漁師と人魚とシルモノのオマツリ
海原くらら
ある小さな漁村でのこと。
「ではみんな、七日後の寄り合いまでに何か案を考えておいてくれ」
村長のその言葉で、その日の寄り合いは解散になった。
村人たちが外に出ると、もうすっかり夜だ。寄り合い場の出入口に置かれたかがり火が、家に帰っていく村人たちの背中を照らしている。
海風は弱く、さざ波の音が周囲によく響いていた。この数日の海は穏やかで、荒れる気配はない。
村人であり、同じ方向に家のある二人の男、若者と漁師が肩を並べて帰り道を歩きだした。
右手には切り立った岩山、左手には海。どっちも暗くて黒くて静かで、まるで彼ら以外に生きているものがいないような、寂しい夜。
明かりといったら空に浮かぶ小さな月と、若者が持つたいまつぐらいだ。
「どうするかねえ」
漁師のほうがつぶやいた。横にいた若者が彼のほうを向く。
「どうするって、村長が最後に言ってたやつかい?」
「ああ。俺にはなにも思いつかねえんだ」
今日の寄り合いで言われた村長からの宿題。
海の漁ばっかりで娯楽のないこの村だが、なにかおもしろいお祭りを企画して盛り上げられないかという話が出たのだ。
といっても、その場ではなにをやるかまでは決まらず、次の寄り合いまで持ち越しとなっていた。
「お前はどうよ?」
「いや、俺もわからないけど」
そこで若者の足が止まった。
手に持ったたいまつを、夜の海のほうへ向けている。
「おい、どうしたよ」
「あそこ、誰かいねえか?」
若者が指さす先は海に面した岩場だが、夜の暗さで岩と海の境目もわかりづらい。
しかし、よく見ると岩の上に、細長い人影があるようにも見える。
まるで岩の上に誰かが座っているような。
「おーい、誰かいるのか?」
若者が声をかけると、その影は岩の上をゆっくりと動き出した。
若者は人影に近づこうとしたが、漁師が肩をつかんで止める。
「おい、よせ。ただでさえ暗いんだ。うっかり海に落っこちまったら、助けらんねえぞ」
「だけど、気になるじゃないか」
男たちが顔を合わせている隙に、人影は岩場の影に消えた。
「あっ、いねえ」
「動物かなにかだろうよ」
「いや、あれは人だよ。人魚かもしれない」
人魚という言葉を聞いて、漁師が顔をしかめる。
「おいおい、めったなことを言うもんじゃねえよ」
「そうかなあ? いいじゃないか人魚」
「昔話じゃ、ちょっかいを出したら海が荒れるだのなんだのって言うじゃないか。お前は平気なのか?」
「人魚って美人なんだろ? 男ばかりのこの村にはぴったりじゃないの」
「うーん、そういう考え方もあるか」
再び歩き出した若者と漁師は、それぞれの家に帰っていった。
だが、漁師は家の台所にある、火にかけられていた鍋をつかんでまた外へと出る。
彼は家の裏手にある岩場を抜け、月明りだけの暗闇の中を迷うことなく進んでいった。道はゆるやかに下っていき、やがて岩と岩の間にある小さな砂浜に出る。
「よう、人間!」
そこには、一匹の人魚がいた。
上半身が人間の女性、下半身が魚。長い髪の毛と鱗、それに瞳が、晴れた日の海のような青色をしている。
「よう、人魚」
漁師は慣れた様子で、人魚に向かって鍋を見せた。
「持ってきたなー! こっちも持ってきたぞー!」
「おう」
人魚と漁師が、お互いの鍋を交換する。
「今日も大漁だな」
漁師が人魚から手渡された鍋を見ると、中には貝やエビ、カニ、小魚などの海の幸が入っていた。
人魚が漁師から受け取った鍋のふたを開けると、湯気があたりに広がる。
「うまそーだなー!」
魚の骨と海藻が出汁のすまし汁を見て、人魚がうっとりとした笑顔を浮かべた。
「なあ、人魚」
「なんだ人間。一緒に食うか?」
「いや、それはもうお前のもんだ。それより、他の人間と一緒にその汁をもっとたくさん持ってきたら、たくさんの海の幸と交換できるか?」
「おお? 私はいいけどなあ。でも、他の人間って人魚を嫌ってないか? 追いまわされるのはいやだぞ」
「俺もそう思ってた。だけど、そうじゃないやつもいるかもしれない」
「ふむー」
人魚は悩みながら鍋を見て、漁師の顔を見て、また鍋を見た。
「その海の幸は私だけで取ってきたものだ。他の人魚が協力してくれるかは、聞いてみないとわからないぞ」
「そうだろうな。こっちも人魚を嫌わない人間がどれだけいるか、聞いてみないといけない」
「でも、海に生きるものは助け合いが大事だからな! きっと誰か協力してくれるぞ!」
「そうだといいな」
「あと、うまいのじゃないとだめだからな! たくさんじゃないとだめだからな!」
「わかったわかった」
すまし汁を抱えた人魚と別れて、漁師は海の幸の入った鍋を持って自宅への道を歩いていく。
「知らんものは不吉の象徴なんて言うが、知るものはそんなこと言えんわな。あんな子が不吉なものか」
漁師のつぶやきは、さざ波と海風に紛れて誰にも聞かれることなく消えていった。
「隠れて会い続けるのも、いつまで続けられるかわからん。これをきっかけに人魚の迷信を解ければいいが」
◇
「豊漁祈願で汁物を作り、みなで分け合い、海の使いである人魚にも捧げる、か」
次の寄り合いの日、漁師はお祭り企画として汁物作りを提案した。
「みなで作ったものを分け合うってのはいい考えだと思うぞ」
「海に生きるものは助け合いが大事じゃからな」
「人魚ってのは船を惑わせるって伝承もあるぞ?」
「いいじゃないですか。美人の人魚と仲良くなれるってんなら最高ですよ」
「そうそう」
若者たちの食いつきがいい。漁師はそれとなく若者たちに人魚について聞いて回ったが、どうも人魚に対しては海の不吉の象徴というよりも美人という印象のほうが強いようだ。
「しかし、なんで汁物なんだ?」
「それは」
村長に聞かれて、漁師は言葉に詰まった。まさか空腹で気絶し砂浜に流れ着いていた人魚に食わせたら気に入られたとは言えない。
「みなで作れて、好きな量を分け合えるというもので考えました」
「ふーむ。まあ、汁物は身を食った後の骨やなんかで作れるしのう。負担にはならんか」
「大量に作れるしな」
「なら、村の衆でそれぞれ作って、味比べするってのはどうよ」
「それもおもしろそうだな」
村人たちが互いに意見を出し合い、新しい祭りの中身ができあがっていく。
最終的には、全員が自由に作った汁物を食べ合って味比べをしつつ、残ったものを海の岩場に一晩捧げるという形になった。
漁師はその晩にまた鍋を持って岩場に行き、人魚に会った。
「ほんとかー! シルモノ祭りか! すごいな!」
寄り合いで決まった祭りのことを伝えると、人魚は手を叩いて喜んでいた。
「こっちも聞いてみたら、陸のものを食べたいって人魚がけっこういたんだ。楽しみにしてるぞ!」
「でも夜までは姿を見せるなよ。下手に見つかったら、馬鹿なことをするやつが出るかもしれん」
笑顔の人魚から手渡された鍋の中には、いつもより多い海の幸が入っていた。
◇
そして祭りの当日。
昼を過ぎて、村人は祭りの準備のため、それぞれの鍋に向かっている。
だから漁師以外は気づいていなかった。波間に人魚たちの頭が見え隠れしていることに。
「あいつら、夜まで姿を見せるなって言っただろうに……」
漁師は頭を押さえながら、複数の鍋を用意した。
人魚たちは、今だけでも十人近くはいる。夜までにどれだけ増えるかわからない。
せっかく来てくれたのに、鍋にありつけない人魚がいたらかわいそうだ。
「なんだよ、ずいぶん作ったんだな」
「まあ、ついな」
「祭りの発案者だからか? 気合入れたなあ」
漁師は村人にかまわれながらも、祭りの会場である村の近くの浜辺に何度も往復してたくさんの鍋を運んだ。
他の村人からも、鍋が次々と持ち寄られてくる。
「さて、これで揃ったかの?」
村長が浜辺に集まった村人を眺めている。が、その視線が一点で止まった。
その視線の先、砂浜からたくさんの人魚が上陸しようとしている。
村人たちは状況についていけず、黙って彼女たちの様子を見守っていた。やがてその中から、一人の人魚が前に進み出る。
「本日は、シルモノの祭りとお聞きしました。海の幸を用意しましたので、もしよかったら私たちも皆様のお祭りに加えて頂けませんでしょうか」
貝殻の飾り物を身に着け、落ち着いた雰囲気の人魚が言うと、背後の人魚たちが手に持った色とりどりの魚や貝を掲げる。
それを見て、村人たちが歓声を上げた。
気の早い若者たちが、自分の作った鍋を持って波打ち際まで走っていくと、人魚たちからも喜びの声が上がる。
そのまま、祭りが始まった。
村人と人魚たちが肩を並べて鍋をつつき、人魚の持ってきた海の幸が料理されて新しい鍋が作られる。
彼らは種族の壁を越え、浜辺でひとつの輪となっていた。
「まったく、夜まで待てなかったのかよ」
「ごめんなー。がまんできなかった」
その輪から外れたところに、このお祭り騒ぎを仕掛けた漁師と人魚がいた。
「なんでまた、こんなことになったんだ」
「人魚の長様が、シルモノの祭りって聞いたら乗り気になっちゃってなー。「知る者、知ろうとする者、その心構えが大事だ。陸のことを知らぬといって、意味もなくおびえてはいけない」とか言い出したんだ」
「そんな大層なことを考えてたわけじゃないんだけどな」
あきれたような漁師を見て、人魚が不安そうな顔をする。
「まちがってたか? よくなかったか?」
「まちがってたけど、いいんだよ。誤解があっても、顔を合わせて話し合って誤解を埋めてれば、うまくいくこともある。最初に思っていたのと違っても、こうして隠れることなくお前と一緒に楽しめることができたのなら、これが最高の祭りってやつだ」
漁師の言葉に、人魚はにっこりと笑った。
「この祭りのきっかけを作ったのはお前のシルモノだ! 私はお前のシルモノが最高だと思うぞ!」
漁師と人魚とシルモノのオマツリ 海原くらら @unabara2020
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