ルカの証明 魔術師たちとアリストロシュ

月花

第1章

第1話 おまえが幸せになれば、それでいいと


 魔術師という生き物は手段を選ばない。

 

 十九世紀フランス。この国もついに近代化を遂げ、鉄の塊が煙を上げながら走ろうというこの時代、魔術という技術は絵物語になって久しかった。


 それなのに未だ魔術とともにある彼ら魔術師には、彼らだけの世界を生きていた。魔術師という美しくて残酷な生き物たちは、たとえ時代が移り変わろうとも自分ひとりの小さな正義を信じきっていた。だからいつだって手段を選ばないのだ。


「ああ――――」


 なのにどうして自分はそうできないのだろう。


 手段ならいくらでもあった。選ぶ自由だってあったかもしれない。それでもルカはただ、ゆらりと手を伸ばすことしかできなかった。


 誰かの心を引きとめるような言葉は持ち合わせていなくて、けれど誰かの想いを打ち砕くだけの手段はとれなかった。


 細く吐いた息が白く凍てつく。月が陰ってあたりは光を失い、どうにもならないことを悟った。それでも彼は手を伸ばすだけだった。


「すみません」


 最期の望みはあっけなく裏切られた。遠くで影法師が揺れる。


「待ってくれ」


 ルカの喉は情けないほどに震えていた。魔術師らしからぬ心からの怯えだった。


「頼むから、待ってくれ。俺は、おまえに」


 とぎれとぎれに紡がれた声もぷつんと切れてルカは息を呑む。少年が振り返るのが気配でわかって、ルカは瞬きもできずに見つめていた。雪がちらついていた。


「先生」


 ああ、と短く返す。少年が薄く笑ったような気がする。


「ねえ、先生。どうして先生はあんな嘘を吐いたんですか」


 少年は悲しそうに唇を小さく動かす。胸には見たことのないブローチがあって、月光を反射して輝いた。それは彼がルカの敵に回ったことの証明だ。


「先生は、僕の仇を取ってくれると言ったじゃないですか。教会の人間を全員殺して、きっと僕の家族の仇をとるって僕に誓ってくれました。だから僕を弟子にして、魔術師にまでしてくれたんでしょう?」

「ああ……ああ、そうだ。俺は確かにそう誓った」

「でもあれは全部嘘でした。あなたは教会と戦うどころか、むしろその邪魔ばかり――――。先生はどうして僕を騙したんですか」

「それは」

「それは?」

「俺はただ、おまえが幸せになれればいいと、それだけを思って」

「……本当に?」

「ああ、本当だ」

「僕はそんなことを望んでいないと、先生は知っているのに、どうして――――」


 ――――ああ、知っているよ。俺は知っている。それでもおまえが復讐のためだけに生きるのは間違っていると思ったんだ。


 少年の足元に魔法陣が浮かび上がった。かすかに降り積もる雪の中で淡く光るそれに、ルカは声にならない声を零し、俯き、けれど薄い唇がゆっくりと術式を紡いでいた。それ以外の方法を思いつかなかった。たとえ傷つけてでもとめるしかなかった。


「――――!」


 真夜中のパリに互いを穿つ光がほとばしる。


 ルカは弟子に負けたことなどただの一度もない。だから結果など、わかりきったことなのだ。






「!」


 ルカは勢いよく上半身を起こしあたりを見回した。汗が首筋を伝っていく感覚でそれがかつての夢であったことを思いだした。


「くそ……」


 力なくうなり声をあげた。ベッドの上で黒髪をかき乱し身体を折り曲げる。肌はじっとりと汗ばんでいるのに身体の奥がやけに冷えていて、喉の奥がつかえていた。


 ルカは浅い呼吸を繰り返して恐怖をやり過ごすと盛大なため息を吐いた。


 かつて互いに裏切りあったあの弟子は夢幻で、目の前にあるのは書棚だけだ。とんだ悪夢だった、と呟いてからルカは顔をあげた。


「……今何時だ?」


 壁の振り子時計に目をやる。古びてはいるが正しく動き続けているそれは、ルカが寝過ごしたことをはっきりと示していた。思わず目を見開くが、軽く俯いて考えを巡らせる。


 そしてどう急いだところで約束に間に合わないことに気づいた彼は開き直り、いつも通り紅茶を入れることにした。


 寝巻きのまま寝室を出た彼はひとまずキッチンへ移動した。棚をあけカップと茶葉を取りだし、手早く湯を沸かす。しばらくすればぐつぐつとした音が聞こえ始めたから火を止めた。小鍋を持ち上げお湯をティーポットに注ぐ。三分かけてポットを温めてから一度お湯を捨て、今度は茶葉を一さじ入れる。これが美味い紅茶の入れ方だとルカに教えたのはかつての弟子だ。


 今までは弟子が身の回りのことをすべてやっていたから紅茶の入れ方などつい最近まで知らなかった。けれど彼はもういない。最初は火をつけるだけでも大仕事だったが、半年もたてばずいぶんと慣れた。今となってはメイドなしでもなんとか生活できている。


「先に仕事を終わらせておくか……?」


 軽く寝ぼけたままひとり言を零す。木のテーブルにおかれた砂時計をひっくり返し、ルカは二階の書斎へと向かった。


 書斎と言ってもほとんど物置部屋のようなものだ。壁にぐるりと沿うように置かれた書棚には魔術書が並び、それにも収まらないものは書棚の上や机、あげくの果てには床に積み上げられている。


 魔術師としてそれなりに長くやってきた彼にとっては、それでもほんの一部でしかない。パリから越してくるときにほとんど譲ってしまって、ここにあるのは引き取り手のなかったものか仕事をするうえで必要になるものだけだ。


 足の踏み場もないような床を器用に歩いたルカは、書斎机に並ぶ宝石の一つ、小ぶりのサファイアを手のひらに握りしめた。今から納品することになっている魔術具の材料――――ルカにとっての商品だが、最終調整をする前に寝てしまったのだ。


「魔術式、起動」


 ルカは呟く。その短い言葉でサファイアは熱を持った。魔術師にしてはずいぶんと機械的な詠唱を続ける。


「展開。出力最小……待機」


 書斎机の引き出しから懐中時計を取りだした。動く秒針を見つめながら「十秒後発動」と付け加えた。短い秒針が動ききったとき、サファイアは閃光を放つ。


「っ!」


 寸前に目を閉じていたが、それでも瞼の向こうが白く輝いているのがわかった。成功だ。ルカはサファイアとを机に残して書斎を出た。


 そろそろ紅茶の入れ時だ。腹はまったく減っていなくて、結局朝食を紅茶だけで済ませたルカは身支度をし始めた。


 白いシャツの上に黒のフロックコートを羽織り、ハットをかぶった。ステッキは十本ほど並んでいて持ち手にはどれも宝石が埋め込まれている。それらすべてがルカの魔術具だ。


 鏡に映る姿は魔術師というよりは、パリの紳士だった。


 懐中時計を取り出してみれば、さすがに家を出なければならない時間だ。取引先である魔術学院はパリの中心地にある。この家が建つフランスの片田舎・エソワからパリまでは相当な距離があって鉄道はまだこちらまで通っていない。


 さすがに馬車で旅する気にもなれずステッキで二度床を叩いた。コツコツと心地よい音が合図となって魔法陣が浮かび上がった。


「魔術式、起動」


 本来十節以上の詠唱が必要な魔術だが、たったこれだけの詠唱ですむのは魔術具のおかげだ。まばゆい光にルカの全身が包まれる。


 転移魔術特有の不快感――――身体の中身が浮くような気持ち悪さと激しい眩暈に息が止まるが、それも一瞬のことだ。


 気付けばあたりは薄暗く、遠くから人の声と音楽が聞こえていた。


 見渡してみてそこが細い裏路地であることはわかったが見覚えがない。痩せこけたドブネズミが足元をすり抜けていく。ルカは何度目かのため息をついてステッキをくるりと回した。


「着地位置が微妙にずれたな……? ここはどこだ?」


 水たまりを軽く飛び越え裏路地を抜ければ、すぐに大通りに出る。


「…………」


 延々と続く茂みと、格調高い様式で建てられた家々。ゆったりと広い道を忙しなく行き交う人。シャンゼリゼ通り――――パリで最も美しいと言われるその大通りの向こうにはエトワール広場が見える。あの広場が学院へたどり着くための扉だ。


 エソワからの距離を思えば誤差でしかないが、目的地ははるか遠くにうっすら見えているほどだ。初夏の日差しを浴びながら歩くなど想像するだけでうんざりしてしまう。ルカは思わず手元のステッキを見つめるが、思いなおしたように視線を前に戻した。


「……仕方ない、歩くか」


 誰かに言い聞かせるように呟いてからハットを深くかぶりなおし、足を踏みだした。


 ――――ルカ・アレヴィは魔術嫌いの魔術師だ。


 魔術はいつだって、思いだしたくもない記憶を鮮明によみがえらせる。

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