第8話 星の海




舟が星の下、穏やかな海を進んでいた。


あの後、ワープ部屋に入ると、船の中に出た。

次のポイントは海だと言うことでそのまま舟を出向させた。

帆船だが、帆の張りも資金の関係で自動で行えた。

帆を自力で張るのも考えていたそうだが、既成のものを引用したコストダウンになるのでそちらを選んだらしい。


僕は甲板に出て外を眺めた。

月が海に浮いている。

現実ではありえない大きさだ。

恐竜がまだ地表を悠々と歩いていたジュラ紀の頃は月が大きかったと言うが、流石にこの大きさはありえない。

仮想現実の中だからこそ見ることが可能な光景だ。


上を見ると満点の星空が広がっていた。

再び海面を眺める。

水面には頭上の星々がコピーされたようにそのまま映り込んでいた。

下手に映らないようにするよりも、こちらの方が計算を減らせるのか。それとも美しいからという理由でこの景色を生ませているのだろうか。

これまで見た出資者の趣味からすると案外後者かもしれない。


舟が進むと海面に波紋が広がり、そこに映る星々が揺れる。


「まるで重力波だ」


「深見さんは将来は仮想現実に関する研究をされたいと言っていましたね。でもかなり、物理に関してもお詳しいようです」


サクラが僕の隣に立って聞いてきた。


「実は小さい頃は物理学者になりたいと考えていたんだ」


「聞かせてもらっても?」


「こんな話でよければ。僕が小さかった頃、と言っても10年くらい前だけど、AIが本格的に使われるようになって、貧富の格差が広がったんだ。それで普通の職業に就く気が薄れてね」


「なるほど、私が原因ですいません」


「別に医療関係者は目指していなかったから。それに医療の場合、AIが新しい雇用を生み出している。話がそれたけど、僕は自分が世界の中でちっぽけな存在だと認めたくなかったんだ」


「アイデンティティーで早くに悩まれたんですね」


「そうそう。そこで宇宙や量子みたいに人間と比べられないレベルのスケールの世界に興味が湧いたんだ。

中学生の頃まではある理論に関する論文を読んで情報を得て、自分なりに研究していた。

超弦理論って言うんだけど」


超弦理論は世界を構成する最小単位は粒子などの点ではなく、弦と呼ばれる糸状、もしくは輪っかのように両端が繋がったものだとする理論だ。

なぜこんな理論が登場したのかと言うと、量子力学と相対性理論を統合する理論を考える際に非常に都合がいいからだ。


この理論が登場する以前は量子論、スケールの小さい世界を扱う際、最小単位の粒子を点として扱ってきた。しかし相対性理論をここに加えるとある物理量の大きさは距離の2乗の逆数に比例するので点と点同士の距離が0になると重力は無限大になってしまう。その結果、粒子が点だと無限大が計算式に頻繁に出てしまい、理論は破綻する。


「その度に物理学者は頭を掻き毟ったことだろう。でも粒子を点ではなく弦の振動として考えたら…」


重力を量子化することさえ可能になるだろう。それは万物の理論の最後のピースを埋めるということだ。

自然界に存在する4つの力、電磁気力、弱い力、強い力、重力を統一する理論を万物の理論、または統一場理論と呼ぶ。重力を除いた三つの力を統一する大統一理論は現在、超対称性と言う概念を加えるに至り、後少しで完成のところまで来ている。

そこに重力を加えることができれば、人類はついに万物の理論を完成できる。

素粒子の全ての性質を説明するだけでなく、時間と空間の誕生、つまりこの世界が生まれ、消滅する様子さえも理解できるようになるのだ。


「宇宙の始まりに存在したただ一つの力。どんなものなのか知りたかった」


ただ残念なことに、超弦理論は証明されていない。

この理論を実証するのに莫大なエネルギー量が必要になるため実証不可能なのだ


「実現不可能だと知ったら、途端にやる気が失せた」


「それで物理ではなく仮想現実の研究の道に?」


「進みたいと思っているだけだよ。量子的実在論を研究したいんだ」



世界は最小単位の粒子と物理法則によって動いている。

これは変わらない絶対的な真実。


ただ、量子的世界と我々の目にする現実の世界は重なり合えない。

量子の世界ではそれほどまでに突飛でありえない振る舞いをする。

量子的実在論はそんな量子的世界が本物であり、物理世界を仮想現実として描いている。


一言で表すと物質は情報処理の結果ではないか?という疑問にできる。



「現実に変わらぬほどの仮想現実があれば、人は絶対に見分けがつかない。

そもそも現実すら素粒子単位でシミュレーションされた仮想現実の可能性すらありそうだ」


ビッグバンはコンピューターが時空運営システムとして起動した現象だと考えたら面白い。

その世界ではあらかじめ決められた法則で物事が動いていく。

莫大な処理能力を持ったコンピューターで作った仮想現実の人々は自分がシミュレーションの結果により生まれたことを知らぬまま生きている。


「宇宙そのものがコンピューターの中でシミュレートされたものである可能性があると言うのですか」


「ビッグバンは実はビッグリップなのかもしれない。このように全ての現象を我々の用いる情報技術に当てはめることができる。例えば、画素はプランク長、更新速度はプランク時間だ」


「でも宇宙が仮想現実だとすると命令を解読するプロセッサーの更新回数がものすごいことになりませんか?」


「ある論文によれば10を40乗した数の1正、1京に1兆を二回かけた数になるらしい。

確かにものすごい数字になるけど、いずれ人類もそんなコンピューターを開発できるようになるかもしれない」


僕はそこで一呼吸置いて言った。


「でも、やり方によっては今の人類でもこの世界と同様に世界を仮想現実の中に描けれるのではないかと考えてるんだ」


「1正ですよね。量子コンピューター、今の仮想現実の技術では再現することは不可能なのでは?」


「いや、工夫すれば可能かもしれない。塵理論と言うのだけど」


「塵理論?」


「あるS F小説に出てきた理論なんだけど、例えば…、突拍子だけどこの仮想現実がバラバラにされた情報ををランダムに再生されたものだとする」


サクラは驚いた。


「突拍子すぎますよ。それは」


どうやら不満らしい。


「まぁ、そこには目を瞑って。僕たちには一貫性の持った世界だけど、外から見れば、因果関係が全くない組み合わせがランダムに変動し続けるんだ。まさしく塵のように」


過剰に反応した事で僕がショックを受けると考えたのだろう。

彼女は俯いて申し訳ないような顔をしていた。


「そこに私やあなたはどうやって存在しているのですか?」


「その塵の中さ。塵同士が適当なパターンを見つけ出して解釈し、自分を組み上げているんだ」


一瞬間が開く。AIでも理解するのに時間がかかるらしい。


「わかりました! つまり円周率のように永遠に続く非規則な数列の中に意味を見出すと言うことですね」


理解できたのか、彼女は顔を上げて話した。


「そうそう。探せば、円周率には全ての人の誕生日が含まれてる。日付だけでなく、分秒もね」


「でもその意識は組み上がるものなのですか」


「実はそこが一番厄介。でも、そもそも自分に意識がはっきりありますと証明できる人間はどこにも存在しない。意識があると自分で思ったならそこに意識があると信じるしかない」


「デカルトですね。仮にその理論が可能ならこの宇宙も塵理論でできていると考えることは可能でしょうか」


「そうだ。世界の実態は時間も空間も塵のように小さな命令が世界に散らばっているんだ。その繋がりの組み合わせにによって発生する、いや、認識によって繋がりの組み合わせが発生して、世界は構成されている」


「宇宙は思考していると」


「うん。銀河は人の神経細胞に当たるものなのかも、知的生命体の行き来がシナプスだ。だから、そこで生まれた自分を認識する生物たちによって世界は少し変えられるじゃないのかな。未来を自分たちで選択できるのはそう言うことなのかと」


「つまり世界は認識によって変わる、ロマンがありますね」


「人の脳のニュートラルネットワークとバブル構造は酷似している。両方の画像を見比べたら、誰だって頭にロマンティックなことを思い浮かべちゃうよ」


「いえ普通の人は中々、そこまで考えられませんよ。」


意見を肯定されて嬉しくなった僕は話を続けた。


「そう言えば、人が夢を見るのは記憶の整理をした時に脳がそう解釈しているんだ。見方によればこれも同じではないか」


「そうですね。ある学説によると、夢を見る際の脳のニュートラルネットワークの動きは…」


僕の精神ケアにもなると判断したのだろう。サクラはその議論に付き合ってくれた。


ただ一瞬、サクラが申し訳なさそうな顔をしたことがよぎったが、僕は気にせずにそのまま議論を続けた。

あの表情の意味を僕はまだ気づいていなかったのだ。

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