第13話 ネクタイひとつで気分は変る

火がつけば、あとは玲子の手にかかり、次々と料理が出来上がってくる。


中に甘い溶き卵が入った野菜炒め、ランク外の和牛の焼肉、大根の煮物、ワカメとトマトのサラダ、キャベツのお味噌汁。


そして、慎一が心配していたゴハンも程よく炊けていた。


「すごいね。

 他には何が作れるの?」


テーブルの上に並んだ夕飯を見て、慎一は感激していた。


「材料さえあれば、何でも作れますよ。

 舌平目のムニエルとか、フカヒレの姿に、ボルシチ、サムゲタン、天ぷらとか。」


「カレーとか、ハンバーグは?」


「作れますよ。

 カレーは、スパイスの調合から、ハンバーグはミンチにするところから。

 牛肉と豚肉の合い挽きで割合が鍵を握るんですよ。

 あと、スパイスも気候に応じて少し変えるとか。」


真剣に説明する玲子を見ながら、一度は食べてみたいが、お金が続かないなと慎一は複雑な気分になる。


「ともかく、せっかくのご飯が冷めてしまいます。

 食べましょう。」


「そうしよう。

 いただきます。」


「召しあがれ」


そう言う玲子な笑顔を見て、慎一は嬉しさいっぱいだった。


妹が出て行き、実家に戻る時以外は、いつも1人でお弁当を食べている日々。


それが当たり前と思っていたが、心の中では寂しさから、誰かにそばに居て欲しいという渇望があった。


それをいきなり玲子という最高の女性が自分のために食事を作り、一緒に食べてくれ、慎一の欲しかったものを満たしてくれる夢のような現実が目の前にあった。


なによりも玲子の手料理は最高に美味しかった。


慎一は食べながら、ずっと笑みが絶えなかった。


「どうですか?

 お口にあいましたか?

 肉が硬くて美味しくないですよね。」


いつもランクの高い肉を食べている玲子にとつては、目の前の肉がゴムのように硬く感じていたが、慎一にとっては普通以上に柔らかく美味しかった。


「全然、柔らかで美味しいよ。

 本当に美味しい。」


喜んで食べている慎一を見て、玲子も硬い肉が美味しく感じるような気がしてきた。


慎一は、野菜炒めも煮物もサラダも自分の身体に染み渡る気がした。


(本当に美味しそうに食べてくれること)


幸せそうに食べている慎一を見て、玲子は嬉しさと、充実感にいっぱいになっていた。


鍋で炊いたご飯も空になり、玲子は自分の作った料理をここまで食べてくれた人を見たことなかったので目を白黒させた。


「レイレイ?

 どうしたの?」


「またぁ。

 いえ、家だと両親だけなので、こんなにたくさん食べてくれる人を見たことなかったので。」


「いや、レイレイが作ったから美味しいんだよ。」


お世辞でもなく、本心から言っているのがわかり、玲子は小躍りするように嬉しかった。


「今度は、慎一さんが食べたいものを作りますから、言ってくださいね。」


「わかった。

楽しみだなぁ。」


満遍の笑みを浮かべる慎一を見て、玲子も口元を緩める。


夕食が終わり、後片付けをした後、慎一は白い封筒を玲子に手渡す。


「?」


玲子は何が入っているのかわからないようだった。


「ごめん。

 早く渡そうと思ったんだけど、渡すタイミングが無くて。

 HKLのお金だよ。」


「まぁ!

 私も忘れていました。

 ありがとうございます。」


玲子は笑顔でお辞儀をすると、受け取った封筒をバックの中に仕舞う。


「ちゃんと確認してね。」


「はーい、後で確認します。」


玲子は鼻唄を歌うようにご機嫌だった。


「そうだ、慎一さん。

 ネクタイとか、会社の小物はどこにあるのですか?」


「え?

 ネクタイはタンスの中。

 いつもは、椅子にかけたりしているんだけど、今日はレイレイかくるから片付けたんだよ。」


「もう。

 いつも通りにしてくださいって言ったのに。

 どれどれ。」


玲子は慎一に言われたタンスの中からネクタイを取り出す。


「ほら、シワになっていますよ。

 仕舞うことであれば、シワを伸ばしてキチンと畳んで入れないと。

 面倒なら、どこかに掛けて吊って置かないとダメですよ。」


玲子はアイロン掛けをしたワイシャツを吊ってあるラックに空のハンガーを掛けて、器用にネクタイをふんわりと結び付ける。


「これなら、毎朝、気分に合わせたネクタイが選べますよ。」


そう言いながら、慎一のネクタイの趣味にため息をつく。


慎一のネクタイは年相応ではなく、地味で見栄えも何もない色柄だった。


「さて、もう遅くなるので、今日は帰りますね。」


「わかった。

 駅まで送るよ。」


「ありがとうございます。

 そうそう、慎一さん。

 ちょっと。」


玲子は慎一を手招きして、内緒話しをするかのように、話しかける。


「なに?」


慎一は耳を玲子の方に向け、膝を少し曲げて玲子の口もとに近づける。


玲子の甘い香りを強く感じ、頬に玲子の柔らかい唇の感触を感じた。


「レイレイ?」


「またぁ。

 でも、ごめんなさい。

 今日は、ここまでで勘弁してくださいね。」


頬を赤く染めて恥ずかしそうな玲子を見て、慎一は声も出せずに何度も頷いていた。


駅までの道の途中で、慎一は何かを思い出したように声を上げる。


「そうだ!

 握手会!!」


「え?

 もう!」


玲子は恥ずかしそうに、そっと慎一の手を握る。


「これでいい?」


「この方がいい。」


玲子の手は柔らかく、そして温かかった。


二人は駅まで手をつないで歩いていた。


週中、慎一が会社から帰ると、玲子が来たようだった。


テーブルの上に、可愛い袋に入ったクッキーとメモが残っていた。


慎一は、玲子に言われた通り、ネクタイをハンガーに掛けようとして、目を疑う。


ハンガーにかかっていた地味なネクタイは全てなくなり、代わりに慎一の年相応の模様の入った明るいネクタイやオシャレな黒っぽいネクタイなどセンスの良いネクタイが毎日取り替えられるように5本吊ってあった。


「え?

 ええ〜?!

 こんなネクタイ、巻いて会社に行ける訳ないだろう。」


慎一は急いでテーブルの上にある玲子のメモを手に取って読み始める。


《慎一さんへ。

 お仕事、ご苦労様です。

 今日は、慎一さんにプレゼントを持って来ました。

 もうお気づきのことと思いますが、私が、慎一さんがしたらきっと似合うだろうと思ったネクタイです。

 慎一さんはいつも忙しく、中々服装まで気が回らないのだろうと思います。

 でも、服装も大事な身だしなみですので、年相応のネクタイをした方がいいと思います。

 最初は抵抗があると思いますが、是非、巻いて行ってください。

 そうじゃないと、私は悲しくて泣いてしまいますよー。

 そうそう、新しいネクタイをしたら、その姿を写メで送ってください。

 当然、上半身で顔付きでね。

 よろしくお願いします。

 追記

 テーブルの上に焼いたクッキーを置いておきましたので、召し上がってくださいね。

 玲子》


しっかりした字体と文章の中に若い女性っぽい文章が混在し、読んでいる慎一はほんわかした気分になる。


(クッキー、この前もお手製だったのか。

 でも、作り物以上に美味いや。)


慎一は、玲子のメモを置くとクッキーを一つ口に入れる。


クッキーは噛む間もなく口の中で溶けるように広がり、甘い味がまるで玲子の笑顔のように感じられた。


クッキーの味を楽しみながら、慎一は再度、玲子の買って来たネクタイを眺める。


「せっかく、レイレイが俺のためにと買ってきてくれたんだから、して見るか。」


初め見た時は、恥ずかしく思い会社に巻いて行けないと思っていたが、クッキーを食べ、あらためて吊ってあるネクタイを見ると恥ずかしいがまんざらでもなく、巻いて行こうと思い直した慎一だった。


翌朝、玲子の買って来たネクタイの前で慎一は立たずむ。


「さて、どれにしようか…。

 みんないいんだけど、なんだか小恥ずかしいなぁ。

 これかな?

 いや、これかな?

 うーん、どうしよう…」


散々、迷ったあげく、結局、吊ってある順に右から取ることにした。


選んだネクタイは明るい柄物で、巻くといつもと違い、なんだか自分が若々しく見えた。


「へぇー。

 ネクタイひとつで感じが変わるもんだな。

 恥ずかしいけど、何故だか気持ちが明るくなった気分だ。

 そうそう、写メを送るんだったな。」


慎一は照れくさかったが、ネクタイを巻いた姿を自撮りして、玲子にメールすると、まるで待っていたかのように、玲子から返信が届く。


《慎一さん、おはようございます。

 ネクタイしてくださって、ありがとうございます。

 見立ての通り、良く似合ってますよ。

 素敵です。

 お仕事、頑張ってくださいね。

 では、気をつけて行ってらっしゃい。

 玲子》


短い文章だったが、読み終えると、慎一は自然と笑みを零した。


一方、玲子は慎一の写メを見て笑っていた。


「やっぱり、予想通り、右端から順番に着けていくつもりね。

 可愛いい。

 うん、今日のネクタイは良く似合っているわ。

 次は…」


最後に頷くとメールを閉じて、玲子は大学に向かうために家を出る。


それからの平日、慎一は更にご機嫌だった。


週末には玲子に会えることが楽しみな上に、平日の朝は、玲子の"いってらっしゃい"メールで会社に行けるからだった。

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