第16話 平均10分とは、何の平均時間?

慎一は慌ただしくベッドを飛び降り、バッグの中から同じ封筒を取り出すとベッドの上に戻り、自分の封筒を玲子に差し出す。


「ごめん。

 俺も持っていて、レイレイに渡すのを忘れていた。」


「もう、また、レイレイって。」


微笑む玲子を見て、慎一は玲子が怒っていないことがわかり、安堵のため息を吐く。


「で、これにゴムアレルギーって出ているの?」


「いいえ、これとは違う女性だけ検査で…」


玲子は言い難そうな声を出す。


「あ、いいよ。

 特には聞かなくいいから。」


「ごめんなさい。

 それで、アレルギーがわかって、多分慎一さんの持っているスキンではダメかと思います。

 何でも、特別な素材のゴムで出来ているスキンがあって、それを使わないと身体に悪い影響を及ぼすそうです。」


「悪影響って、アナフィラキシーショックか?!」


慎一の驚いた声に、玲子は小さく頷く。


「それで、今、取り寄せている最中で、その…。

 折角、慎一さんがその気になってくれたのに…。

 ごめんなさい。」


玲子は身体を小さくして、慎一に謝った。


慎一は、玲子がいじらしく、可愛よく思えて仕方なかった。


「レイレイ、気にしなくていいから。」


そっと、玲子の肩に手を回し、抱きしめる。


「ごめん。

 レイレイは、なにも悪くないよ。

 俺が、もっと気をつけるから。

 自分の欲求だけじゃなくて、レイレイの都合もきちんと考えるからね。」


勝手に一戦を済ませてしまった慎一は紳士的になっていた。


「また、レイレイを連呼して。

 でも、嬉しい。

 慎一さんが優しくて。」


コツンと玲子は額を慎一の胸に預ける。


玲子から、再び、芳しい香りが立ち上がり、慎一を誘惑する。


(い、いかん。

 ああ言った手前、ここは、忍の一文字だ)


なにが忍のか、当の本人もわかっていなかったが、慎一にとってはかけがいのない時間だった。


その慎一の気持ちを察してか、玲子は心の中で慎一に謝る。


(慎一さん、ごめんなさい。

 焦らしてしまって。

 ゴムアレルギーも嘘なの。

 もう少し、辛抱してね。)


検査では、性病やHIVの検査以外に確かにアレルギーも検査項目に入っていたが、花粉やハウスダスト、食物一般の項目しかなかった。


それら検査はHKLを始める前に玲奈の指定する病院で家主ともども受診し、結果をお互いに確認し合うルールになっていた。


玲子も慎一も、事前に綾瀬の務める病院で検査を受け、問題なしの検査結果を受け取っていた。


但し、玲子たち若い女性は、病気の怖さ、避妊の大切さ、精神的なケアを含め、必ず綾瀬の講義と問診を受けることになっていて、玲子は検査結果を受取りに行きながら、綾瀬のところを訪ねていた。


「嵯峨野さん。

 なにも問題なし。

 健康優良児ね。」


綾瀬は玲子の検査結果を診て、微笑む。


「あとは、ピルを出しておくからね。

 わかっていると思うけど、男性のコンドームは、例えピルを飲んでいても、感染症の予防という観点から、必ず、装着させなさい。

 ピルは、もしもの時のため。

 望まない妊娠を避けるためよ。」


「先生。

 ピルの服用を止めれば、普通に赤ちゃんが出来ますか?」


「ええ、ピルを止めれば、服用開始する前の身体に戻るわよ。」


「先生、もうひとつ、お聞きしたいのですが。」


「何かしら?」


「男のコンドームでアレルギーを起こすことがありますか?

 以前、何かの本で読んだことがあるのですが。」


「確かに、無いとは言えないわ。

 手術の手袋もゴム製だけど、アレルギー疾患用のものがあるから。

 でも、まれよ。

 今まで、ゴム製品でなにか気になることがあった?」


「いいえ、特には」


綾瀬は何かを思いついたように、ポケットを漁ると、なにかを取り出して玲子の前に置く。


「それ、一般的なコンドームだから、もし、気になるようだったら、10分くらい、膣の中に入れて、試してみなさい。

 具合が悪くなってきたら、直ぐ止めて、連絡して。

 いい?

 ちょっとでも、気分が悪くなったら直ぐによ。」


「分かりました。

 ありがとうございます。

 でも、先生?

 何で10分なのですか?」


「え?

 ああ。

 男が女の中で元気でいられるカラータイマーの平均時間かしら。

 でも、あくまでも平均だからね。」


綾瀬は、笑いながら玲子にウィンクをして見せた。


(平均10分かぁ)


綾瀬との会話を思い出しながら、玲子は慎一の部屋の片づけをしていた。


午前中、いろいろアクシデントがあり、結局、掃除が終わったのは昼を過ぎていた。


二人は、横浜駅に出て、モアーズの中で昼食。


「さてと、何を食べる?」


「慎一さんは、何が食べたいですか?」


「う〜ん。

 ハングリータイガーかな?」


慎一は目の前で大きなハンバーグの塊を焼いている店を見て言う。


「ハ、ハングリータイガー?!」


「ダメかな?」

「だ、駄目じゃないけど…」


(女性を連れていきなり炭焼きハンバーグですか?

 もう少し、お洒落な店でもって気を使わないのかしら。

 先週もファミレスだったけど)


「違う店にしようか?」


「あ、いいです。

 丁度、お腹も空いているので、ハングリータイガーにしましょう。」


玲子は笑顔で答えたが、目は笑っていなかった。


しかし、食事が終わり、店から出て来た時はご機嫌だった。


「美味しかったですね。

 私、ファンになりそう。」


思った以上にハンバーグが美味しかったのと、慎一の話も面白かったので、玲子はご満悦だった。


それから二人は喫茶店でコーヒーとデザートのケーキのティータイム。


他愛のない話で盛り上がりを見せる。


もともと玲子は聞き上手に話し上手もあり、慎一のくだらない話も玲子のツボに入ったのか、二人のテーブルは賑やかだった。


喫茶店を出ると、玲子の頼みで、二人で紳士服売り場や、モアーズを出て紳士服専門店を覗く。


「慎一さん、色付きのワイシャツとかは着ないのですか?」


玲子はピンク色のワイシャツを手に取って慎一に当てて見る。


「色柄ものは考えたことないな。

 ほら、仕事柄、堅い頭のお客さんが多いから、中には色ものなんてって言うお客さんも少なくないから。」


「ふーん、石頭のお客さんが多いのですね。

 で、なんて言われるの?

 『ちゃら系でまかり通らぬ』とか?」


玲子は水色のワイシャツを手に取り、慎一に当ててみる。


「ピンクもいいけど、やっぱり水色かな」


「う、うん。

 色柄ものは持っていないから、直接、何かを言われたことないな。」


「え〜?!

 じゃあ、オッケーかも知れないじゃないですか。

 そのお客さんのところに、色柄ものを着ているお洒落な方はいないのですか?

 うちの大学は、研究員や、助教授の方とかお洒落な方いますよ。」


「う〜ん。

 でも、会社では昔からの言い伝えだからなぁ。」


「言い伝え?!

 いつの時代の話ですか。」


玲子はおもしろそうにケラケラと笑う。


「まぁ、江戸時代じゃないことは確かか。」


慎一もつられて笑う。


店を出る時、ワイシャツを見ていた玲子の目が輝いたのを慎一は気がつかなかった。


そのあと、夕飯の買い物をして二人はマンションに戻る。


「本当に今晩、カレーライスで、いいのですか?」


アイロンを掛けながら、玲子は聞き直す。


「ああ、久しぶりにお手製のカレーが食べたい。」


「いいですが、スパイスも無くて、市販のカレーのルーですよ?」


「それでも、十分だよ。

 レイレイが作ってくれるなら、レトルトを温めただけでもいいよ。」


「まあ、それじゃ、私のカレーはレトルト並ですか。」


玲子は少しムッとした顔をする。


「あ、いや、そんなつもりじゃ…」


「いいですよーだ。

 見ていてご覧なさい。」


玲子の闘士に火がついたようだった。


既に、鷄の手羽元に、玉葱、人参、セロリ、その他数種類の野菜、香辛料を入れて煮込んでいるカレーのスープのナベから良い香りが漂っている。


「でも、あのお店、鷄のガラを置いていないのだもの。

 おかげで、手羽元で代用することになってしまったけど、上手くスープが出るかしら。」


(いやいや、普通のスーパーで鶏ガラは売っていないって。

 まあ、手羽元も骨だと言ったのは俺だけど、十分に手が込んでいると思うよ。)


慎一は漂ってくるスープの香りを嗅ぎながら胸を膨らます。

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