第14話 もしかして“あげまん”?
慎一が待ちに待った週末の日曜日。
朝の7時30分に玲子がマンションにやってくる。
玲子は、明るい色のチェック柄のワンピースを着ていた。
慎一の部屋のドアフォンを一度だけ鳴らして、慎一の返事を待たずにスペアキーを使ってドアを開けて、中に入って来る。
特に何時から何時までというHKLの時間は決めていなく、慎一は玲子の都合、要は玲子の好き勝手に任せるとした。
その代り、慎一も朝は寝ているかもしれないので、そこは配慮して欲しかったが、そんなことを気に掛ける玲子ではなく、逆に規則正しい生活が健康の源だと考えていた。
ただし、疲れの回復も大事なので、なるべく休ませるように家事は全部自分でやるつもりでいた。
「慎一さん、おはようございます。
起きていますか?」
ベッドの上で布団をかぶった慎一は、もそもそと動き出す。
「朝ですよー!
昨日も夜更かししたのですか?」
玲子はそう話しかけながら、部屋の中を見渡す。
部屋の中は小ざっぱりと片付いていた。
(うん。
整理整頓も健康的な生活に欠かせない要素です)
玲子からみると片づけ方は今ひとつだったが、慎一にしては上出来だったので、玲子はひとり頷く。
「あ、レイレイ、おはよう。」
布団の中からパジャマ姿の慎一が上半身を起こして玲子を見つめる。
「また、そう呼ぶ。
さっ、目が覚めたら着替えて朝ご飯にしましょう。
今日は、サンドウィッチを持ってきましたよ。」
玲子はパジャマ姿の慎一にドキドキして、少し顔を赤らめる。
「お、いいね。
早く着替えなくちゃ。」
慎一は、パジャマを上のボタンを外そうとして、玲子の視線を感じたが、気にせずに上半身裸になる。
「まっ?!
また、目の前で裸になる。
きゃ〜、変態!
痴漢に襲われる!
誰か、たすけて〜」
「あわわわわっ」
大声、と言っても近所に聞こえる程の大声ではなかったが、玲子に悲鳴を上げられ、気を動転させた慎一は、何を思ったのか玲子を後ろから抱きしめ、その口を手で塞ぐ。
「あっ!」
大人しくなった玲子に慎一は正気を取り戻し、玲子の顔を覗き込む。
玲子は怒りに顔を真っ赤にして、その目には、涙をいっぱいにためていた。
「ご、ごめんなさい。
本当、ごめんなさい。」
慎一は玲子から手を離し、頭を深々と下げて謝る。
しばらくしても、玲子に動きを感じ無かったので、慎一は恐る恐る顔を上げると、玲子の平手が顔面に向かって来るのが見えた。
(叩かれる)
慎一は咄嗟のことと言っても、玲子に叩かれても仕方ない酷いことをしたと、目を閉じて身体に力を入れた。
しかし、慎一の頬に触れたのは、玲子の柔らかい手の平だった。
「!」
慎一が驚いて顔を上げると、玲子がまだ目に涙をいっぱいに溜めたまま微笑んでいた。
「怖かったんだから。
押さえられ身動き取れなくて、本当に怖かったんだからね。」
玲子は自分もふざけ過ぎたのと、慎一が心の底から謝る姿を見て、改めて自分を大事に思っていると認識して怒りが引いていた。
「ごめんね、レイレイ。」
「また、その名で言う。
…
ところでいつまで裸なんですか?
今度こそ警察を呼びますよ!」
「うわぉ!
ごめんなさい。」
慎一は着替えを持って洗面所へ走り込んだ。
(しかし、まずかった。
あんなに、レイレイを怖がらせるなんて。
女の子なんだから、もっと気をつけてなくちゃ。
…
でも、レイレイ、柔らかな体で良い匂いだったなぁ。)
慎一は玲子を抱きしめた時の感触をあらためて思い出すと、慎一の男性がムクムクと起き上がり、着替えが終わっても、しばらく洗面所から出ることができなかった。
(でも…、でも、身動き出来なかったなぁ。
力が強いのは確かだけど、慎一さんの身体、温かいし。)
玲子はボーッとしながら、慎一が抜け出した布団を整える。
(あら?
この匂い。
そうだ、さっきも慎一さんから匂っていた香りだ。)
ほんのりだが、慎一の布団から石鹸のような香りがする。
(これは、この前、慎一さんに買わせたボディソープの匂いだ。
慎一さん、ちゃんとあのボディソープで体を洗っているんだ。
変な香水の匂いより、こっちの香りの方が慎一さんに合っていて良いわ。)
玲子は、洗面所の方を伺い、慎一がまだ出てこなさそうなことを確認すると、そつと、布団の上にうつ伏せで横になる。
(温かいし、いい香り)
うっとりと目を閉じて、しばらく慎一を確かめるように玲子は横になっていた。
何とか男性自身を鎮めた慎一が、洗面所から出てくると、玲子が忙しなく布団を直しているのが見えたが、服装や髪型が少し乱れているように思えた。
「?」
「ど、どうしました?」
「いや、布団直すのも大変かなと思って。」
「な、なんでですか?
大丈夫ですよ。」
「ほら、髪やせっかくの素敵なワンピースが少し乱れているから。」
「え?!」
玲子は顔を赤らめ、小走りに洗面所に入っていく。
身なりを整えて出て来た玲子は、涼しい顔をしていた。
「さあ、朝ご飯にしましょう。
慎一さん、ワンピースを誉めて頂き、ありがとうございます。」
何事もなかったように、微笑む玲子。
「う、うん。」
(やっぱり、レイレイはワンピースでもなんでも似合って可愛いいな)
鼻の下を伸ばす慎一。
テーブルについて玲子が取り出したサンドウィッチを見て、慎一は目を見張る。
サンドウィッチと言われ、パン屋さんで売っているようなサンドウィッチ用のパンにハムが挟んであったり、卵が挟んであったりする定番のサンドウィッチを想像していたが、玲子が取り出したのは、美味しそうな山高パンにレタス、トマト、厚切りハムにチーズと卵をトッピングしたサンドウィッチに、レタスと厚い肉のカツが挟まったサンドウィッチだった。
両方とも豪華で美味しそうなのと、ボリューム満点で、慎一でもその二つを食べれば満腹になること間違いなしだった。
玲子ほ、自分ようにバターロールのパンにレタスや玉子、ハムなどを挟んだものと、マーマレードのようなジャムを挟んだものを持って来ていた。
「慎一さん。
足りなかったら、オレンジや苺のジャムを挟んだバターロールもありますからね。
ジャムは、自家製ですが、味は保証しますよ。」
玲子は楽しそうに微笑む。
「す、すげぇ、美味そう。」
慎一は、その一言を言うのがやっとで、手を伸ばし、厚切りハムの入ったサンドウィッチを手にとると、"いただきます"と言ってひと口頬張る。
「ん〜、ん〜。」
そのサンドウィッチのあまりの美味しさに、言葉にならず、唸り声をあげる。
「どう?
美味しい?」
サンドウィッチを口に頬張ったまま、慎一は首を縦に何度も何度も振って見せる。
口の中の物を飲み込むと慎一は感激したような声を出す。
「すごく美味しいよ。
こんなの初めて食べた。
でも、これだけのものを作ると、一体、朝何時、起きるの?」
「サンドウィッチは楽ですよ。
前の晩に具材は用意して、朝、挟むだけだから。
今朝は起きたのは、4時半ごろです。」
「えっ?!
よ、4時半?
そんなに早く起きて、俺のためにサンドウィッチを作ってくれたの?
なんか、滅茶苦茶嬉しいけど、滅茶苦茶申し訳ない。」
「そんな大袈裟な。
大したことないですよ。」
慎一の反応を見て、玲子は嬉しそうだった。
慎一は、ひとつ目のサンドウィッチを平らげ、ふたつ目のサンドウィッチにかぶりつく。
ふたつ目のカツサンドは、肉は分厚いが柔らかく、また、掛かっているソースが絶妙な味でひとつ目に負けないくらい絶品だった。
(しかし、美味い。
素材も良くて、腕もいい。
でも、もしこの子と結婚出来たとしても、こんな高級な材料を買ってやれるほど給料は貰っていないしなぁ。
やっぱり、高嶺の花かな…)
美味しければ美味しいほど、慎一は複雑な気分になって行く。
「?
慎一さん、どうかしましたか?
カツサンドは、美味しくなかったですか?」
複雑な顔をしている慎一を見て、心配そうに尋ねる。
「いや、こんなに美味しいカツサンドをどうやって作ったのかなって考えていたんだよ。
本当に、美味しいね。」
「うふふ、実はですね〜、ちょっとした秘密があるのです。
まず一つ目は、パン粉。
サンドウィッチに使っているパンでパン粉を作りました。
なので、パンとの相性は抜群。
二つ目は油。
ラードを使っています。
三つ目はお肉。
神奈川のブランドポークで、赤みが柔らかく、脂身が真っ白なのが特徴です。
最後はソース。
これが自家製で、一番作るのが大変なものですよ。
野菜が6種類、果物が2種類、調味料、スパイスやハーブが10種類くらいでいつも同じ味になるとは限りません。
今日のは、美味しくできた逸品です。」
嬉しそうに解説する玲子。
その笑顔は慎一にとって掛け替えのないモノになっていた。
(可愛いなぁ。
でも、今の俺の給料じゃ、こんな料理は絶対に無理だな。
それに他にもお金がかかるだろうな。
洋服だとか、化粧品だとか、美容院にお小遣いだとか…)
実は玲子自身は倹約家で無駄遣いはしないのを慎一は知らなかった。
(でも、この子の笑顔は女神様のようだし、絶対に失いたくない。
そうだよ、この子が傍に居れば、俺は何でも出来る気がする。
仕事、頑張ってみようかな)
慎一は、仕事に対し特に欲はなく、決められたことをやって、決められた給料をもらうことで満足していた。
仕事に対するその気持ちが、少しずつ動き出す。
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