#10 from K.A to K.S

 準備には数日を要した。主にお互いの予定を合わせる都合だったが。僕はもう暇人もいいところなので忘れがちだが、大抵の人間は平日なんてのは忙しいに決まっているわけで、僕たちが動くのは土曜日を待たなければならなかった。

 土曜日と次の日曜日。これでケリをつける。

「で、俺をどこに連れて行く気っすか」

 土曜日に動くメンバーは僕と笹原、そして籠目くんだった。今回の事件に関係のあることだから扇さんくらいは連れてきてもいいような気がしたが、今回はあまり大人数で及ぶことではない。

「そうですよ」

 笹原も不満そうに僕を見た。

「先輩、わたしにも教えてくれないじゃないですか」

「お前は勝手について来たんだろう」

 本来なら僕が連れてくるつもりだったのは籠目くんだけだ。笹原は勝手について来たので知らん。

 僕たちが歩いているのは、上等高校を少し離れた住宅街である。

「でもこっち、パラダイスの針とは逆方向ですよね」

「ああ。パラダイスの針は明日だ」

「ほう?」

「……何言ってんすか?」

 笹原はだいたい僕が言いたいことが読めたらしいが、相談役の流儀を知らない籠目くんは疑問を浮かべるだけだった。

「にしても、なんで俺なんすか? そりゃ捜査に加わるとは言いましたけど、あくまで主導は扇のやつでしょう」

「そういえば籠目くんは扇さんと仲いいの?」

「今聞くことじゃないでしょそれは……」

 籠目くんは溜息を吐く。それからベージュのPコートのポケットに手を突っ込む。

「しかも仲いいように見えましたか? まあ知り合いではあったんすけどね。一年生の頃は同じクラスで、だからだいたい、あいつが面倒なことに巻き込まれてるってのは知ってましたよ」

 面倒なこと……。『連続アブダクション』事件もとい『連続刺青魔』事件だったか。扇さんが雪垣と出会った最初の事件だ。今でこそ相談役の助手として活躍し、雪垣のやつに多くの事件を提供する役割を負っている扇さんだが、当時その役回りは金山さんだったと聞いている。相談役の初代サイドキック、と思うほど金山さんは気負っちゃいないようだが。

「二年生になって別のクラスになったと。確か扇さんは十五組に入ったんだったっけ」

 普通クラスから特進クラスに移動しているのだ。それもまた、同じ特進クラスの雪垣の後を追ってのことであろう。好きな人についていきたいお年頃だ。

 不幸なのは雪垣のやつが、ついていく甲斐のないやつだったってことだろうな。扇さんは惚れる相手を間違えた。

 それを言うなら僕の周りの人間は、惚れる相手を間違えたやつばかりだが。

 あいつとかこいつとか。案外、僕の周りには色恋沙汰が絶えない。

「雪垣のやつがいないから代わりに言っておくけど、まあ精々仲良くしてやってくれよ」

「無理っすね。文化祭の禍根、そう簡単に消えないのは向こうも分かってるっすよ」

「…………かもね」

 本当に雪垣のやつは、後輩のために何もいいことをしていない。

 帳の一件を隠蔽して収拾を図ろうとした、その作戦の発起人がやつなのだ。

 たとえ卒業しても、一度残された禍根は消えない。だから僕たちは先輩として、本来なら後輩に面倒をかけさせてはいけないのだ。

 そういう意味じゃ、今回の事件の解決に渡利さんが躍起になる気持ちも少しは分かるのか。

「それにしても寒いですね」

 笹原がトレードマークの赤いヘッドフォンを耳当て代わりにしながら、マフラーに顔を埋めた。マフラーはともかくヘッドフォンは暖かいのか?

 しかし笹原、来ているのが若草色のダウンジャケットということもありもこもこである。羊か。

「今日の夜から朝にかけて雪が降るとか」

「雪か」

 僕はリュックを背負い直す。

 雪は歓迎できないな。しかし、そうも言っていられない。

「…………ああ、着いた」

 住宅街を少し歩いて、目的の場所に辿り着く。

 目的地は、傍目には保育園に見えなくもない。正門を超えた先に運動場があり、その奥に平屋の建物が建っている。

 だが、ここは保育園ではない。

「なんすか、ここ?」

「君のストーカーの本拠地だ」

「ああ、それで俺を」

 笹原が正門に近づいて、門に掲げられた看板を見る。

「『プリズム園』……保育園かと思いましたが、児童養護施設のようですね」

 児童養護施設。あけすけに言えば孤児院だ。しかしプリズム園とはな……。

 プリズムは光を透過し、七色の虹を作る。悲哀がそんな素振りはおくびにも出さずとものことを忘れていなかったように、向こうも向こうで、七色七のことを忘れていなかった。

 こういう親愛の形もあるということだ。たぶんお互いに否定すると思うけど、その親愛は恋慕に近いのかもしれない。…………やっぱり扇さん辺りを連れて来て教えておくべきだったかもしれない。

「元、児童養護施設なんだよ、ここは」

 施設の建物から、男性が出てくる。ジャケットを脱いだスーツの上から虹色のエプロンを着けている。なるほど、こうしてらしい格好をされると、この人は子どもの世話をするのが仕事だったのかとしっくりくる。

 北川証さんが、僕たちに近づいた。

「今は潰れてしまって、僕たちしか住んでいない。二人で住むには広すぎるし光熱費もかかるんだけど、ここの土地と建物の代金は払い終わっていて、だから結局ここに住むのが安上がりでねえ」

「お忙しいところすみません、証さん」

「いやいや。こっちも願ってもいないことだった」

 上がりなよと僕たちを招いて、証さんが建物に向かう。僕たち三人も向かった。

「……ってことはだ」

 籠目くんが気づく。

「そのおっさんと一緒に暮らしてるってやつが、俺のストーカーってことっすか?」

「そうなるね」

 おっさんかあと証さんは苦笑いしながら肯定する。実際証さんは若く見える方だが悲哀と同年代なら四十台なわけで十分おっさんだ。なに苦笑してんねん。

「ちなみに笹原、言っておくと……」

「はい」

「この人が名探偵+αだ」

「はいいっ!?」

 想定外の方向からのネタ晴らしに笹原は面食らったように驚いた。

「昔の話だよ」

 穏やかに証さんが返す。

「笹原色さん。DJササハラさん、と言った方が通りがいいかな?」

「わ、わたしのことも知って……」

「昔のこととはいえ、探偵業界に身を置いた人間だ。君の番組はいつも聞いている」

「それは、光栄ですとも!」

「七のやつはひょっとすると嫌がるかもしれないけど、昔話くらいならいつでも話すよ。もちろん、ギャラは貰うけどね。生憎今は無職なもので」

「ええ、ええ! もちろんですとも。宇津木博士以前の名探偵、これはリスナーも盛り上がりますよ!」

 七色七の相方が今無色、じゃなくて無職。笑えない冗談だな。

 と…………思えばなんでプリズム園は潰れているのだろうか。その辺りは、まあ聞いても愉快ではなさそうだし聞かないのが吉か。

「しかし今は、大事な用件を済ませようか」

 興奮する笹原を落ち着けて、証さんは建物の入口に近づく。施設のうち、運動場に隣接した面は人が出入りできる大窓が壁の代わりに空間を区切っている。本来は子どもたちが、教室からすぐに運動場へ移動できるようにという配慮だろう。昇降口のようなものは明確にはなく、窓から外へ出て、外に備え付けの下駄箱から靴を取り出してすぐ外に出るという動線だったらしい。

 靴を脱ぎ、窓の側面に敷かれたすのこの上に靴下履きの足を載せる。

 カーテンが下りていて、窓から部屋の中は覗く事ができない。サプライズのつもりだろうか。

「この中に、君の求める人間がいる」

「別に俺は求めちゃいないですけどね」

 まあストーカーだからな。籠目くん視点では。

「いやいや」

 しかし証さんはおどけるように笑う。

「君は求めていたはずだよ、彼女を」

「彼女………………」

「それじゃあ、入場だ」

 窓を開く。カーテンを潜って、僕たちは部屋の中に入る。

 部屋の中は暖房が効いていて暖かい。そして、なるほど保育園らしい感じの部屋である。広々としたスペースに、子供用の小さい椅子と机が置かれている。それらは隅に寄せられていて、あくまでここが児童養護施設だったのだろうと思わせた。

 部屋の中央に、目的の人物がいる。

 それは、誰を隠そう。

 七宝さん。

 彼女は、休みの日だけども朱雀女学院の赤いセーラー服を着ている。

「あ、こいつ…………」

 後ろ姿は見ていたのだ。籠目くんはすぐに七宝さんが例のストーカーだと勘付いた。

「お前か、俺の周りをうろついてたのは! いったい何の目的で…………」

 さすがに数日間まとわりつかれて気味悪がっていたのだろう。籠目くんは食って掛からんとする勢いで七宝さんに近づいていく。

 だが、そこで。

「………………おにい、ちゃん」

 七宝さんが、喋った。

 彼女、喋れたのか。無口な彼女の、初めて聞く声はか細く消え入りそうだった。

 それでもはっきりと言ったのだ。

 おにいちゃんと。

「え………………………………?」

 その声を聞いて、籠目くんが動きを止める。

 愕然と。

 七宝さんの一言は劇的な効果を生んだ。

「お前、まさか………………!」

 籠目くんはばっと近づいて、目線を七宝さんと合わせる。

「七宝……? 七宝なのか! お前、なんでこんな、こんなところにいたのか………………!」

 勢い込んで、籠目くんは七宝さんを抱きとめた。七宝さんもそれを受け入れて、そっと背中に手を回す。

 兄妹の感動の再会である。

 僕と証さんはそれを遠巻きに見ていた。

「え、あの…………」

 約一名、事態を理解できない笹原が聞いてくる。

「これ、どうなってるんです? 籠目先輩のストーカー探してたんじゃなかったでしたっけ?」

七宝」

 仕方ないので、分かり切った答え合わせをする。

「それが七宝さんの苗字だったんですね」

「いつ気づいたのかな?」

 証さんが僕の顔を覗き込んで聞いてくる。

「彼女と最初に出会ったときから、と言えればかっこよかったんですけどねえ」

 実のところ、気づいたのはあの時だ。放送室で彼女の後姿を捉えた時。

 ひょっとしたら、そんなこともあるかもしれないと思った。

「バレンタインの日、証さんと七宝さんに会ったあの時は、二人を実の親子だと思ってましたよ。自分と悲哀が実の親子ではないという関係を棚に上げて、それなりの年齢差の二人が並んでいるのを見て親子と思い込むんだから世話ないですね」

「え? 君って七の息子じゃないのかい?」

 今一番どうでもいいところに証さんが食いつく。

「驚きだよ。だって君、七の若い頃にそっくりだもん」

「それは知りたくなかった」

 あいつの若い頃にそっくりって、どんな罰ゲームだ。

「ともかく」

 話を戻そう。

「表情が、似てたんですよ」

「表情?」

「彼女がどこか安心したときに見せる表情が、籠目くんと似ていた。それを思い出したというのがひとつ」

 七宝さんが証さんに頭を撫でられたときの表情と、籠目くんが帳の無事を知ったときの表情がよく似ていた。それこそ、兄妹であろうと推測できるくらい。

「それから七宝さんが持っていた懐中時計に、『from K.A to K.S』と刻印があるのを見ていたんです。それを僕はてっきり『北川証から北川七宝へ』という意味だと思った。でも実は違った」

 あれは『北川証から籠目七宝へ』だったのだ。籠目も北川もイニシャルの上ではKだからな。

「でもまさか、そんなイニシャルから七宝の苗字を籠目と断定したわけではないだろう?」

「ええ。単に、確認しただけです」

 七宝さんは朱雀の人間だ。なら、同じ朱雀に通う哀歌が辿れる。七宝という名前の、中等部三年生はいるかと聞いたらすぐに返ってきた。籠目七宝ならいると。

「探偵にはあるまじき地道さだね」

「今回の僕は高校生探偵としてではなく、生徒会の相談役、その協力者ですからね。探偵役を名乗らざる相談役の助力なら、推理を働かせなくてもいい」

 十戒も二十則も無視。

 犯人に直接答えを聞こうとも、解決したもの勝ち。

 それが相談役のスタンスで、僕もそれに乗っただけだ。

「本来ならどうして籠目くんと七宝さんが生き別れているのかとか、その辺の裏を取りたいところでしたが……」

 七宝さんは確実に会いたがっているとしても、籠目くんが会いたがっているとは限らないからな。ただ、今回は諸々の事情を加味してこういう形に落ち着いた。

 そしてそれで結果、よかったわけだ。

「七宝は」

 事情は、証さんから語られる。

「いくつかの児童養護施設をたらい回しにされていたらしい。愛想もないし、無口で何も言わないから方々で面倒がられたというのもある。それに、彼女がいた養護施設はどこも事件に巻き込まれてひどい目に遭うなんて噂もあった」

「事件…………」

 事件を、誘引する体質。

「ともかく、そうしてあちこちを渡り歩いた彼女が最後に辿り着いたのがここだった。とはいえ、プリズム園は潰れてしまった。他の児童たちは他所の施設に移ったり、里親が見つかったりしたんだけど、彼女はどうしてもね。そこで僕が今は親代わりになっている」

「俺の両親は、俺が小さい頃に離婚してるんです」

 証さんの発言の間を埋める様に、籠目くんも話してくれる。

「俺は親父に、七宝はお袋に引き取られました。でも、お袋が死んでから七宝が実家の方で疎まれているらしいと聞いて、俺の親父は七宝をまた引き取ろうとしたんすよ。でも、親父がお袋の実家に向かうと、お袋の実家、してて」

「全滅…………?」

「詳しくは知らないです。俺はまだ小さかったから、親父は話してくれませんでした。ともかく、それで七宝も行方知れずになっちまって。でも、また、会えた………………!」

「うんうん、よかったねえ……!」

 さっきまで事情をまるで知らなかったはずの笹原が、涙を流して喜んでいる。こいつフランダースの犬とか見たら一話で泣くんじゃねえの?

「なんでお前が泣いてるんだよ」

「泣いたっていいじゃないですか! 先輩の鬼、冷血漢、名探偵!」

「名探偵は罵倒じゃないだろ…………」

 泣いているわりに声の仕事してるから声量もあるし通りがよくて、だみ声とかにならないんだなこいつ。喉の強さをこんなところで使うなよ。

「でもなんでだ?」

 籠目くんが七宝さんに問う。

「なんで、俺の周りをこそこそと嗅ぎ回るようなことを…………」

 その答えを示すように。

 七宝さんは制服の胸ポケットから、包みを取り出した。虹色のラッピングのそれは……。

「バレンタインのチョコだよ」

 無口の七宝さんに代わり、証さんが説明する。

「僕たちは文化祭を見ていてね。そこで偶然、七宝が君を見つけた。君が兄だと判明したので、どうにか会いたくて。そのきっかけづくりに、バレンタインにチョコを渡そうって思ってね。しかし七宝、渡すのになかなか勇気が出なかったらしいな」

「そんな…………そんなことのために」

「………………………………」

 七宝さんからチョコを受け取って、籠目くんは泣きそうな顔で笑った。

「これで一件落着ですね、先輩」

「いやまだだぞ?」

「あれ?」

「これは籠目くんと七宝さんの問題で、まだ僕たちが解決するべき『毒入りバレンタイン』事件は解決してないだろ」

「そ、そうでした……」

 目元を拭って、通常モードに復帰する笹原。切り替えが早い。

「でも、七宝ちゃんが犯人じゃないなら誰が?」

「それを、確かめに来たんだよ」

 僕は背負っていたリュックを下ろして、その中からスクラップブックを取り出す。

 『文化祭アルバム』と書かれていた例のアレだ。

「七宝さんはバレンタインの日、一日中上等高校に潜んでいた。そして調理実習室の近くで何度か目撃されている。ということは……」

「あっ! 七宝ちゃんが犯人を目撃している可能性がある!」

 そういうこと。だから籠目くんと七宝さんの話を、早いところ決着したかったのだ。

 七宝さんは犯人じゃない。

 重要参考人だ。

「兄妹の歓談中悪いんだけど、七宝さん」

 僕はページを開いて、七宝さんに指し示す。

「僕たちは今、事件の犯人を追っている。この写真の中に、君が昨日、調理実習室の近くで見た人間はいないか教えてほしい」

 七宝さんは、僕を見た。

 僕の言葉は、おそらく不足している。本来ならもっと正確に言葉を尽くし、事件について説明するべきだ。そうでないと伝わらない。だが、彼女になら伝わる気がした。

 彼女は、分かっているはずだ。僕たちが何を求めているか。

 やがて。

 アルバムの中をじっと見た七宝さんは、一人の人間を指さした。

 そいつは……。

「えっ!」

「な、なんだと……」

 笹原と籠目くんが、驚きの声を上げる。

 僕は驚かなかった。

 もう、推理できていたことだからな。

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