第15話 電子の幽霊
立川学は棺桶のような密室空間で目を覚ました。目の前のガラスに自分の顔が映っている。
全感覚を接続するには大それた機械が必要だと思い出して、舌打ちした。
「開けろ」
苛立った声で言うとAIが認識し、ガラスの蓋が外へと開く。
あまりにも遅いので開きらないうちに、立川は無理やり押して接続ベッドの外に飛び出した。
「おはようございます。立川さん」
外には部下が待機していた。
「博士がパダーロクを手に入れた。意味はわかるな?」
「立川さん、それは…」
本当ですか。
そう続く部下の言葉を遮って指示を出す。
「本当だ。今すぐ博士の邸宅に向かえ。パダーロクを強奪する」
そこまで言って、立川は不安に思った。
博士は権利を手に入れた。強奪は相応の危険が伴うだろう。
士気に影響は出ないだろうか
「大丈夫です。皆は元から覚悟してますので」
部下はそう言うと指示を伝えるために、廊下へと走り去っていった。
立川はいつの間にか顔に出た感情を見られ恥を覚えると同時に、同志への頼もしさを実感して、何とも言えない気分になった。
自分もすぐに動かなくてはいけないことを思い出し、置いてあった荷物を手に取る。
「そう言えば、奴は脱出できたのだろうか」
部屋から出る時、ふと思い浮かんだ。
ーーー
深見悠人が一番に感じたことはなぜ自分の意識が消えていないのかと言う疑問だった。
少し待つと、先の記憶が思い出された。
転送できた容量が少ないかもしれない。自分がうまく脱出できたか不安だ。
目を開ける。あの岩の壁に囲まれた広場だ。
さっきと全く違いがわからない。
しかし、そこには博士もサクラも立川さんたちもいなかった。
ここはベータ版ではない?
慌てて、街へとテレポートを使って飛んだ。
どこを見渡しても人、人、人。誰もアクセスしていないはずの街には人が溢れかえっていた。
やはりここは正式版LIMBOだ。
事実を理解できた瞬間僕は駆け出した。
街を抜けて、広場に着いた。
僕は喜びのあまり、奇声をあげた。
自分は今生きている。
コピーだと、偽りの存在だと言われようが構わない。
僕に生があることは自信がよくわかっている。
生まれたのは数ヶ月前かわからないが、僕には18年間生きた記憶がある。
僕は生還することができたんだ。
赤煉瓦の屋根、石畳の道。
体感にして数日前のことなのに目に映るもの全てが懐かしく感じた。
こうなった以上は戸籍の問題が起きるはずだ。
博士の蛮行の通報もある。
報告するべきことがたくさんあるのだが、生憎、知っているのはベータ版なので、どの施設に向かえば良いのかわからない。
すまないが、市役所はどこにあるか教えてくれないか?
恥を忍んで道にたたずむ男に尋ねたが、彼はこちらを無視して去っていった。
未来にも薄情な人がいるのだと唖然としたが、すぐに気を持ち直し、別の人に質問した。
その人も僕を無視した。
僕は四人でまとまって歩く若者に質問したが、やはり僕を無視した。
道ゆく人に声をかけまくったが、全員が僕のことを無視する。
ふと女性が僕を見ていることに気づいた。
その人に話しかけようと近づいたが、女性はその場から離れ出した。
何とか追いつき声をかけたが、僕が見えないふりを続けた。
なぁ、持ってくれ!
僕はそう言って女の肩に触れた。
肩に触れたはずのその手は何も掴むことなく、するりと通り抜けた。
女性が歩いて離れていくと、停車していた馬車に乗りこんだ。
空を切った掌をじっと見つめる。
呆然とする僕を前から来た発車した馬車が轢いた。
僕が存在しないかのようにスッと減速すらせずに通過した。
振り返ったが、後ろ姿を見せる馬車に僕を轢いた跡はなかった。
周りを見渡した。
誰も僕のことを見ていない。
僕はようやく自らの置かれた状況をまだ断片的にだが…理解することができた。
上手いことあの場から脱出したつもりだった。いや、脱出自体はできたのだろう。
だが、状況を見るに明らかに完全な脱出に失敗している。
考えろ、考えろ。
僕がこうなっている原因は何だ?
ダメだ、何も浮かばない。
そもそも僕はなぜ存在できている?
あの腹の立つ男の話が本当なら僕は何者かの、深見悠人のコピーと言うことになる。
つまり肉体が存在しないのだから、帰る場所はやはり仮想現実にしかない。
だからこうやって実装版LIMBOに来たのに、他の人から鑑賞できなくなってしまうなんて予想外にも程がある。
いや、そんなことは後になっても言える。
考えろ、深見悠人!
脱出は完璧だった。なのに何でこうなった。
根本的なところから考えてみる。
僕が存在できているのは開発者が…、僕のスキャンデータを実装以前のバージョンに分散して隠していたからだ。
僕は結合したデータをあの男にバラバラにされながらも、おそらくそれを応用して、何とかここにたどり着くことができた。
つまり僕はここの人々からしたら過去から来たみたいなものになるが…
もしかして、それと関係があるのか?
僕というデータがどこに隠されていたのかは定かではない。
だが、どうやって隠されていたのかはおおよそ推測できる。
例えば、街の街路樹の揺れを司るプログラムに隠されていたとする。
その揺れのアルゴリズムが僕を動かすプログラムのアルゴリズムよりもある程度か複雑であるならば、揺れのプログラムを修正して、僕のプログラムを走らせることができる。
おそらくこの原理で僕は隠されていたはずだ。
ではその街路樹が正式化の過程で消されたしたら…
僕を構成するプログラムは完全とは言えなくなるので、ベータ版とは違ったものになってしまうかもしれない。
この場合。消されたものは他人が僕を認識できる部分だけになる。
そう考えると、僕が連続した僕と認識できる分、事態はまだマシな方なのかもしれない。
いや、違う。
立川さんやサクラ、クソムカつく博士の口ぶりからするに、ベータ版の世界で僕は始めて彼らに出会ったのだ。
正式版のLIMBOには僕がいない、もしくは見えなくなっていたと言うことだ。
いなかった場合、僕がここにいるのは、脱出の際、ダミーのプログラムごと送りこまれたことになる。
転送できるデータの容量の限り、それはありえない。
残るは僕がこのLIMBOにもともと隠されていたこと…
ハハハ。
思わず、乾いた笑いが漏れてしまった。
転送できるデータの量、この状況から推測するに僕は元から正式版のLIMBOに隠されていたのだ。
あの場から転送されたのは僕の記憶だけ。
その記憶が正式版で隠されて生きていた僕の記憶を上書きしたのだ。
足から力が抜け、地面に手をついてしまった。
呼吸がわずかに速くなっている。
コピーの死がどのように定義されているのかは知らないが、ここで生活していた僕は永久に失われた。
もし、どこかに別の僕のコピーが生活しているとしても、それが消えてしまったことに変わりがないのだ。
いや、これは死と定義されるだろう。本体なら記憶の上書きなんて、連続性が失われるのだから、禁止されているに決まっている。
僕はベータ版LIMBOに隠されたパダーロクを手に入れた。
パダーロクは本来なら禁止されている上書きを可能にする権利なんだ。
僕はもう一人の自分を消して、自分を連続させた。
唯一の希望は彼がここでの生活が嫌になっていれば僕の罪の意識も幾らか軽くなるのだが…
もう失われてしまったのだから、確認なんて永久にできない。
僕はこれから、ずっと永久に罪の意識に苛まれて生きていくことになる。
残念ながら、きっと誰も僕を裁くことはできない。
そして僕はこの世界に縛られている。
僕を構成するプログラムはこの仮想現実に依存し、誰も僕に気づかず、それが永久に続く。
ハハハ
乾いた笑いが止まらない。
ハハハ
何だよそれ。僕が何をしたんだ。どうして僕が苦しまなくてはいけない。
僕はただの高校生だ。それすら記憶のコピーだけど。
僕は力の抜けた足を引っ叩いた。
痛い。
だが僕が生きている証だ。
立ち上がり、前を向く。
そのまま僕は道を歩いた。
道ゆく人は皆、僕をすり抜ける。
僕は認めない。
現状に屈して永遠にこのままにしておくことなど。それこそ死と何ら変わらない。
せっかくパダーロクを手に入れたんだ。開発者のお望みどおり有効活用してやる。
絶対にここから飛び出して、僕を巻き込んだ奴らの度肝を抜かしてやる。
そしてサクラを今度こそは助け出そう。
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