第4話:夜の終わりわからない

喉の渇きで目覚めた。まだ夜は明けていない。冷蔵庫の光に照らされてボトルの水を飲む。くらやみのなかで窓際の椅子に座って、カーテンをそっと引いた。窓を開けた。すこし冷えた空気がゆっくりと入ってきた。


アパートから、なにが見えるわけでもない。隣家の輪郭が街灯のひかりにぼうっと浮かび上がっている。ぼくは、しばらく何かを考えていた。


まだ夜は冷える。薄手のカーディガンを羽織ってキッチンへ向かう。火花が散ってコンロが灯る。お湯を沸かしているあいだにハーブティーを取り出した。思い出して、スマホを充電器から外しに行った。


予感がした。通知ランプが光っていて、その光り方で誰のものかわかる気がした。


アキ:いま暇ですね


メッセンジャーを開くと、すこし前のタイムスタンプ。


Haru:いつまで起きてる。寝よう


アキ:起きてた


アキ:話しましょう


アキ:話します


Haru:いや、寝る


場違いにおおきな着信音が響いた。ぼくは数回鳴らすままにしている。


「……」


「こんばんは〜夜更かしはいけませんよ」


「こんばんは。切るわ」


「話したかったでしょ〜?」


切った。ベッドに腰掛けてスマホを見ている。誰かの靴音、時計の音、冷蔵庫のうなり声、コンロの火などが聞こえる。


もう一度着信がある。


「すいません話したかったです」


「はい」


「何してました?」


「アキは?」


「動画とか見てました。工場の生産ラインとか、観出すと止まりませんよね」


「たしかに」


「あれ、テンション低いですね」


「眠い。アキもだいぶ眠そう。寝よ」


「まあ眠れなかったんですよ〜」


「季節の変わり目だし」


「ね〜」


ざらついた音声は、アキのものではないという。さいきんの通話のアプリは、よく似た声を難しい技術で合成し、データのやり取りを軽くしているとかなんとか。ぼくがすこし安心して、やや落ち着かない気分になるこの声はアキのものではないのだろうか。


「で、何してたんですか?」


「いま起きた。喉渇いて、あ」


お湯が沸いているのを忘れていた。火を止めて、カップに注ぐ。ティーバッグを入れて蓋をしておく。五分。


「もしも〜し」


「しつれい。お湯が沸いてて」


「何か食べるんですか。だめですよ深夜に食べちゃ」


「言われるとお腹減ってきた」


「責任は取りませんよ」


「ラーメン食べよ」


うわ〜と非難の声をあげるアキを無視して、ぼくはもう一度お湯を沸かす。チチチチ。またすこし明るくなる。


「そういや明日の中間レポートできました?」


「え? 何それ」


「だと思いました。ありますよ」


軽快な通知音が来て、課題のあらましの書いたスライド写真が送られてきた。聞いてない。


「聞いてないって顔ですね」


「いや、ほんとに覚えてなくてじぶんで驚愕してる顔」


「2000字ですよ」


「余裕」


「昨日もレポートぎりぎりでやってませんでした?」


「覚えてない。過去は振り返らない」


スマホが震えて、タイマーが鳴った。肩に挟みながらカップからバッグを取り出す。蒸気が顔にいっしゅんふれてなくなる。ゆっくりお茶をすする。あつい。


「わたしにもわけてください」


「あ~おいし」


ごくごく喉を鳴らして飲む。


「夜はまだ終わりませんね」


「明けない夜はない」


「ふふ、やまない雨はない」


ごそごそと動く音がする。


「じつはさっきこわい夢みたんですけど、こわいの平気ですか」


「ぼくはホラーはかんぜんに無理」


「そこをなんとか」


「無理」


「夢のなかで大学生なんですけど、教室で仲いい友達と話してるんです」


「それはこわい」


「まだです。それで、わたしはいっしょにたのしい話をしていたんですが、急にとても悲しくなって、涙が出そうになって、でも友達は、とうぜん、ぜんぜん悲しくないんです」


「うん」


「友達は、わたしの気持ちとはまったくかけ離れて、わたしがひとりで悲しくなっていて、でも友達はみんなたのしいままだから、あはは、って笑って、わたしもあはは、って笑うんです」


「うん」


「あはは、って笑うたびにきつくなって、だんだんうそでも笑えなくなって、ぽろぽろ涙がこぼれてきて、友達はみんなびっくりして、どうしたの? って心配してくれて、わたしはそれでよけいに泣けてきちゃって……まあ、それだけです」


「うん⋯⋯あのさ、いま、ふた通りの択ある」


「択」


「どっちがいいと思う?」


「え。えーと、わたしに優しいほう?」


わかった。と返事をして、せきばらいをした。


「アキ、距離感バグってるぞ」


「っ……」


「いまかんぜんにアキのこと理解した。おまえは距離感バグりクソ重パーソンだ」


「距離感バグりクソ重パーソン……」


「距離感バグりクソダルパーソン」


「クソダル……クソは余計じゃないですか……泣きますよ」


「泣け」


「ぴえん」


「説教をします」


ぼくはマグカップをベッドサイドにおいて腰かけた。


「話がきけて、まあ、うれしい」


アキは黙っている。


「アキのことなんとなくわかる」


紅茶を一口飲む。でも、


「ぼくがどんな反応するか、すこし賭けている、ように感じた。試されたようでやな気持ちにはなった」


「……賭けてはいたかもしれません」


「わるいと怒るつもりはないけど。ぼくも現役距離感バグりクソ重パーソンだからわかる」


「ハルはわたしよりひどそうですね」


「……アキに必要なのは何かぼくは知ってる」


「ハルの惜しみない愛です」


「違う」


「ハルに惜しみない愛を注ぐことです」


「違う。運動だ」


「は?」


「ぼくらに必要なのはラブじゃない。健全な生活習慣と適切な運動だ」


「はい?」


「厚生労働省は週二回、三十分以上の運動を推奨している。アキに必要なのは、週二回、三十分以上の運動」


「はい」


「ということで、明日から……もう今日か。今日からぼくらは走る」


「どこに向かってですか」


「週二回、三十分以上の運動の先にある、明日に向かって」


「わたし、慰めてくれると思って勇気出して電話したんですが……?」


「やだよ。気まずい」


「ハルもコミュニケーションクソ下手ですね」


「はい。アキ運動着なんか持ってないだろうから昼過ぎ買いに行こ」


「その通りですが……言いたいことがありすぎて……会ったときにわるぐち言います」


「うん」


切れた。


空は白みはじめていて、じゅっ、と、音がした。お湯が吹きこぼれる音で沸きつづけていることに気づいた。

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ラブわからないぼくらのラブコメ 難波優輝 @deinotaton17

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