第10話 致命的なバグ

僕は病室で僕を見下ろしていた。

脳の移植手術を終えたようで、頭皮には切開の後、皮膚を縫った跡がある。


医師が近づくと、ベッドの上の僕が目を開けた。



「では、明日からリハビリを開始しましょう」



「…ゎかりっ…ぁしたっ…」



そいつが喋った。


僕は何も喋っていない。


理解できない。

何で誰も僕を見ずにベッドに横たわるそいつを見ているんだ。

医師が去っていく。


ドアが開き、両親が入ってきた。


母親も父親も僕に駆け寄る。

その後も似たようなことが続いた。


みんなはそれを僕だと認識しているようだった。

本当の僕がここにいることすら気づかずに。


僕は大声で叫んだ。

聞こえているものは誰もいなかった。




暴れても何にも触れられなかった。

僕が存在しないままこの病室の時間は進み出した。


もう一人の僕はリハビリを始めた。

手を動かせるようになり、車椅子で移動することができた。

車椅子から松葉杖で歩き出すと、周りの人たちは祝福した。


僕はずっとその様子を眺めていた。



僕は幸福を絵に描いたような男だったことに気づいた。

気づかなかった罰なのか僕はとんでもない監獄に入れられた。

僕は初めて神様に祈った。どうか戻してくれと。

何度祈ってもそんなものは出てこなかった。神様がたびたび嘲りの対象になる理由がよくわかった。

もちろんお化けや悪魔の類も姿を表さなかった。






「ありがとうございました」


今日は僕が退院する日だ。

親に引き連れられて僕が歩き出す。

僕が病室を離れていく。


窓を見ると、僕を乗せた車が走り去っていくところが見えた。


ベッドに腰掛けてはたと気づく。



自由に体を動かせられる。




僕は病室を飛び出して、僕を追った。

何者なのか問いただす必要があったからだ。


全速力で走り、エントランスらしき場所に来た。

誰かにぶつかるといったことは考えずに走った。


違和感に気づいた。

僕以外に誰もいないのだ。


全速力でもといた病室に戻った。

なぜかここにいてはいけない気がした。



病院の廊下と言えど昼間のなのに誰もいない。

何かがおかしい。


ナースステーションに寄った。

人の影がなかった。

走ってもう一度あの病室へと戻った。

他の患者がいないはずのカーテンをめくっていく。

空のベッドがあるだけだ。

僕が天井で動けなかった時は声は聞こえてきたのに。


もうこの時点で僕は何かしらの致命的な事故に巻き込まれたのだと推測できた。

仮想現実のバグかもしれないが、どう脱出すればいいのかわからない。


思案にふけっていると後ろで物音がした。

廊下に出るドアの窓に一瞬、人影が見えた。



僕は廊下に飛び出した。

その人物は廊下の突き当たりで一瞬、薄桃色の髪が見えた。


「サクラ?」


僕は彼女を追った。

その髪の色には見覚えがあった。

安心感とあの場所への帰還への望みが湧き上がってきた。


彼女が曲がり角を曲がる。

僕は足を滑らせながらも彼女を追いかけて曲がり角を曲がった。

遠くでドアが閉まっていく。


真上に設置されたランプが天井に緑の光を伸ばしていた。非常口だ。


外に出る扉を開けた。


真っ白な何もない景色が視界に入った。

何もないと言うのは文字通り何もない。


「ここはまだ仮想現実か」


僕は安心とともに焦りが湧いてきた。

どうやって脱出できるのかわからない。

この先へ進めばいいのか、一度戻るべきか、そう思案して振り返ると廊下が消えていた。

周りが真っ白になってしまったのだ。


どうするべきか考えていると足音が耳の中で鳴り始めた。

ドアノブを回す音がする。

目を閉じると僕はどこか書類が床に散乱した部屋が視界に入った。

僕はベッドの下にいた。

装飾の施されたドアが開いた。

若い男の声がした。


「何だ?」


「いや、書類が落ちてました。今日は風が強いですから、それが原因でしょう」


「これは…野木助教の…」


「あの意味不明な論文か」


「野木助教の研究はいったい何を目指しているのですか」


「プログラマーが設定を行うと自動的にDNA配列を置き換えて、望んだ通りの細胞の機能を行えるようにすることが目標らしいが…」


「聞く限り凄いことを研究されているように思えですが」


「読んでみろ」


指示された男が沈黙した。読んでいるのだろう。


「…これは何を?」


「さぁ、野木はDNAを使ったNTM、非決定性チューリングマシンや全く新しい生物を作るとも噂されている。というのも内容がまとまってないんだ。見ての通りいったい何が言いたいのかわからない。気味悪がられているが、一応は助教になるくらいには優秀だからな。そこは勘違いするな… まずいもう18時だ」


布を取る音がした。コートでも羽織ったのだろう


「娘さんとの仲は戻ったんですか」


「今頑張っているところだよ。そうだ、君はこの後時間はあったよな。よかったら会ってくれないか。最近、話の話題が尽きてね。何しろ、年寄りだから若者の流行りがわからない」


「僕もわかんないですよ。今の流行なんて」


「かまわんよ。少なくとも私よりは話ができるだろう?」


何と答えるべきか一瞬躊躇したのだろう。


「ええ、まぁ」


数秒置いて返事をすると二人は去っていった。


僕は何を見たんだ?

目を開く。真っ白なあの場所ではない。

気がつくと、車の中にいた。


いつも利用する自動運転タクシーだ。

やけに見覚えがある。

そうだ、事故が起きる直前に見た景色だ。

異常が起きる前に停止させようとしたが、なぜか体が動かない。


この時の僕はこれから起こることに気づかずに、腕時計型の端末を触っている。


本来停止すべき、設定した目的地を通過した車はそのまま進んでいく。

気付いた僕は顔を上げる。

あの時がそっくりそのままに動かされている。


「何だ? 止まれ」


僕の口が勝手に動いた。

車は言うことを聞かず、そのまま直進していく。

僕は体が動かせないまま暴れたが、やはり僕の体は誰かに憑依されたように以前の行動を繰り返すだけだった。


「どうなってんだよ、止まれ」


車の速度は徐々に速くなっていく。

この時にまずい事態が起きたと気付いたんだ。


「誰かーっ! 助けてくれーっ! 」


慌て始めた僕は大声で叫んだ。

叫び疲れたのか声がピタリと止まった。


いや、よく感覚を追うと呼吸も止まっている。

外の景色は流れていくのに僕の時間だけが凍りついていた。

あの時は起こらなかったことが起きている。


数秒後、僕は再び体が自由に使えるようになった。


「動かせる…? 早く何とかしないと」


ようやくあの時はできなかった選択肢を試みることができる。

急いでシートベルトを解除しようとしたが、なぜか…差込口はボンドで固められたように動かず、解除できない。

シートベルトを引きちぎろうと、もがくうちに車は加速し飛び降りたら大怪我をするようなスピードにまでなった。


「ストップ!、緊急停止!」


何とかして車を停止させるしかない。

別の言葉で試すが、どの言葉は無視される


踏み切りが見えてきた。ちょうど遮断機が降り始めている。

車が事故を起こした場所だ。

速度計を見ると、見た事ないような数字を表示している。


「止まれ、停止、止まってくれぇえぇぇ」


列車が近づき始めた踏み切りは徐々に近くなり、目前にまで迫った。


「うわあぁあぁああ」


僕は手をかざした。

指の隙間から、斜め目前に列車が迫ってくるのが見えた。

時間がゆっくりになったが、僕の体の動きもゆっくりになる。

脳の処理速度が上がったのだ。

遅くなった時間の流れの中で、僕は必死に考えた。

間も無く確実に車は真横からきた列車と衝突する。

このままでは僕の体は車ごとバラバラになる。


何とかしないとまずい。もう時間がない。早く動かないと。

ああ揺れた。衝突した。窓ガラスが割れ、僕に降りかかる。

硬そうな車のボディがひしゃげて引きちぎれていく。比べてシートベルトは千切れない。僕の腕はいとも簡単に潰されて、とても熱くてどうしようもできない。衝撃が内臓や骨を通って僕を駆け巡り、頭を揺らされ次には足が挟まってものすごい力で押されてぐしゃりと体が外側への力で押し出されて体から痛みとともに硬い音がしてあっという間に僕は押し潰された。



気がつくと僕は形が綺麗に戻った車の座席に座っていた。

途中からだが、さっき見た光景だ。


「誰かーっ! 助け…」


僕は叫び声をあげたが、言い終わることなく、誰かに口を塞がれたように止まる。

さっきよりも体の操作権が戻ってきた。

とっさにシートベルトを外そうとしたが、外れない。

できないことを試しても仕方がない。


何か方法が他にないか考えろ考えろ


なぜか時間が巻き戻っている。

これは僕の無意識が、あるいは誰かが意図的に悪夢を見せているんだ。

夢である限り、それは現実ではないのだからいつかは目覚められる。

きっと終わらせる方法があるはずだ。

何の目的もなしにこんなものを見せるはずがない。

必ずそこには何らかの意図があるはず。

僕がそれに気づかない限りこれがずっと続くのかもしれない。


踏み切りが迫ってくる。

だめだ考えても間に合わない。

怖い怖い怖い


僕は窓ガラスが少し震えるほど叫んだ。


体に強い衝撃が走った。

僕は強い力で叩きつけられてまた事故を起こす前の車に戻った。


予想通りループした。

叫んだ後のようで僕はすぐに行動することができた。

縛られているせいで思案することしかできないけど。


結局何もわからないまま僕は再び列車に叩きつけられた。


今度は少しも時間の流れがゆっくりにならなかった。





ーーー




青い光を発する柱に照らされて二人の影が地下空間の壁に浮かび上がっていた。

薄桃色の髪をした女性がベッドの上で寝ている青年を見守っている。

その後ろには銃を彼女に構えた男が立っている。


「彼を苦しめることに意味はあるのですか」


「意味があるから私は動くのだ」


男は銃を構えたまま、問いに答えると、青い柱から一つの画面を取り出して触り出した。


「あなたはテロリストでもなければ、開発関係者でもない。何者なんですか」


「ふむ、私は一応開発関係者だ。記録が残っているかは知らないが」


男は手を動かすのを止めない。


「これでもう起きないな」


ようやく手を止めて女性の方へと振り返り、銃の安全装置を外した。


「質問だ。協力してくれ、なぜこの世界にいる?」


「治療の関係で彼をこの仮想現実にアクセスさせました。私たちはこのテロに巻き込めれただけで関係はありません」


「ふむ、巻き込まれたねぇ」


男は失笑して引き金を引いた。サクラの足元に穴が空いた。

彼女は混乱していた。AIである彼女は触れなくとも柱のデータにアクセスして詳細な情報が知られるからだ。

穴は床という情報を消して、空気に上書きされていた。直そうにもなぜか元に戻すことができない。その部分のバックアップごと消されているようだった。


「見ての通り、この銃は禁止事項を犯すことができる。撃たれると最悪、存在を抹消することができる。バグを利用した技術だよ。LIMBOでしか利用できないがね」


彼女はただただ驚いた。禁止事項を破る犯罪は知っていたが、バックアップごと消せる技術は知らない。男の成し遂げた努力に尊敬と呆れすら湧いてきた。


「どうして…いったい何が目的なんですか」


男は再び笑って銃口を向けた。


「不平等じゃないか、存在のバックアップがあるなんて。君たちに死を与えたいだけだよ」

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