋がっている。ルカはハットを目深にかぶって、俯き加減に廊下を進んだ。誰かとすれ違いそうになったときには反射的に距離を取り、顔を背けた。
そうまでして視線から逃れようとするのは、この学院には特に会いたくない人間が数人いるからだ。
もしばったりと出くわしでもすれば、面倒なことになるのは目に見えていた。だからこそ出歩く人間の少なくなる授業時ばかりを狙って学院に足を運んでいた。
「――――やあ、アレヴィ!」
しかし時にはささやかな努力も無駄になることがある。真正面から向かってくる人影に、ルカはあからさまに顔を歪めた。
「……何の用だ、エリアス」
長く伸ばした髪を後ろで一つにまとめ、優雅になびかせているエリアスは、遠くから見れば女性のようだ。だが振り上げられた手の平は大きく骨ばっていて男性的だった。
「三か月ぶりにようやく会えたっていうのにその顔はないだろう? 私たちは唯一無二の親友だって言うのに!」
「ただの元同僚だ」
きらきらと瞳を輝かせている目の前の彼とは違って、ルカはげんなりとした表情で吐き捨てた。早く会話を切り上げたいという気持ちの表れだったが、エリアスは気付いているのかいないのか、速足に近づいてきてルカの肩を数回叩いた。
彼はルカの言葉通り、元同僚だ。
ルカが学院の教師をしていた頃は研究室が隣で、夜になると本と酒を抱えたエリアスに乱入されたものだった。彼にまつわる思い出にはろくなものがないのでルカはしっしと手で払った。
「来るな、構うな、早く仕事に戻れ」
「そんなに冷たいことを言わないでおくれよ。いやあ、それにしても本当に久しぶりだなあ。私もここのところ忙しくてね、君に連絡をする暇がなかったんだ。悪かったね」
「そうか。それは何より。もう少々忙しくなってくれればより良いな」
「どういう意味だい、それは! 私からの連絡が途絶えて寂しかっただろう!?」
「いいや、微塵も?」
「迷うそぶりもなく本音で言い切るあたり、いっそ清々しいね、アレヴィ。君のそういうところは嫌いじゃないけれど……」
エリアスは肩に落ちてきた髪を払った。最後まで言い切ることなく、思いだしたかのようにルカに目を遣ったまま言った。
「そういえば少し見ないうちに痩せたんじゃないか? 君、弟子に世話されないと睡眠すらまともに取らない体たらくだったくせに、一人で暮らせているのかい?」
エリアスはにこにこと笑みを浮かべたままルカの顔を覗き込んできた。誰が見ても屈託のない笑みだったが、ルカは一瞬目を合わせただけで視線を足元に落とした。
ただでさえ悪夢で目が覚めたのに、弟子という短い言葉で、刻まれた傷を針でえぐられたようだった。何より、ルカと弟子とのいきさつをすべて知っているはずのエリアスが、何気なく口に出したことが許せない。
「……あいつの話はしないでくれるか。頼むから」
絞りだすように言って拳をぎゅっと握りしめた。唇は固く結ばれている。ルカの顔を見た彼は面食らったように肩をすくめ、「失敬、失敬」と軽く手をあげた。
「だけどアレヴィ、そう嫌そうな顔ばかりするものじゃないよ。確かに弟子のことは不幸だったけれど、自暴自棄になって教師をやめたあげく、田舎に引っこんだのは良くないと思うね。エマちゃんとライアンくんなんて君の研究室にまでいれてあげた生徒じゃないか。二人に一言もなしに学院を去ったのは本当にどうかと思うよ。……ああ、そうだ、今からでもせめて会っていたらどうだい? 二人も君に会いたがっているんだし」
「っ、おまえには何の関係もないだろ! 俺が今さら他人と関わったりしても――――」
エリアスは認めるように大きく頷いてから、すっと目を細めた。
「じゃあ君はこれから先、誰とも関わらずに生きて、一人で寂しく死ぬつもりなのかい?」
彼の視線は真っ直ぐにルカの心臓を射抜くようだった。かけられたのは静かな言葉だ。ルカはとっさに何か言い返そうとしたが上手く言葉にならなくて、唇を薄く開いたまま瞬きを繰り返した。エリアスは促すように首を傾げるが、喉が震えるだけでやはり何も出てこなかった。
エリアスはふっと息を吐いた。最初のように明るい笑みを浮かべると、ルカの肩を二度叩いた。
「ところでアレヴィ、この後の予定はどうかな? もし時間があるなら私と一緒に――――」
さっさといつもの調子に戻ってしまったエリアスにはとてもついていけない。ルカはどうしていいかわからず、俯いたまま返事をした。
「断る……」
「早いな!? もうちょっとくらい考えてくれてもいいじゃないか! 礼儀ってものだろう!?」
エリアスはルカの腕を掴むと左右に揺さぶった。まるで子どものような振る舞いに、ルカはじとっとした目で彼を睨みつけた。彼があまりにも彼らしいから緊張はどこかへ消えてしまっていた。ルカはゆっくりと顔を上げると迷惑そうに眉を下げたまま告げた。
「じいさ――――学院長に呼び出されているんだ。何の用事かはまったく知らないが」
エリアスは意外そうに瞳を丸くしていた。素直に会いに行こうとするルカが物珍しく見えたのか、わずかに背を逸らしていた。
「送っていこうか」と言いだしたエリアスには丁重に断りを入れてから、ルカは背中を向ける。今日はステッキを持っているから移動にはそう困っていない。
何よりこれ以上エリアスと一緒にいると疲れ果ててしまいそうだった。彼とこんなに長く話したのは本当に久しぶりだ。
彼と別れたルカは、重い足取りで塔の外へ出た。やはり人目を避けるように端の方をひっそりと歩き、学院から遠ざかっていく。
エトワール広場まで戻ってきてからステッキを二度突いた。魔法陣が浮かび上がった瞬間、美しい景色がぐにゃりと歪んで気色の悪い浮遊感に襲われた。
次に瞬きしたときには、ルカは別の通りに立っていた。
「……あいつらに会っていけばいいって」
ここにはもう自分ひとりしかいなかった。ほっとして、ルカは思わずひとり言を零した。
「俺は全部放り捨てて逃げたんだぞ。今さら合わす顔なんてあるわけないだろ……」
ルカは細く息を吐いてから、頭を切り替えるように「どうするかな」と呟いた。目の前にそびえる学院長の邸宅を見上げる。ルカはしばらく家の前でうろうろとしていたが、狭い庭を突っ切り、ドアを軽くノックした。
学院長もむろん魔術師の一人である――――ノックの音を聞きつけたならソファから腰を上げずともドアを開けることができるし、何ならルカが庭に踏みこんだ時点で来訪に気づいただろう。だからルカはいつものように、ドアが一人でに開くのを待っていた。
「ん?」
待っていたがなかなか開かない。一分も経っていないがその短い間にもルカは不安になり始めていた。魔術師といえど人間であることに変わりはない。学院長もそれなりに歳をとっていて、会うたびに腰が痛いだの膝が痛いだのとぼやくくらいには老いている。
老人の一人暮らし、まさか家の中で倒れていたりはしないか――――とノブに手をのばす。
ノブに指先が触れたところでとまったのは足音が聞こえたからだ。トトトト、と軽快に音が近づいてきて、やがて扉がゆっくりと開かれた。
「いらっしゃいませ」
「…………は?」
ルカは呆けたような声を零した。
ドアの向こうにいたのは、学院長に似ても似つかぬ可憐な少女であった。
まだ幼さが残る顔つきからして十三歳か十四歳ほど。ブロンドの髪を長く伸ばしていて赤いリボンが映えている。
品のいいドレスを身にまとっていて貴族の娘のように見えるが、それにしては身体つきが貧相だ。
二人は沈黙のままに見つめあった。少女の方は居心地悪そうに首を傾げたが、ルカはドアの前で立ち尽くしているだけだった。
「あの……」
少女が絞りだしたのはそれだけである。気まずさを打ち破りルカの出方を伺うような声だ。それまですっかり黙りこんでいたルカは苦し紛れに口を開いた。
「…………隠し子か?」
学院長にはかつて一人の美しい妻がいたが数年前に先立たれている。二人の間に子供はなかったから家族というわけではない。だからこそ真っ先に思いついたのがそれだ。
「隠し子」
少女は機械的に繰り返すと、慌てて首を左右に振って否定した。
「じゃあなんだっていうんだよ、おまえは」
ルカが眉を顰めると、少女は困ったように視線を足元にやった。どうやら答えにつまるような関係ではあるらしい。このままでは埒が明かないと、邸宅中に響くような声で呼びかけた。
「おーい! じいさん、いるんだろ! さっさと降りてきて説明してくれよ」
少女は驚いたように肩をビクリと跳ねさせたが、ぐるっと身体の向きを変えて階段の奥、書斎の方を見た。すぐに足音が近づいてくる。老人らしいゆっくりと控えめな足取りだった。
「――――第一声が隠し子とは、君は私のことをなんだと思っているのかね」
ルカはハットを取り優雅に一礼する。
「いやはや失礼。ちょっとした冗談だよ」
「その割にはずいぶんと動揺していたようだがなあ」
黄色のガウンを羽織った七十歳ほどの老人、魔術学院の学院長・ジェラールが手すりに体重をかけながら階段を下りてきた。彼は少女を見遣ると皺の刻まれた顔に温和な笑みを浮かべた。
「アリス、その男は私の知り合いだ。そんなに緊張しなくてもいいよ」
少女アリスはこくりと頷いたが表情は硬いままだ。そんな彼女を見てジェラールは笑い、改めてルカの方へ視線を投げかける。
「ようこそわが家へ。ひとまず応接間へ移動しようか」
にこりと笑った彼だが、そういうときはろくでもない依頼をされることを、ルカは経験から学んでいた。
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