第5話 アヒル口
次の日曜日、慎一は普段着の中でもお気に入りの格好をして、前回と同じパーラーで待ち合わせの1時間前に来て玲子を待っていた。
「自分のスタイルって言ったけど、本当にいいのだろか」
慎一は、ジーパン、赤系のネルシャツ、その上に灰色のパーカーを着ていて、こげ茶色のジャンパーを横の椅子に掛けていた。
髪型はいつのもような分け目がわからないようなラフな髪型、化粧品の類いは当然なしでコロンの代わりにいても付けている制汗ようのデオドラントウオーターを付けているくらいだった。
「あら?
あのお客様、先週も来ていなかったかしら…
雰囲気が違うけど、似ているわ。」
前回、慎一で勝手に物語を作っていたウェイトレスが、水のグラスを持って注文を取りに慎一のテーブルに向おうとした横を、一人の女性が「ごめんなさい」とウェイトレスに言うと、その横をするり抜けていく。
「並木さん、やっぱり来ていた!」
「え?」
待ち合わせの時間まで間があるので、ゲームでもして待っていようと、視線をスマートフォンに落としていた慎一は急に呼び掛けられ、顔を上げると微笑んでいる玲子がいた。
「こんにちは、並木さん。
お待たせしてしまい、申し訳ありません。」
「え…あ…」
突然の玲子の登場で目を白黒させ話す言葉が見つからない慎一を後目に、玲子はバッグとコートを隣の席に置く。
玲子も前回とは打って変わりジーパンに編み目の大きな白いセーター、その下から薄いピンク色のブラウスの襟だけがでていた。
ショートの髪だが少しウェーブを掛け、前回は同じ、見出しなみ程度の化粧をしていた。
(前回の服装も良かったが、今回の服装も若々しくていいな)
そう思いながら、慎一は暫し、玲子を眺めていた。
「驚きました?
なぜ、約束の1時間前に集合したか」
「え?
あ、うん」
「うふふ。
内緒です。」
玲子は初めて会った時の状況から慎一が1時間前くらいに来ていたことを推測して時間を合わせたのだった。
慎一がやっと返事ができた時、ウェイトレスが水を持って注文伺いにくる。
「いらっしゃいませ。
ご注文がお決まりになりましたら、お呼びください。」
「私、フルーツサンデーでお願いします。」
「はい、フルーツサンデーですね。
かしこまりました。」
ウェイトレスは慎一の方を見る。
「えっと、ブ…」
「並木さん、このお店、パフェやサンデーが美味しいですよ。
食べないと勿体ないですよ。」
玲子は、慎一の注文を遮り、メニューを開いて慎一の前に置く。
「そうか…」
「では、決まりましたら、お呼びください。」
ウェイトレスは玲子のオーダーだけ受けて戻っていく。
後に残された慎一は真剣な顔でメニューを見ていた。
玲子はニコニコしながら慎一を見ていたが、心の中は、全く別のことを考えていた。
(うわー、今時男の人の服装ってこうよね。
ジーパンにパーカー。
しかも、グレー。
こうじゃなくっちゃ。
このセンスのかけらも無い格好。
いじり甲斐があるわ。
並木さんて明るい色も似合いそうだし、ワクワクしちゃう。)
そんなこととは梅雨知らず、慎一はやっと決めたサンデーを注文していた。
その日の二人の話題は、お互いの趣味や家族構成、生い立ちについてだった。
話しを始めてすぐに、お互いが注文したサンデーがテーブルに並ぶ。
「ええ〜?
並木さんは、乃木坂の追っかけをやっているのですか?」
美味しそうにサンデーを食べている慎一に玲子はいきなり声をかける。
甘くて美味しいサンデーを食べて慎一は警戒心の欠片もなかった。
「追っかけじゃないよ。
ただ、コンサートが地方でやる時も観に行くくらいだよ。」
(それを"追っかけ"って言うのじゃないかしら)
「じゃあ、その中で推しメンは、誰ですか?」
「当然、"れなりん"だよ。
一期生で、もう卒業しちゃったけど」
(ふ〜ん、ああいうタイプが好みなんだ。
まぁ、私もアヒル口位ならできるけど。)
「卒業しちゃったのなら、今は誰推しですか?」
「それが、俺が推す子、みんな卒業しちゃって今はいないかな。
まあ、純粋に歌と歌声が好きなくらいかな。」
「そうですね、ダンスは欅坂の方が凄いですもんね。」
「全くだ。」
そこまで来て、慎一ははたと気がつく。
(そう言えば、玲子さんって、"れなりん"に感じが似ているな。
じゃなくて、何で俺は好きなアイドルの話をしているんだろうか?)
慎一が顔を上げると、玲子がアヒル口で微笑んでいる。
(うわっ!
やっぱり、可愛いなぁ)
玲子の笑顔を見て、慎一は頭に浮かんだ疑問を忘れる。
(並木さんて、なんて扱い易くて可愛いいんだろう。
よーし、この手で昔に付き合っていた人のことも聞き出しちゃおうっと)
趣味や生い立ちの話で盛り上がったあと、玲子が切り出す。
「ねぇ、並木さん。
喉が渇きませんか?」
「じゃあ、水のお代わりを貰おう。」
(並木さん、その受け答えは減点よ)
「そうじゃなくて、ここのケーキセット、美味しいですよ。」
「え?
そうなの?
どれどれ」
慎一はメニューを開いて、ケーキセットを探し、そのページを玲子の正面に開いて置くと、自分は反対側から覗き込む。
「本当だ。
美味そうだね。
しかも、ドリンク付きだ。
嵯峨野さんは、何にする?」
慎一はウェイトレスにケーキのサンプルを頼む。
「じゃあ、私は、このガトーフレーズとミルクティーにします。
並木さんは、どれにします?」
甘いもの好きの慎一は嬉しそうな顔をしてケーキを選ぶ。
(楽しそうに選ぶこと。
本当に甘いものが好きなんだ。
なんだか、ちっちゃな子供みたいで可愛いい。)
「決めた!
俺は、アプリコットムースにしよう。」
「お飲み物は、如何いたしますか?」
「コーヒーで。」
「はい、承りました。」
二人は、運ばれて来たケーキを食べ始める。
幸せそうにケーキを食べる慎一を見て、玲子はケーキを食べる手を止める。
「並木さんは、チョコレートはお好きですか?」
「ああ、好きだよ。
ガトーフレーズとアプリコットムースで、最後まで迷ったくらいだよ。」
「じゃあ、私のでよければひと口食べて見ませんか?」
「え?
いいの?」
「はい。」
玲子は器用にケーキをひと口サイズに切るとフォークに乗せて慎一の口の前に運ぶ。
「え?!」
慎一はお皿ごと渡されるとばかり思っていて、食べさせて貰う何てことは想像していなかったので、玲子の手からフォークを受け取ろうと手を伸ばす。
「ううん。
はい。」
玲子は自分の口を少し開けて、慎一に口を開けるように促す。
そこで慎一は、玲子がなにをするのかがわかり、顔を赤らめながら口を開けると、玲子は上戸に慎一の口の中にケーキを運び入れた。
「どうですか?
美味しい?」
玲子はワザとアヒル口を強調しながら微笑んで見せる。
慎一は、まるで恋人同士の状況に完全に舞い上がった。
今まで、一度も、母親や妹以外の女性から食べさせて貰うことは、夢に見ていたが実際は、一度も経験したことがなく、ましては、自分には勿体ないと思うほど美人の玲子から食べさせてもらうなんて髪の毛の先ほど思ってもいなかった。
「う、うん。
美味いです。」
「よかった。
並木さんて優しいし、今までお付き合いした女性は、大勢いらっしゃるんじゃないかしら?」
「え?
いや、今までこれと言って付き合った女性はいないですよ。」
「ええ〜、嘘でしょ?
物腰も柔らかいし、お話も面白いし、いない訳無いですよ〜」
(それにHKLのファイルには、少ないけど女性経験ありって書いてあったじゃない。
まさか、お金を払って女性を買った?経験した?
それだったら、やっぱり、お断りしようかな)
「いや、本当にないんだよ。
唯一あるとしら大学2年の時、女性の先輩に可愛がって貰ったことかなぁ」
慎一が大学2年の時、同じサークルで4年生の女性の先輩に気に入られ、いろいろ教えてもらう中で女性の体についても教えてもらったのが唯一の経験だった。
その女性とは、女性が卒業して社会人になると、時間が合わなくなりすぐに音信不通となり、いつの間にか関係は解消していた。
遠くを見るような顔をして話す慎一を見て、玲子はその女性と経験したことを本能的に察した。
(ふーん、いい思い出だったんだ。
でも、本当にその女性とだけみたいね。
確かに並木さんて滅茶苦茶モテるタイプじゃないけど、でも、悪くはないのにな。
優しいし、面白いのに。
もしかして、好意を持たれていることがわからない鈍チンかしら。
それなら、私が独り占め出来そう…)
玲子は知らず知らずのうちに慎一に好意を持ち始めたことに気が付いていなかった。
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