第17話 動き出す権力者


堀川成美は自室を見て安堵のため息を吐いた。


「どうでしたか?」


「計画は上手くいきそうだ。後で役員会議を開くから、その時に詳しく話す。今は休憩させてくれ」


「お疲れのようで」


労いの言葉が皮切りだった。


「全く私は自分はおかしい方の人間だと自認しているが、深見博士にはかなわん。あいつが一番いかれてる」


結果的に上手くいったとは言え、何も言わずにクラッキングを仕掛けたのだ。

苛立ちを吐いてしまう。


「…」


「ああ戻っていいぞ、今は休憩したい」


許可が出された部下が背を向けて歩き出す。


「おい、待ってくれ」


「何でしょうか」


「コーヒーを入れてくれ」


堀川社長は部下に趣味とも言える指示を出した。

もちろん、そんなことをしなくてもコーヒーを味わうことは可能だ。

飲んだという結果を自身の描写に差し込むことで時間を短縮することができる。

それで味気がないと思う人も、自身を動作させずにコップに望みのものを満たしている。

むしろそうした方が計算処理が減るので、大抵の人は飲食を省略している。


だが、堀川にとってはそのような選択は論外だった。

料理というものへ自分以外の人の手がかけられるという点に意義を見出していたからだ。

描かれた昔ながらのコーヒーメーカーも今では堀川の部屋くらいしか置かれていないだろう。

仮想現実の中で飲食の贅沢は現実世界の贅沢のほぼ逆に位置する。

歴代の美食家の舌を唸らせた料理を簡単に味わうことはできても、それを作る過程に人が関わることは基本的にない。

堀川は究論、そのような味だけの料理よりも人がお湯を沸かして作ったインスタントラーメンの方が旨いと考えていた。


「ありがとう」


受け取った湯気のたつカップを眺めた。

香ばしい香りが鼻腔を満たす。

作った部下を一瞥しながら口をつけた。

苦味と酸味が舌に伝わって、喉の奥へと流れてく。

この瞬間だけ堀川社長は親から引き継いだ遺産と財力に感謝することができた。


「旨い」


感想と一緒に空になったカップを部下に渡した。


「そろそろ行かなくては」


「どこへ?」


「政治家さんに会いに行かなくては」


部下は納得して頷くとテレポートを見守った。




ーーー



量子コンピューターが実用化され、人々の生活の場が仮想現実に移った時代。

国の会議室も仮想現実上に移されていた。

特別講習会でその党に所属している議員たちが集っていた。


「先日の仮想現実クラッキング事件による被害はほぼないに等しいということですか、羽柴IT担当大臣」


「そうです。仮想現実に生活しているコピーたちは描写が止まっただけで、事件がおきたことすら理解している者も少ない状態でした。私たちができないように犯罪者たちも禁止事項は破れません。彼らにできたのは仮想現実の計算を一時的に止めたことくらいでしょう」


「しかし、金融取引も止まっていたぞ」


「止まっただけでしょう、国家公安委員会委員長。その間、ほとんどの人々も止まっていたのですから、実害なんかないですよ。それに肉体がある人たちも今の時代、お金がなくても生活できることを実感できたでしょう」


「まぁまぁ、落ち着いて。今日は深見博士の研究成果を聞きに来たのですから、終わった話はやめましょう」


「深見博士、どうぞお話なさってください」


「深見悠人だ。人間の脳の論理演算について一定以上の成果があり、総理がそれを聞きたいというので報告に来た」


深見は敬語を使わずに話しているが、誰も指摘しない。今の時代、技術者が政治家よりも偉いのは当たり前だからだ。


「ありがとうございます。深見博士、ぜひご教授ください」


「人間の脳の思考回路を調べる実験において一定の成果が出た。まずは神経の演算能力について。論理積と論理和ができることは遠い過去に証明されていたが、排他的論理和も行っているのかについては仮説で止まっていた。そこで協力者のコピーの大脳皮質を用いた実験を行った。この結果…」


「待ってください、コピーを使った実験とおっしゃいましたか?」


深見博士の研究報告を女性の声が遮った。


「コピーがチューリングテストに合格して以来、コピーの人権は肉体を持った人間と平等であるとされて来たはずです。あなたのやっていることは人権侵害です」


博士はただため息を吐いて


「彼らに魂はない」


女性議員は目を剥いて怒りを露わにした。


「今の発言は聞き逃せません。総理、どう思いますか!」


「あくまで彼個人の意見です。博士、説明を続けてください」


「…この結果、神経細胞がカルシウムを媒介とする活動電位で排他的論理和を行うことができることを証明した。次に…」


説明は滞りなく続いた。

最終的に人間の意識はやはりチューニングマシンに還元されているという結論に達して講習会は終了した。


扉が開かれ、コピーに寄り添う思想を持った派閥の議員たちは憤りながら、廊下に出る。


「信じられません!」


「まぁまぁ、橘くん落ち着いて。私はどうも思っていないから」


「先生がそう思っていても他のコピーたちは黙っていませんよ。唯一、仮想現実出身の大臣なのですから」


「今日の講義は私みたいなコピーにもためになる話だったよ。人間の意識はチューニングマシンに還元できていることを裏付けることにつながるだろうからね」


橘議員はどうしても言いたいことがあったのか口にした。


「いつから技術者や研究者が政治家よりも上になったんですか?」


「インターネットが広く使われるようになってからだな」


彼は橘を宥めるようとするが、一向に彼女の腹の虫は治らない。


「総理、絶対に羽柴先生に嫌がらせするためだけに呼んだんですよ。いつからこんな低レベルなものに政治の場はなったんでしょうか」


「昔も今も変わらないと思うよ。政治ってそういう場だからね」


二人の会話が廊下に響いていた。

全員が出終わると、会議室の扉は閉められた。


議員たちが会議室から離れるにつれて、通路は静かになっていく。


誰もいないはずの会議室に足を踏み入れる人がいた。

堀川成美だ。


「おや、堀川社長。奇遇ですね」


彼女を見て男が声をかける。


「羽柴さんも出世なさいましたな」


橘議員といるはずの羽柴大臣がそこにはいた。


「いやいや、まだ途中です」


二人は笑い合った。


「先ほど見かけた気がするのですが」


「それも私ですよ。博士に体を増やしてもらいましたので」


本来であれば、そのようなことは遠い昔に制定された禁止事項によりできない。

博士がもうすでにパダーロクを使いこなしている証だ。


「博士は?」


「僕はここだよ、堀川社長」


誰もいないはずの空間から声が響くと、博士の顔が浮かび上がる。

いきなり姿を現した深見に二人は驚いた。


「おいででしたか」


「相手の視覚から自信の姿を消せるかどうか試していた。禁止事項のせいで現実と変わらんことに毎日疑問を抱いていたからね」


「で、本当はどのような研究を進めているんだ」


「最近は恐怖をどのように感じるかと言った実験を行なっているんだ」


「協力者のコピーをお使いになられてますよね」


「先日のクラッキングについて罰を受けている。もちろん、本人には何の害もないよ」


「そう言えば、例の自称テロリストたちはどうなったのです」


堀川は聞いた。彼らもパダーロクを狙っているのを知っていたからだ。


「今、私の自宅に来たところだ」


博士が言うと、二人はニヤリと笑った。


「それはお茶を出しておもてなししなくては」


「私の会社からも協力しますよ。自由度が高いのは我らも同じですから」


ーーー



立川たちは深見の自宅を訪れていた。

山奥にある邸宅だ。

21世紀初期に建てられた建物で時代を生き抜いた貫禄があった。

内装に木材を多用した作りは歴史の深さを感じさせる。

警備ロボットをクラッキングして、無力化した後は簡単に進入できた。


念のため銃で武装して、無人の屋敷内を進む。

ベッドの中で男が意識を仮想現実内に飛ばしていた。

その中にいる男は深見博士だと確認してから行動を開始した。

装置のガラスを割って、接続が切れないように体を取り出す。


何度も実験を行っていたおかげでやり方もコツも掴んでいた。


丁寧に迅速に準備をしていく。

記憶を取り出す作業はコピーを生み出す作業よりも簡単だ。

脳の情報の流れを追う必要も、神経回路を事細かくスケッチする必要もない。

ただ、蓄えられたシナプスの変化や結合を観測するだけでいい。


作業は早く終わるはずだった。


「取り出せません!」


その声に立川は天を仰いだ。

対策をしないはずがない。分かってはいたが、いざ賭けに負けると無念の思いが止められない。

廊下に出て、玄関に向かって走り出した。


「軍事ドローンがすでにこちらに向かっている。今すぐ撤収だ」


「リーダー? 何をするおつもりで?」


「俺は良い。もう十分やった。失敗も俺のせいだ。すべてを背負って大人しく警察に捕まる」


無駄に広い屋敷を抜けてようやく外に出た。


「博士は殺しますか」


その声に立川は気づいた。思えば、冷静になっていなかったのだろう。

あの男が自分たちを無傷で返すはずがない。

そもそも自らを危険に晒して賭けに出すはずがない。


何が起きるか予測した時には遅かった。


爆発音。

ベッドが置いてあった部屋からだ。

石坂が顔を煤だらけにして出て来た。


「博士はダミーだった。軍事ドローンが向かって来ている。逃げても間に合わない。早く中へ」



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