第2話:かわる季節わからない
「不安になっていると、猫にもそれが伝わる」
「どうやってですか」
「それは知らない。なんかアフェクトする」
「アフェクトって何ですか」
「知らない。言ってみたかっただけ」
「おい」
さっき授業できいたから使いたくなった。
「考えたら動物間で情動が伝達されるってふしぎじゃないですか」
「たしかに」ぼくはあごに手を当てた「たしかに」。
「共進化によってコミュニケーションがデザインされてきたんです。家畜化というやつですね」
「へえ、家畜化ってそういう意味でも使える?」
「家畜化って言ってみたかっただけです」
「おい」
ぼくらは、いつもの空き地で猫コミュニケーションの相談会をしていた。目の前には、退屈そうにこちらをみてくる猫がいる。いつもこの空き地には人懐っこい三毛猫のミケと、いまいる白い猫のシロがよくやってくる。
「たまに黒いやつもいるけどすぐどっか行く」
「へえ、みたことないです。誰からもご飯をもらわないんでしょうか」
「さあ。恵まれなくてもじぶんで手に入れているのかもしれない」
「ハルみたいですね」
「そう?」
ぼくはキュートな小型犬の自負があるのだけど。
「とりあえず、このシロは噛まない(たぶん)。ゆっくりさわって」
「わかりました!」
アキはそうっとシロに手を伸ばす。シロはその手に目もくれない。ふか、とアキの手がシロの背中にふれ、白い毛のなかに沈み込んだ。
とアキは静止した。どうした??
「これからどうすればいいんでしょう」
「いや、撫でて……」
アキは了解です、と小声で返事をして、おっかなびっくり、シロを撫ではじめた。身体は引いているのに手だけうんと伸ばして、しゃがんだ足が微妙にぷるぷるしている。ちょっと押せばこけそう。
「押したらこけそう……押したい」
「独り言聞こえてますよ」
なんという悪魔的な発想を……とぼやきながら猫から片時も目を離さないアキは奇妙な体勢を崩さない。しんどくないのだろうか?
「えい」
「あ゛っ!」
アキは不安定な体勢でいたのと、何者かに押されたせいで、こてん、とあっけなく転けた。ここは坂の街、油断したものから命を落とす。木漏れ日のなか、地面に転がりうずくまる大学生。美的だ。
「お、お前は悪魔か!!!」
「いや、こけるかな〜と思って」
信じられない、という目で裏切り者の真犯人をみるようにこちらをみてくるアキ。鬼気迫る表情で、演劇部に入ればいいのに。
「信じられない」
「あ〜あ〜大声出すからシロどっか行った。あ、ちょうどいい時間。そろそろバイトなので先に帰ります」
「は?」
「また明日ね〜」
「ちょ、ちょっと待ってください。謝罪を要求します」
「しかたないなあ」
手持ちのアルフォートの残りを全部あげたらちょっと機嫌をなおしてくれた。だんだんわかってきたかもしれない。
※
「学食っていかないんですか」
「人混みがきらいでね」
「でもわたしは学食か生協行かないと食べるものがないのでいきましょう……何いやそうな顔してるんですか」
「いやだな〜と思って」
「しかたのないひとですね」
ぼくは名案を思いついた。
「お弁当つくってあげようか?」
「いいんですか?」アキは目を開いて弾んだ声を出す。
「その代わり材料費および工賃もらうよ」
「ケチ」
「労働に対する正当な対価だ」
「おいしかった〜っていうわたしの笑顔じゃ足りないんですか?」
「労働に対する正当な対価だ」
ぼくらは他愛のない会話を交わしていて、日々をだらだらと過ごしていた。
※
晴れた日、ぼくは大学近くにある美術館に出かけることにした。港の近くに、というか、港に立っているコンクリート打ちっぱなしのその美術館は、換気のむずかしさ、そして長方形の四角い外観から、芸術家たちに「棺桶」と呼ばれていたりするらしい。でもぼくはけっこうきらいではなかった。妙な空間がそこかしこにあり、やけにでかいので、息苦しい感じがない。あと、外にも謎空間があり、そこを歩いていると目の前の港の景色もあってさわやかな気持ちになる。
個人的に建物は、外観ではなく、その中でどんなふうに動き回れるかなのだと思う。その行為のデザインがよくできていればおもしろい建築になっていると言える。
そんなことを思いながら、それほどすきでもきらいでもない作家の巡回展を見て回っていると、知った後姿をみかけた。動物は、急に後ろからおどかすのはよくない。ストレスを与え、ときに防衛のために過剰な攻撃を被る危険すらある。だから、動物とのコミュニケーションにおいて、急な動きや威嚇と取られるような行動は、基本的に慎むべきだろう。
ぼくはゆっくりとその後ろ姿に近づいて、
「わっ!!!!」
「ぎゃ!!!!!!」
静かな展示室にぶざまな声が響いた。
飛び上がったあと、何事かと、すごい勢いでこちらを驚きの表情で振り返ってきた。そのあと、驚きから呆れた顔に変化する一連の動きはかなり笑えた。
「……ハル……」
「あはははは! びっくりした?」
「ほんとうに……このひとは……」
「奇遇だね」
「はい奇遇ですね!!!」
「アキ、きょうはキュートな感じだ」
「あ、ありがとうございます。急に褒めるのやめてください」
ぼくらが通う山の上大学の大学生は必然的に重装備を余儀なくされるが、きょうは身軽で、靴もかわいらしい。
「ハルも……ハルはいつもとあまり変わりませんね」
「かわいいでしょ」
「まあいいんじゃないでしょうか」
なんだその適当な言い草。
「せっかくだしいっしょにみよ」
「いいですね」
ひとといっしょに美術館にいくのは、けっこうたのしい。まず、一点一点をどのようにみるかもひとによって違う。流してささっとみていくひともいれば、ひとつひとつをキャプションを交えながら観るひと、さらには、前に立って、遠ざかって、近づいてみるひと。
アキは、さらさら、と流し観をしながら、はた、と立ち止まって、作品の前でじっと考え込む。それから、キャプションをみて、もう一度考え込む。作家もこんなふうにじっくり見られて満足だろう。
「アキ」
「はい? あ、すみません」
集中しすぎてふたり連れの邪魔になっていたアキを呼んだ。入れ替わって、ふたり連れは絵の前に立ち、片方が片方に何かを話している。
あと、美術館のたのしみかたのひとつはふたり連れで来ているひとたちのどちらかが退屈していたり、わかったような説明を片方がしているのをみているもう片方の顔つきだったりする。とアキに解説してみる。
「だんだんわかってきましたけど、ハルの趣味ってあまりよくないですね」
「そう?」
「です」
展示会場を抜け先、ぼくらはショップでカタログやポストカードを冷やかしている。
「微妙に欲しい気もするし高い気もする」
「ポストカードとかも欲しい気がしますけど、考えたら何に使うのかわからない気もしますね」
「でも美術館の楽しみかたはいろいろあっていいと思う」
「その話こだわりますね」
不服そうなアキをみてぼくはいいことを思いついた。
「こっち来て」
※
「わあ! こんな場所あったんですね」
「いいでしょ」
この美術館のいいところ。それは港の風が通るバルコニーがあるところだ。
「潮〜〜」
「いい匂い」
さっきまでずうっと雨が降っていたのに、いつのまにか季節の風は変わった。
夏を予感させる風に髪をゆらしながら、くっきりと晴れた日がつくる影をつれて、アキは踊るようにバルコニーをはねて歩いて行く。ぼくはふしぎと懐かしくおだやかな気持ちになる。
「アキっておもしろい」
「なにがです〜〜」
「なんとなく」
柵にもたれながらアキにスマホを向けると、ピースサインをつくった。
「ハイ、チーズ」
いい写真だ。
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