第7話 ピラミッドでの遭遇


「もう一人、正体不明の人物がいます」


砂岩に囲まれた空間に声が響いた。


「すぐそばに」


再び、辺りは静寂に包まれる。


「開発者とか関係者とか…」


「あり得ますが、なぜ、私たちの目の前に姿を現さないのでしょう」


サクラに見つけられると不都合なことがるからだ。

外と断絶しているとは言え有名な公的医療AIから隠れているとはそう言うことだろう。

それだけならマシなのだが、もっとまずいのは…


「ええ、私たちの後ろをピッタリと跡をつけています」


サクラは頷いて言った。

後ろを振り向く。この部屋への出入り口、ピラミッドへの出入り口と続く砂岩の廊下には誰もいない。

空気が一瞬揺らいだように見えた。


「!? 避けてください」


僕は彼女に押し倒された。

サクラの足元に何かが刺さった。

矢のようなものが床にめり込み埋まっている。

いないのではなく、見えなかったのだ。


走って部屋の壁側に寄り、出入り口の死角に入る。


確か、仮想現実においては人を攻撃する行為は基本的には禁止されているはずだ。

しようとしても、プログラムが認めないので普通はできない。

一定以上の痛覚は自動的にシャットダウンされるはずだが、数年前に国連の会議で道徳的観念から、現実世界での犯罪行為に当たるものは軒並み禁止事項とされたためだ。


つまり相手はシステムにクラッキングをできる人物ということになる。


走って部屋の壁側に寄って、出入り口の死角に入る。


「まとまな人物ではなさそうですね」




「絶対にね。距離はどれくらいだろう、いや、遠くても出入り口を占拠されるか」


僕が聞くとサクラはだまった。

何か打開策を考えているのだろうか。


「もしかしてテレポートは使えない?」


「それが構造物内部では使えないのです。ゲームなので」


「おのれ資金提供者」


僕は中を見渡した。

取り残されたパソコンを見て、案が浮かんだので質問した。


「あのポイントでこちらもシステムに介入するのはどう?」


「ピラミッドの内部設計の更新データがありました。ただ、安全性が…」


「バグとか何も確認していないっていうこと?」


「そうです。それなら、交渉した方が安全ではないかと」


サクラの答えに今度は僕が黙らされた。

おそらく医療用AIとしての決断なのだろう。

確かに十分な心理学のデータも持っているのだろうが、攻撃してきている時点で話し合いの余地があるとは思えない。

これは行動した方がいいだろう。


「あ、待ってください」


サクラが引き留める前に僕は駆け出した。

体のすぐそばを矢が通過していくが、。

現実だったら、ここまで速く走れていない。

床に置いてあるパソコンを拾うと、そのまま反対側の壁まで一気に駆けた。

振り返ると、地面や出入り口と反対方向の壁に大量の矢が刺さっていた。

手元を見る。

青い画面に大量の文字や数字の羅列が表示されていた。


C言語っぽいけど…よく見るとなんだか微妙に違う気がする。

残念ながら、僕の知らないプログラミング言語のようだ。


「ごめん。どれが更新データ?」


「パソコンに触れないでください。危険なことはさせません」


触るなということはもうすでにエンターを押す程度で実行できるのだろうが…

サクラが断ったので、僕も躊躇する。

本当に実行していいのか。話し合った方が安全なのではないか。

ふと、頬から血が出ていることに気がついた。

先の矢が掠ったのだ。

触るとズキズキとした痛みを神経に伝えた。

迷いはそれで吹っ切れた。


僕はエンターを押した。


一瞬、視界が点滅した。


前を見ると、統一されていた壁画のデザインが微妙に変わっていた。

横を見る。

部屋から最初の出入口が消えて、反対の方向に別の出入口ができていた。


「ビンゴかな」


「何勝手に触ってるんですか。」


「すまない。でも、結果的にはピンチを脱した」


「結果的には! しかし更新データがどのようなものか私もわかりません。トラップなどを仕掛けを加える更新なら、攻撃を加えてきた人物よりも危ないかもしれないんですよ」


「プログラムに穴があって痛みを感じるとか」


彼女がうなづいたが、僕は逆に安心した。彼女は医療用AIなので無意識に全ての人を救おうとしているんだろうが、それは普遍的な判断ではない。

プログラムならそこに意思はないが、人となると意思が加わって、動きの予想がしづらくなる。

どう考えても僕の選択の方が正しい。

プログラムに致命的な穴があるなら、そもそも根本的な部分で、仮想現実全体の更新が必要になるが、今のところ、そのような話はないので多分大丈夫だろう。

そう言えば、さっきの人物はそのようなバグを利用して攻撃しているのだろうか。

やはり危険な人物だ。話し合いなどする前に手段を選ばずに行動するべきだ。


「わかった。次から気をつけるよ」


サクラは言葉を返さず、黙って僕の顔を見ている。


「何だよ」


「表情筋の動きから、適当なことをぬかしていると推測します」


お前はメンタリストかと言いそうになったが、サクラの参考データには全国民の心理も含めた医療データがある。

サクラは確かにメンタリストでもあった。

僕はサクラに睨まれながら、新しくできた通路へと足を進めた。



ーーー



一人の男が砂岩に囲まれた空間で佇んでいた。

目の前の壁に近寄る。

持っていたクロスボウを床に置き、空いた手で壁に触れた。


「…」


壁を数回叩くと目を瞑って壁に背を向けた。

唇を噛み、握り拳を作る。

目を開いた男はクロスボウを蹴り飛ばした。何かが削られる音を立てて転がったクロスボウに近寄ると何度も足を落とした。

苛立ちを発散できたのか、それを置いたまま出入り口へ歩いていく。

別の武器があるようで、ポケットを漁って取り出す。


「奴らは何者だ? 誰が中に入っている?」


男以外、誰もいない砂岩の通路に声が反響した。



ーーー


十字路に二人の影が近づいた。


「なるほど、あなたの考えはわかりました。ですが、次からは絶対に私の指示に従ってください」


「わかった…もう許してくれ」


怒るサクラに僕は手を合わせて謝まった。

AIに許しを乞う絵面は側から見れば昔のB級SF映画を想起させるだろう。


そもそも、何でAIが感情を持っちゃっているんだ。

最近の技術は進歩しすぎではないだろうか。

ニューラルネットワークは生物の神経系における情報処理を模倣したものだから、人間の心理の真似もできるのだろうか。ここに来る前は人間の心理は半ば聖域のように考えていたのだが。

心理だって脳の情報活動の結果なのだから、脳神経の情報の動きを完璧に模写すれば、コンピュータの中に感情を再現できることも可能になるのかもしれない。

もしやそれほどまでに脳神経の研究が進んでいるのか。


「どうしたんですか? 急に黙って」


「いや、人間の思考回路の研究も進んだのかなと」


「感情についてですか? 私の場合は体内スキャン技術を応用して、人間の心理をそのままコピーして貼り付けただけで、残念ながら人間の思考回路についてまだわからない点が多いのですね」


「コピーって?」


「脳の活動の様子をそのままコンピューターに置き換えているんです。ただ、人間がどのように意思を生み出しているのかはまだわかっていません。例えば、脳の神経細胞に流れる電荷粒子の行方を追うことはできても、その一つ一つがどのように意識の形成に役立っているのかは分析や新しい理論が必要になるので」


模倣することはできても意思の形成はまだしばらく聖域のままのようだ。

体内スキャン技術の進歩が間接的にAIをより人間に近い振る舞いをさせるに至らせたということか。


「なるほど」


「なに立ち止まっているんですか、早く歩いてください」


考えているうちにいつの間にか足を止めてしまったようだ。

そのせいで彼女は再び不機嫌になり僕の手を引っ張って歩き出した。


再び十字路に出た。さっき通った気がする。


「もしかして迷っている?」


どこを見ても同じ砂を固めたような息の詰まる視界だ。

デザインが凝ってないせいで道も覚えづらい。

更新したことを後悔しそうになる。


「私は短期記憶が苦手なので」


意外だが、元は医療用AIの上、今は外部と断絶している。

そう言った機能は普段は外部のものを利用しているのだろう。


「もしかしてこれ使えないかな」


僕はポケットからパソコンを取り出した。


「持ってきたんですか?」


「うん」


「貸してください、座標を調べます」


彼女はそう言って僕のパソコンを奪うと、文字を打ち込み始めた。

数字が表示されると何か呟き、別の画面を展開した。

よくわからない文字列が並ぶとこちらに笑顔で振り返ってきた。


「近くに港町エリアへと繋がるワープ部屋が出現しています」


「ワープ部屋って?」


「テレポートはここでは使えないのですが、ワープと言って他のエリアの特定の場所へ飛べるのです。テレポートと違って行った記録がなくても移動ができます」


「おおついに…、ありがとう。行こう」


正直、砂の感触や息の詰まる通路のデザインにはうんざりしていた。

ようやくこの乾いた砂岩と砂と風にお別れできる。

僕は足を踏み出す速度を速めた。

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