第16話 足掻き


彼女は誰もいない部屋で目を覚ました。

ドアには鍵がかかっており、体当たりをしたが開きそうもない。

テレポートもできるか試したが、何かに阻まれてできなかった。

あの男はここに閉じ込めるだけで満足して何処かに行ったようだ。

彼女はベッドの上に座り、自分が生まれた世界のもう一人の仮想現実上の存在を想った。


「上手く脱出できたでしょうか」


不安を吐き出しても、部屋には満ち足りない気がした。




ーーー




僕は姿が見えないまま街を歩いた。

一人だけ影が浮かぶことのない状態で何ができるだろうか。

せめて見えない人物がいる事を知っている人物が必要だ。


立川さんたちは脱出できたら保護してくれると言っていた。

目的はぼくが持つパダーロクなのだろうが、この際は頼るべきだろう。

しかし、あの人たちはLIMBOの中にいるのだろうか。


立川さんたちはパダーロクを望んでいた。

察するに彼らに時間はないだろう。

僕が訪れる前に現実で博士たちに襲撃をするのではないだろうか。



気づけば日が暮れていた。

夜の影に覆われた街では僕は行き交う人に溶け込んでいく。

周りを見渡すと僕は普通の人でヨーロッパの都市を訪れただけと錯覚してしまう。

街灯の前を通った時に一人だけ消えた。

やはりここは現実ではなく、僕は幽霊なのだ。


考えても仕方がない。

とりあえず、今できることを探そう。


僕はベータ版で行ったようにシステムにアクセスできるか試した。


頭に高次元の格子が浮かんできた。

僕はそれを基底ベクトルから最も近い格子点を見つけ出す。

格子暗号は本来であれば、量子コンピューターでも解けないらしい。

こうして簡単に解けてしまうということはパダーロクとはある種の秘密鍵だったのだろう。



それらしい人物がいる場所が分かった。

三人のうちの一人だ。

なぜ一人でいるのかわからないが、僕は急いでその場所へとテレポートを開始した。

が、できない。

LIMBOではない仮想現実にいるのだ。


…秘密鍵はLIMBO限定のものなのかもしれない。


僕はLIMBO内の全ての外への移動物のデータを追った。

その仮想現実へと送られるデータに自身を混ぜる。

僕自身をバラバラにしてみたが、驚いたことに僕の意識は持続し続けた。

情報はいったん暗号処理を行われて別の場所へと送られていく。


吹き上がる様々な情報の断片には僕自身が紛れ込んでいる。

断片が到着すると組み立てられて、意味をなし姿を現した。

LIMBOではない場所に来た。

違法な形の高層ビルが並ぶ世界に来ていた。

アスファルトの道路の両横をコンクリートの壁が永遠と続いている。

この先、書き換えは難しいかもしれない。

僕は緊張しながら足を踏み出した。


遠くからエンジンの音がした。

ビルに反響して少しずつ近づいてくる。


しばらく歩くと道路に倒れている人物がいた。

うつ伏せに倒れているせいで顔が確認できないが、あの場にいた三人のうちの一人だ。


どうして一人で倒れているのだろう。

疑問に思いながら、近づく。

起こそうとして意味がないことに気がついた。

手を引っ込めて側で待つ。

死んではいないから、時間が経てば起きるのかもしれない。


エンジンの音が大きく耳を擘く。

横を見るとトレーラーがこちらに向かって走って来ていた。

狭いアスファルトの道路では逃げ場はない。

このままだと彼は轢かれるだろう。

できないと思いながらも起こそうと念を込める。


「ん、どこだここ?」


男が目を覚まして顔をあげた。

三人の中で一番若い男だ。

僕は彼の顔の前で手を振ったが見えていなかった。


エンジン音に反応してトレーラーの方を振り向く。


状況が分かったのか口をあんぐり開けた。

慌てて反対方向へと走り出す。


だが、人の走る速度が勝るはずもなく、距離が縮んでいく。

このまま彼が轢かれれば、消えてしまうかもしれない。

僕は急いで、この世界の暗号を解こうと計算を走らせた。

LIMBOのようにスムーズに解くことができない。


男が転んでしまった。

距離が一気に縮み出す。

僕は必死に惨劇が起きないように念じた。


引くであろう寸前で、クラッキングができた。

トレーラーは必死に逃げる彼の靴に触れて止まった。


後ろを向いて呆然としている。


システムをクラッキングできたので情報が得られないか試す。


男の苗字は浅間だとわかる。

なぜか、下の名前は表示されていない。

もっと情報を探るためさらに深く、潜り込んでいく。


僕は驚いた。

感情が流れ込んできたからだ。

焦りや不安、怒りを抱いている。


<何も思い出せない。てかっどこなんだここは>


脳裏に声が響いた気がした。

心の声も聞けるようだ。

もしかして逆のこともできるのではないだろうか。


<僕の声が聞こえるか浅川>


「誰だよお前っ、どこに隠れている!」


試してみると浅川は

浅川は周りを見渡したが、誰も隠れていそうにない


<僕は目の前にいる>


浅川の表情が一瞬怯えたように見えた。

まさかこいつ、この年で幽霊的な存在を信じているのか。


<大丈夫だ。しっかりと存在している>


「完璧なステルス技術を独自で開発したとか…」


<そんなもんだよ>


マジかよ…と呟くと、浅川は僕がいない方向に向かって叫んだ。


「お前かこんなところに俺を置いたのはっ!」


<そっちではない。僕は関係ない。というか聞き覚えはないのか僕の声に>


「関係ない? 嘘だろ。いや、お前の声に聞き覚えはない。知り合い面すんな」


疑問に思った。あまり一緒にいなかったとは言え、言葉だって交わしている。

本気で覚えていないのだろうか。


<テロ組織とかに所属したことは?>


「はぁ? ねぇよンなもん。人を見た目で決めつけんな」


やはり記憶が抜かれている。博士があの時に彼のデータを奪ったのだろうか。

彼はおそらくコピーだ。本体は今頃、現実世界に戻っているのだろう。

問題はこの微妙に荒廃した世界に記憶を抜いた彼を置いた目的だ。

どうせロクでもないに違いない。


<ここから出られる方法を手伝ってやる>


「出る? 何言ってんだ。ここは現実世界だ。仮想との見分けがつかないくらいゲームに浸ンな」


これは想像以上に厳しい。同じコピーとして彼を助けたいと考えていたのだが。


<…まぁ、気が変わったら話しかけてくれ>


「ん、おい! 勝手に消えんな。さよならはせめて出て来てから言え!」


浅間は叫んでいるが、僕は無視して消えたふりをした。


僕が消えたと判断したのか浅間は道路を歩き出す。

それが当然かのように。

どこまでもどこまでも歩いていく。


遠くでエンジン音と悲鳴が聞こえた。

僕は何事かと見渡したが、浅間は気にせずに歩き続ける。

嫌な予感がしてログを開いた。

浅間のコピーは何度もこの世界に描画されていた。

やはり何かの実験に使われていた。

この世界はそのためにデザインされている。

一旦ここから出ようとしたが、何かに弾き返されてしまった。


外からきた僕には異質に映るが、気づかないように設計された浅川は永遠に気づかない。


僕は宙に浮かんで他の道路を眺めた。

同じように浅間が倒れていた。

遠くには浅間の死体の山が築かれていた。


博士は魂を侮辱している。


どうしようもない怒りが湧いた。


あの男は言っていた。

コピーとは偽物であり、そこに意識は存在していないのだと。


心の動きもコンピューターが人間の脳のニュートラルネットワークをシミュレーションしただけであり、人間の模倣をするのだからチューニングテストをクリアできても、そこに意識が宿っているとは限らない。



何度頭で思い描いても僕には納得できない。

僕自身がコピーと呼ばれる存在だから。

僕にとっては胸に手をかざした時の心音も感情の起伏もどれも本物だ。

一片の疑いすら抱かない。


それが例え、外から見れば、0以上1以下の羅列でしかなくても、僕が感じるものは全て本物としか言いようがない。



だが、これは説明のしようがない。

意識の存在の証明を完璧にできた人はいない。

それは目に見えないのだから。


僕が何を言おうと、否定する人には何も響かないだろう。

だから議論は時間の無駄だ。

あいつはおそらく、コピーに本物の意識があるとは思っていない。


人類を導くためには世界を再構成する必要があるとは言っていたが、そこにコピーは含まれていない。


手に入れてパダーロクを使って何かとんでもないことをするだろう


その前に僕自身があいつを止める責任がある。

あいつは僕なんだから。

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