第7話 秘密
慎一と別れた帰りの横須賀線の中。
玲子は、ひとりぷんぷんと腹を立てていた。
「だいたい、初めての女の子とデートの時、お昼ごはんを食べに中華街へ行ったのに、有名店じゃないし、有名店じゃなくても、綺麗なお店ならまだ我慢ができたのに、なに、あのお店。
場末のラーメン屋じゃない。
それも海鮮ラーメンに、チャーハンですって。
女の子が喜ぶと思っているのかしら。
でも、美味しかったな…。
ああ、そう思うと余計に腹が立ってくる。」
お昼ごはんを食べに入ったお店は、慎一のお勧めの店だったが、小さくてお世辞にも綺麗とは言えなかった。
玲子は綺麗で有名店で、しかも、個室でゆっくりと美味しい中華料理を食べるものだとばかり思っていたが、入ったお店はコンクリートの床が剥き出しで、テーブルも円卓ではなく普通の四角いテーブル、椅子は背もたれなしのドーナツ形の椅子、壁には、メニューの他に民芸品のようなものが飾ってある普通の中華料理店だった。
玲子は唖然としたが、慎一が先にどんどんと店の中に入って行くので、仕方なく後について入って行った次第だった。
玲子にとっては町の中華料理店のようなお店は初めてで、大学の食堂、カフェ、悪くてもファミリーレストランだった。
しかし、文句とは裏腹に店の雰囲気に興味が湧いたのと、何より出て来た料理が思いの他美味しかったので楽しんでしまったが、それに悔しくて、その後、慎一を焚きつけ、公園近くのニューグランデホテルでケーキセットを食べ、溜飲を下げたのだった。
玲子の家は、横須賀駅からバスで20分ほど奥まったところにあり、門構えが立派な古い建物だった。
玲子が近づくと家の前に黒塗りのハイヤーが駐車していた。
玲子は車の中の運転手に会釈をすると車から横をすり抜け、門をくぐって敷地に入る。
数日前に庭師がやってきたせいか、広い庭も綺麗に整備されて静寂な空間になっていた。
その庭を抜け、母屋の玄関を開け、中に入る。
「ただいま。」
玲子が言うと、奥から、母親の雅子が迎えに出て来る。
「おかえり。
華子が来て、あんたのこと待っているよ。」
「お姉様が?
そうか、外のハイヤーは、お姉様だったのね…」
玲子は一瞬顔を曇らせ、姉の待っているというリビングに向かう。
玲子の家族は、両親と8歳離れた姉の4人家族で、父親は病気で長期に渡り入院生活を余儀なくされて不在、姉の華子は大学卒業後、官庁のエリート職員と見合い結婚して家を出たので、家には普段、玲子と母親の雅子の二人だけだった。
玲子がひとりでリビングに行くと、華やかな服を着て、モデルのように化粧をした華子が待っていた。
華子は派手好きな性格で、格式を重んじる父親とよく衝突していたが、結婚を機に父親から離れたため、自分の好き勝手に生活を送っていた。
「玲子、遅かったわね。」
「お姉様、いらっしゃい。」
「あなた、相変わらず、良い子なこと。
どう?
あの件は、順調?」
玲子は顔を強張らせて、頷く。
「ならばいいけど。
あなたが、私の旦那にいい感情を持っていないのを知っているから、体外受精の代理母は目をつぶって、旦那にわからないようにあなたの好きな人との間に出来た子供をと思っているんだからね。
わかっている?」
玲子は黙って頷く。
「あんまり時間がかかると、旦那に疑われちゃうから。
そうした、この計画はおじゃんよ。
私が子供を作れる体だったらこんなお願いしなくても済むのだけれど。
私としても、可愛い妹に意に反する人の子供を妊ってなんて言いたくないし。
本当は、直ぐにでもと言われていたけど、心の準備や学業もあるからって、半年猶予をお願いして、すでに2か月以上経とうとしているんだからね。」
「はい、お姉様」
「あ、電話だわ。」
華子は立ち上がり、玲子に背中を向けると、スマートフォンを耳に当て、電話の相手と話はじめる。
「なあに?
今晩、大丈夫かって?
大丈夫よ、旦那には同窓会で遅くなるって言ってあるから…」
電話の相手と楽しそうに話す華子を玲子はじっとみつめていた。
玲子と華子は、実の姉妹でありながら背格好、顔付き、性格と全ての面で異なっていた。
玲子はよく華子と自分を太陽と月に例えていた。
華子は、モデルのように背が高く、細めだが、抜群のプロポーションをほこり、ウェーブのかかった肩の下までのばした明るい茶色に染めた髪、素も美人顔だが、化粧映えする派手な顔。
性格も派手で、常に誰かに注目されていないと気が済まなく、自己顕示欲とプライドの塊りのような人物だった。
玲子は、年齢が8歳と離れている華子に小さい時から憧れ、華子の付き人のように常に付き纏い、華子から用事を頼まれるのを生き甲斐としていた。
華子も玲子の気持ちを察していて、玲子が喜ぶように、上手に面倒な用事を押し付けていた。
華子の夫の前原正樹は、某官庁のエリートで、親も同じ官庁のトップまで登り詰めたエリート一家の長男で、お金に不自由することなく、なんでも変え与えられ我儘に育ったせいか、自分より上だと思う人間には媚び諂い、下だと思う人間や、気に入らない人間に対しては、人間扱いをしないという捻じ曲がった性格の上、母親から大事に育てられた影響でマザコンでもあった。
結婚して直ぐに正樹の性格を見抜いた華子は、正樹の母親に擦り寄り、しっかり信頼を得ると、それを利用して正樹を上手く手懐けることに成功した。
玲子も何度か会ううちに正樹の性格がわかり、嫌悪感から、避けるようになっていた。
その正樹の母親と華子の関係が少しずつおかしくなってくる。
それは、正樹と華子の間に子供が授からないことに起因していた。
正樹の母親は、早く孫が生まれ、正樹の次の代が出来ることを切に願っていたが、待てど暮らせど、一向に授かる気配がないことに痺れを切らせ、二人に不妊治療を迫り、そこで初めて華子が子供を作ることが難しい体質であるという診断書を目の当たりにする。
子供を作ることができないなら離婚もやむ無しと考え始めた正樹の母親の考えに気がついた華子は、正樹に何を言っても無駄だと思い、直接、正樹の母親にある提案をする。
それが玲子を母体とした代理出産だった。
華子としては、正樹の精子と玲子の卵子を使い体外受精させ、玲子の体で育て、生まれたら自分たちの子供として育てるというもので、知らない女性の卵子と体を使うより、自分の妹を使った方が可愛いがれると説得し、正樹の母親から了承を得たのだった。
電話が終わると、華子は上機嫌だった。
その華子を見て、玲子は男の存在を直感する。
「お姉様?」
「何よ、今のは、今夜の同窓会の幹事さんよ。
事前に相談したいことがあるから、早く来れないかだって。
こっちの都合もあると言うのに、困ったものよね。
玲子、さっきわたの言ったこと、忘れないでね。」
そう言い残し、華子は早速さと出て行く。
それとすれ違うように、雅子がリビングに入って来る。
「華子は?」
「用事があるって言って、今、出て行きました。」
「まあ、あの子も休みの日だっていうのに、たいへんだこと。」
本当にそう思っているのか雅子に尋ねたかったが、玲子は言葉を飲み込み、雅子に悟られないよう、小さくため息をついた。
慎一は、マンションの自宅の一室で、腕組みをして部屋の中を眺めていた。
「いくら、ありのままにして置いてくれと言われてもなぁ。
ガンプラはいいとして、グラビアアイドルの写真集はどうしようか。
性春のバイブルやビデオは確か実家だし、まずいのはないよな。
押入れ…」
慎一はそっと押入れを開けて見る。
「げっ!
やっぱり、異次元の世界になっている。」
押入れの中は、福引の景品、おまけの品、貰い物、会社から支給される薬などの支給品などありとあらゆる品物で溢れていた。
もう一度、部屋の中を見回すと、妹が同居していた時は、こまめに片付けられていた部屋も、結構、物が乱雑に散らかっているが、慎一には大したことないように見受けられた。
「まぁ、いいか」
慎一は、決して不精な方では無いが、こまめでも無く、日々生活しているうちにいつしか感覚が麻痺してくる、まさにその状況だった。
「来週の日曜日か…」
慎一は、玲子との会話を思い出していた。
「え?
来週、うちの中の様子を見に来る?」
「はい、ハウスキーパーをやるのには、事前に様子を見ておきたいと思いますので。
当然、事前に片付けたりしないで、ありのままの姿にしておいてください。
あとで、"え〜、そんな〜"とはならないようにお願いしますね。」
そう言って玲子は悪戯っぽく笑みをもらす。
玲子としては、慎一に対して多少の問題、不満なところはあったが許容範囲内と判断したので、次の段階として慎一の本丸に攻め入り、生活習慣を丸裸にするつもりだった。
(さぁ〜て、慎一さんの部屋の中はどうなっているかしら?
独身でひとり暮らしの男性の部屋、どれだけ凄いことになっているのか。
何週間も洗っていないパンツや靴下が出て来たらどうしよう。
きゃ〜!)
慎一を前にしてひとり想像の世界で楽しんでいる玲子と、その玲子の楽しそうな顔を慎一は不思議そうに眺めていたのだった。
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