第6話 砂の足音

僕はサソリの巣の中のような乾いた息を吐いた。

目の前を風に運ばれていく砂が横切った。

前へ踏みだすたびに、砂の海に足を引きずり込まれそうになる。


「確かに装備品は必要かもしれない」


僕はそう言って探検家の服に着替える。

口の中の乾いた唾のねっとりした感触も吸い込むたびに痛くなるゴワゴワした空気も足が砂に嵌まり込むことも計算されなくなった。


「実験はすみましたか?」


「ああ。テロリストたちがそのまま来ることを願うよ」


この世界は予想以上に巨大に作られており、日が傾く頃にようやく次のエリアに来ることができた。

あの巨大な森を抜けたすぐそばには砂漠があった。


緑の木々のすぐ側を黄色の砂の海が広がり、空には綿飴をちぎったような真っ白な雲が、無数に浮いて、両方の空を境目もなく流れている。

現実の気候を無視することで実現可能になったその光景に改めて感銘された。


夕日は砂丘の間に沈むと辺りは完全な暗闇となった。

この世界では一定以上暗いと、視力が強化されるので問題はない。

ただ、耳に低く唸る鳴き声のような幻聴が聞こえた。


「ああ、それブーミングサンドです。日本の鳴き砂とはちょっと違います」


「マルコポーロもこんな音を聞いていたのかな」


東方見聞録の記述を思い出した。

読んだ時は音が鳴る仕組みは知らなかったが、解明されているのだろうか。


ふと知らない知識が脳裏に浮かんできた。

ゴミや埃が存在せず磨かれて丸くなった砂つぶが砂丘の頂上に存在し、傾斜が34度以上になると砂に上層が雪崩のように流れ出す。

風によって降り積もった砂の上層が下層よりも速く下り、砂の粒子が繰り返し上下して、振動となり、その音が砂漠の乾燥した空気を介して響き渡っていく。


「何か頭にイメージが…」


「探検家の服の機能です。実験段階ですけどね」


仕組みが流れ込んでくる。

刺激によって常に機能面と構造面において変化を起こす神経の可塑性。

知識を取り入れた際の脳の電気信号の様子や、情報伝達の流れを記録。

そのデータに基づいて脳に刺激を与え、シナプスの結合や形態の変化を意図的に生み出す。


「将来の教育の定義が変わるだろうね」


絶対に受験生が欲しがるだろう。その時、日本はこうした学習をどのように認めるだろうか。


「まだ、実験段階ですが、足りないのはデータだけなので、すぐに完成するでしょう。ところで…見えてきました」


彼女が指を差した先には、砂岩で作られた小さな建物があった。

意外と近い距離にあったのに気付けなかったは砂漠の色と同化していたせいだろう。

近寄ると、砂岩の柱で支えられた屋根の下に円状に積み上げられたものがある。

覗き込むと風に揺れる水面に自分の顔が映った。

井戸だ。


「ここに鍵が?」


僕が聞くと彼女は頷いて言った。


「この井戸の底にあります」


「なんてこった」


「そんなに深くありませんよ」


そう言われて砂で濁った水中に目を凝らす。

手を伸ばせば底に手が届いてしまうほどの浅さしかないのが分かった

井戸の底には砂の塊のようなものがあった。

水に手を入れて花を掴む。それは石のようなザラザラした感触で、凹凸を深くして何かを形成していた。


「これが今回のキー?」


僕の掌には砂が結晶化してできた花のようなものがあった。


「ええ、砂漠のバラです」


「井戸の底から出てきたらロマンがあるね」


僕はそれをポケットにしまう。

小さなポケットは膨れることなく、無事に砂漠のバラを模した鍵を収納した。

昔見たアニメの何でも道具が取り出せるポケットのように、膨れることなく、ほぼ無限にものを収めることができるようだ。


「今度のポイントはすぐそばにあります」


疑わしげな僕を無視して、サクラは一際、大きい砂丘を駆け上がる。

砂に足跡がついては風がかき消した。

僕はその後を追って、頂上に着くと、目に入ってきたのはそびえ立つ巨大な三角形の構造物だ。


ピラミッドがそこにはあった。




ーーー




一本一本がビルの高さもあるほどの巨大な森を険しい目つきの男たちが進んでいた。


「くそっ、どうしてこんなことに…」


「弱音を吐くな、目的を達成するにはこれしかないんだ」


一番若い男が吐いた弱音を中年の男が注意するが、その顔も疲れたような顔だ。

片手に青い画面を展開しており、もう一方の手でそれを操作していた。

何か終わったのか操作を停止させ、ため息を吐いて汗を拭き、先頭を歩く男に近づいた。リーダーをしている男だ。


「クラッキングを仕掛け終わった」


「何にか分かったか?」


「先に来た奴の足取りを掴んだ」


先頭をあ歩く男に画面を見せた。

二次元マップが描かれたおり、中心にある点とは別のグループがマップを歩いていた。


「こいつの行く先を追えばいいんだ」


「え、遠くないですか?」


先ほど弱音を吐いていた男に先頭の男が言った。


「仮想現実だろ。疲れようが、関係ない。これから死ぬ気で走るぞ」


地面に崩れ落ちた若い男を放って二人はペースを速めて歩き出した。


「どう思う? この先にパダーロクはあると思うか?」


「ここまで苦労させられているんです。先に進んでいる人物もいるみたいですし、確実にありますね」


二人が真剣に話していると、後ろから走って来る足音がした。


「おそらくこの世界は現実の肉体に基づいて、筋肉を計算している。普段の鍛錬を怠るからそうなる」


中年の男が振り向いて言った。


「置いてかないでくださいよう。こんな世界に一人で取り残されるとか勘弁してください」


リーダー格の男が肩を掴んで言った。


「安心しろ、もしこの世界に取り残されるようなことがあっても、残された同志たちが目的を達成する」


「えー…」


「さ、急ごう」


テロリストのリーダーはそう言うと歩くペースを速めた。




ーーー




床も廊下も天井も砂岩でできた建築物の奥へと僕たちは進んでいた。


ピラミッド内部への入り口は全体の大きさに対して、小さく、狭いものだった。

入る前は風で当たる砂の音が泣き止まなかったが、奥へ進むにつれ、無音へと変わって行った。

砂岩でできた床を歩くたびに鳴る足音が唯一響いている。

壁を見ると壁画が描かれていたが、それをじっくりと眺める間も無く歩いている。

サクラが速いペースで歩き、先を急ぐからだ。


「何か、急ぐ要因でも?」


「なぜでしょう。急いだほうがいいような気がします」


「AIも勘を持つのか」


僕は文句は言わずに従うことにした。

そもそもAIとはビッグデータや深層学習によって情報を得て判断する。

その中では一見、因果関係が結びつかないものもある。

過去には病床数を減らすとバナナの売り上げが増すという結果を出したAIもいたそうだ。

AIというと、論理的に筋道を立てて、物事を解き明かし、判断して結果を出しそうなイメージがある。しかし、基本的にAIはビッグデータから相関関係を見つけ出すのが得意であり、とっぴもないような結論を出すこともある。

人間の想像する因果を超えているため直感にも似たようにも判断も下しているように見えるのだ。

悪く言えば、人もAIもお互いの想像する因果関係を理解するのが苦手と言えるかもしれない。

流れ込んできた情報をまとめるとこうなった。

ちなみに実際にバナナの売り上げは上がったそうだ。


長い長い砂岩の通路を抜けると巨大な部屋に出た。


「ありました」


「これが?」


目の前にあったのは、意外にもただのパソコンだった。

これまで歩いてきた道のりから察するに、おそらく建物内部の設計はまだ何も決まっていない。

遊ぶ余裕もないのだろう。

彼女はパソコンに駆け足で近づくと、画面に砂漠のバラを入れた。

すると青い画面がパソコンについた。

流れていく文字を眺める。


「さっきのポイントよりもできることが多そうです」


「それはよかった」


彼女が画面を展開して、先には見なかった文字の羅列や別の画面を開いていく。


「大変です。深見さん」


突然、彼女が振り向いて言った。


「どうしたの?」


「アクセスログを確認したのですが、私たちがこの仮想現実にアクセスする前にアクセスしていた人物がいます」


一瞬、その言葉の意味が理解できなかった。

彼女は画面を切り替えて、この世界のものと思わしき地図を見せる。

地図には森にある点と砂漠にもう一点の点があった。

寒くないはずなのに鳥肌が立ってくる。


「テロリストたちは?」


「マップにアクセスしましたが、ようやく森を出たところです」


つまり森の点がテロリストたちの点だということだ。

別の点がある場所にはよく見るとピラミッドらしきものが描かれている。


「この点は僕たちを指し示している?」


僕がそう質問すると彼女は首をふった。


「このマップは自分以外のアクセス者を見るためのものです。ですから点は私達ではありません」


僕は唾を飲み込んで言葉を待った。


「もう一人、正体不明の人物がいます」


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