第4話 評価はマイナス?
テーブルも綺麗に元どおりになり、慎一の腕は濡れて冷たかったが、やっと慎一と玲子のテーブルは平静さを取り戻していた。
「すみません。
バタバタしてしまって。
でも、嵯峨野さんに被害が及ばなくて良かった。」
慎一はほっとして、安堵の笑顔だから見せる。
(あら?)
初対面の印象も、身なりが若々しく感じられず、ヘアトニックやコロンのきつい匂いをプンプンさせ、髪型もぱっとせず、見た目からしてマイナス評価。
話し方も20代後半の大人とは思えず、ましては、水の入ったグラスまで倒して騒動を引き起こす落ち着きのなさで、玲子は適当に世間話をしてこの場を繕い、玲奈に断りの連絡を入れようと思っていた。
そのように慎一の評価がゼロになっていた玲子は、慎一の笑顔を見て、何となく心が惹かれた。
その笑顔もどうということのない笑顔だったが、慎一の人柄が滲み出るような暖かくて優しい笑顔だった。
「並木さんは、お仕事、会社員と伺っていますが、どんなことをされているのですか?」
玲子は慎一の笑顔を見て、少し興味を持ったのか、話しかけ始める。
「そうだね、主に試験関係の仕事だよ。」
「試験関係?」
「そう、資格試験や国家試験、大学の入学試験もやっている。
その試験の会場手配から願書の受付、試験の実施、採点、合否発送までの試験全般の運営をするんだよ。」
「すごい!
私、試験て、その団体が行うものと思っていました。
今通っている大学も入試の時は職員総出でやるものだと。」
「残念。
みんな、業者に発注するんだよ。
嵯峨野さんの大学は、残念ながらうちの会社じゃないけど。」
玲子は慎一の話しに興味が湧き、のめり込んで行く。
「受験生の点数も、わかっちゃうんですか?」
「大丈夫!
データ化されているけど、誰にも見られないように、きっちりと管理しているし、セキュリティも厳格にしているんだよ。
だから、データが盗まれないように、事務所内は、何も持ち込んじゃいけないし、持ち出してもダメ。
中で作業する時は、みんなスクール水着で作業するんだよ。」
「え〜、水着なんですか?
女性も?」
玲子は、驚いた顔をする。
「あはははは、冗談だよ。
水着だったら目のやり場に困るし、怪我しちゃうから。」
「もう、並木さんたら」
楽しそうな玲子の顔を見て、慎一は饒舌になって来る。
「そうそう、この前面白いことがあって…」
それから2時間程、二人の席は笑顔と笑い声に包まれていた。
ウェイトレスも楽しそうに水のお代わりを運んで来る。
(やりましたね。
楽しそうな雰囲気。
おめでとうございます。)
ウェイトレスの慎一恋物語はハッピーエンドを迎えたようだった。
玲子は、最初、頭の中で慎一にダメ出ししていたが、話しをしているうちに楽しくなり、また、身を挺して水が掛からないようにしてくれた慎一の人柄に興味が湧き、もっと慎一のことが知りたくなり、次の日曜日の同じ時間に同じ場所で会う約束をして、その日は別れた。
慎一も目の前でコロコロと楽しそうに笑う玲子に、生まれて初めてじゃないかと思えるほど、ときめき、しかも、次に会う約束まで出来たので上機嫌だった。
「こんなうだつのあがらない俺でいいのだろうか。
HKLって、家事や世話を焼いて貰って、オッケーならばセックスまで。
あんな天使か女神のような娘が、俺なんかとね。」
今まで“モテた”という経験がない慎一は、考えれば考えるほど首を捻るだけだった。
その週の平日の夜。
玲子は横浜のデパートで友人の買い物に付き合った帰り道、横浜駅の改札口で友人と別れ、横須賀線のホームに向かっていた。
「並木さんと次の日曜日に会う約束したけど、どうしようかな。
人は良さそうなんだけど、見た目がおじさん臭いし、魅力を感じないんだよなぁ。
人は見かけじゃないと言っても、やっぱり見た目も大事だし、ましては…。」
何かを思い出し、玲子は顔を曇らす。
「あら?
あれは?」
東海道線のホームに上がる階段の下で、大きなキャスター付きのキャリーケースを持った老女と若いサラリーマンの男性が何かを話しているのが玲子の目に入る。
「ちょっと雰囲気が違うけど、並木さんじゃないかしら?」
玲子が近づくと、老女は何度も何度もその男性にお辞儀をして改札口の方へキャリーケースを引きずりながら歩いて行く。
男性は、やわらかな笑顔で老女に後ろ姿に手を振っていた。
「並木さん?」
玲子が声を掛けると男性は驚いたように玲子の方を見る。
「あ、嵯峨野さん。
どうしてこんなところに?」
「え?
ええ、お友達の買い物の付き合いで、デパートに行った帰りです。
それより並木さんは、さっきのおばあさんとなにを?」
「ん?
今日、仕事の関係で上野に行った帰りに、駅であのおばあさんに声を掛けられて。
何でも横浜の知り合いのところに行くので田舎から上京して来たんだけど、横浜駅にどうやって行ったらいいかわからなくなったんだって。
横浜まで一緒だから、一緒に来たんだよ。
荷物も重そうだったので、持ってあげたら喜んじゃって、ありがとうって。」
「まぁ」
玲子は慎一のお人好しさに好感を抱くと同時に慎一をまじまじと見ると、この前会った時と様子が異なっていることに気がつく。
まず、髪型。
前回会った時は、ピシッと七三分けで乱れないようにスプレーで固めていたのが、分け目がわからないくらいラフな髪型で、当然、スプレーで固めたりしておらず、柔らかそうにふんわりしている。
次に化粧品。
前回会った時は、ヘアトニックやアフターシェービングローションの香りと、オーデコロンの匂いがしていたが、全くしておらず強いて言えば、微かにデオドラントウオーターの香りがからだの辺りからするくらい。
服装。
前回は、ピシッとはしていたが、何となく冴えないコーデ。
今日は、会社なので背広姿だが、背広も下のワイシャツがヨレヨレしているのと、センスや若さを感じられないシルバーのネクタイがしていた。
服装以外は、いきなり玲子の採点の及第点に上がっていた。
服装は、マイナス点と思いつつ、自分が何とかして上げなければという玲子の母性本能を痛く刺激する。
「並木さん、もしかして今の姿が普段の格好ですか?」
いきなり玲子に言われ、慎一は面食らう。
「い、いや。
いつもは、家じゃ私服だよ。」
慎一は普段の格好と言うのを、今の格好、家でも背広姿でいるのかと尋ねられたかと誤解していた。
「そ、そうですよね。」
(聞き方が悪かったかしら。
でも、誰だって帰れば着替えるでしょうに)
「服装じゃなくて、髪型です。
あと化粧品も。」
「え?
ああ」
慎一は、あからさまに困った顔して頭をかく。
「うーん、ごめん。
これが普通の姿だよ。
この前はキチンとしないといけないと思って身だしなみに気をつけたんだ。
いつもは、こんな感じ。
だらしないだろ?」
「はい」
「…」
玲子にとっては、慎一の背広やワイシャツのヨレヨレ感とネクタイのセンスが気になり、つい"はい"と答えたがそれ以外の髪型や化粧品についての株は上がっていた。
「い、いえ、違います。
その髪型、素敵だなと思って。
それに私、香水の匂いをプンプンさせる男性は苦手だったので、今の並木さんが良いです。」
「え?
そうなのか。」
慎一はてっきり七三分けでピシッとしていないので、玲子に嫌われたとばかり思っていた。
仕事柄ユーザーは堅い会社が多く、相手の担当者も見出しなみがちゃんとしている年配の方が多いせいか、慎一も、いつしかそれが普通と思っていたが、自分には堅苦しいのが苦手だったので、結構、ラフな姿で通していたのだが、それが良いと玲子に言われ何となく嬉しくなった。
「そうだ、並木さん。
お願いがあるのですが、よろしければ、次に会う時は、お互い普段通りの格好にしませんか?
その方が、お互いをより理解できると思います。
ダメですか?」
玲子は意を決したように提案する。
「普段通りの格好?
スウェットの上下でいいの?」
「ち、違います。
自分が好きな格好です。」
「じゃあ、アディダスのトレーニングウェアの上下。
ほら、CMでやっているだろ?」
「…」
玲子の怒った顔を見て、慎一は「ごめん」と頭をかきながら、すまなそうな顔をする。
子供が怒られた時のような顔を出して謝る慎一を見て、玲子は吹き出しそうになる。
「わかっているよ。
借物みたいな格好ではなく、いつもの自分のスタイル、自分の好みの格好のことだろ?」
「じゃあ、並木さんの好きな格好は?」
「アディダスの上下」
「それって、さっきと一緒じゃないですか!」
二人はお互いの顔を見合って笑い出す。
特に玲子は笑い上戸かと思えるほど、楽しそうに笑い、なかなか止まらなかった。
慎一は、お嬢様と思っていたが漫才のボケとツッコミのようにノリが良く、よく笑う玲子に新しい魅力を感じていた。
玲子の方も、慎一に何となく波長が合うような気がしてきていた。
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