第39話 絶対零度の冬に時間軸を無視して現れたやつ

 雪国だ。いやもう、あり得ないくらい雪国だ。雪国を通り過ぎていっそのこと氷の国と呼べるくらいに街は真っ白く成り果てている。


『耐熱属性発動。すべての熱ダメージは無効』


 ヴァーチャライザーが自動的に属性発動させてしまうレベルの寒さ。白くもやるほどに空気は冷え切って、街はガチガチに凍りついている。スチームパンクワールドのデック・マイヤーズ工房との気温差が80度くらいあるんじゃないか、これ。


「ここ、どこよ」


 思わず誰に聞くでなく言葉が口を割って出てきた。その言葉もすぐさまキラキラと白く霞んで線を引いて落ちるように凍りついてしまう。


 俺は問題なくファンタジーワールドに異世界転移したはずだ。ヴァーチャライザーは俺の望む異世界へ間違いなく飛ばしてくれる。タイムレスワールドの時法算術もマスターしたからぴったり前回異世界転移した直後に戻って来れる。体感的にはデックと数十分くらいコーヒー片手にお喋りしてた感覚だが、世界感的には一秒の誤差もなくファンタジーワールドに連続で存在してるようなものだ。それなのに。


「なのに、なんで冬? 異常気象過ぎるだろ」


 ぱっと見、ここはちゃんとファンタジーワールドのようだ。大雪に埋もれているけど、見覚えのある特徴的な輪郭の大鐘楼がある。でも季節感がまるで違う。同軸異世界転移でこんなに時間軸がズレるなんてことはないはずだ。


 そうだ、イングリットさんは。彼女はどうした? たしかイングリットさんが俺を見つけてこっちに走ってくるシーンで異世界転移したはず。


 俺は重力編集コートをばさっと翻して周囲の重力場を書き換えた。俺の周りだけマイナスの異常重力が発生して雪と氷が凄い勢いで上空に落っこちていく。


 俺の周囲の雪が止んで白く霞む視界も晴れ渡る。石畳が剥がれるみたいに大きな雪の塊が持ち上がり、そこに蹲っているイングリットさんの小さな背中が見えた。


「イングリットさん!」


 なんだこれ、イングリットさんが雪に埋もれていた。すぐに彼女を掘り起こしてやる。


 イングリットさんはついさっき見かけたままの姿、首都防衛師団女子将校兵、ゴシックロリータ風の軽装で雪に埋もれていた。とても冬用の耐寒装備だとは思えない格好だ。やっぱり今この瞬間は、前回異世界転移した直後の時間軸のようだ。


「ああ、うぅん。カナタ?」


 イングリットさんがため息を漏らして俺の名を呼んだ。ああ、よかった。寒さによるダメージはほとんどなさそうだ。それにタナカでなくカナタと呼んでくれるのはやっぱりイングリットさんぐらいだ。よかったよかった。


「何が、起きたの?」


 イングリットさんの黄色のパンクヘアに積もった雪を払ってやる。ようやくイングリットさんは目をぱちっと開けて俺を真正面から見つめてくれた。


「何が起きたのか、俺の方が知りたいよ」


「それより、寒いよ」


 不意にイングリットさんは白いほっぺたを真っ赤にして歯をカチカチ言わせた。細い両肩を抱いて、パンクヘアが揺れるほどにガタガタと身体も震えだす。そりゃそんな軽装でこの冷気の中に放り出されたんだ。雪の中に埋もれていた方がまだ温かいかもしれない。


「待ってて、今あっためる」


『圧縮蒸気砲充填解除。蒸気圧の熱放出開始。同時に熱ダメージ無効エリア拡大』


 ヴァーチャライザーのウィスパーボイスとともに圧縮蒸気砲が真っ白いスチームを噴き出した。すぐさま俺を中心とした半径3メートルのドーム状の熱ダメージ無効エリアが発生して、超高温スチームサウナのような高圧の蒸気が雪と氷を溶かしていく。


 イングリットさんの身体も蒸気による火傷ダメージを受けない程度に温まったか、紫色だった唇も火照ったようなピンク色に染まっていく。


「イングリットさん、一個ずつ確認するよ」


 きょとんと小首を傾げるイングリットさん。この無垢な表情は状況の変化に何も気付いてなさそうだけど、俺自身の現状確認の意味でも聞いておかなきゃなんない。


「どこか痛いとこない?」


「うん、大丈夫」


 こくん、真面目な顔でイングリットさん、一つ頷く。


「じゃあ、次。何で雪に埋もれてた?」


「……わかんない。カナタに声かけようとしたとこまでは記憶にあるけど」


 うん、俺もだ。異世界転移する直前の記憶では、イングリットさんはたしかに俺を見ていたはず。その背景もこんな雪景色じゃあなかった。


「なんか急に真冬になっちゃったように思えるけど」


「わかんない。うわーって一瞬で周りが凍っちゃって、雪崩みたいに雪が降ってきた」


 で、埋まっちゃったわけか。


「何故ここにいた? 城の兵舎にいるはずなのに、どうして街まで降りてきたんだ?」


「すごく大きな召喚の予兆を観測したんだ。今までと比べ物にならないくらいヤバめの。でもカナタなら何とかできる。まだそんなに遠くに行っていないだろうと思って」


 気まずそうに、でも丁寧に答えてくれるイングリットさん。


「で、敵はどこに? 召喚予測ポイントはどこ?」


「ここら辺一帯全部。すごく大きいって以外わかんない」


 ダメだ。何一つ有益な情報がない。いきなり冬になったって事実以外まるっきりわからないままだ。


「誰か状況わかる奴いないのか?」


「こんな状況で、たとえば誰よ?」


 一瞬間が空く。俺とイングリットさんはお互い見つめ合い、黙ったまんま時が過ぎるのを待った。


 イングリット因果律。ふと、タイムレスワールドの学者が教えてくれた言葉が俺の頭の中に浮かんだ。その途端に俺の世界が再構築されたのを感じ取った。


『メタ認知再構築能力発動。メタ認知再構築能力レベルアップ。言霊再現能力発動』


 ヴァーチャライザーが耳元で囁く。俺の琴線にそうっと触れるかすれた囁き声。そういえば、このかすれた声ってイングリットさんの声とよく似ているな。改めて聴くと、うん、北風のようにいいかすれ声だ。あれ? 何で俺はヴァーチャライザーにこの声をインプットしたんだろう。思い出せない。


 そして、俺が北風の声に聴き惚れていると、ドーム状のスチームサウナ室に唐突に三人目の客が沸いて現れた。


「で、ワタシが喚ばれたってことか?」


 ああ、そういうことか。突然登場したそいつは言った。


「勝手に人を召喚して、いったい何用だ?」


 リアルワールドの名画、ムンクの叫びは蒸気を煙たそうに手で払って言った。

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