第38話 異世界へ続く長いトンネルを抜けると
燻蒸コーヒーメーカーは香りのついた蒸気を挽いたコーヒー豆に高圧で当てて、ポタポタと一滴ずつ濃いコーヒーを抽出するマシン。スチームパンクワールドならではの蒸気エンジンガジェットだ。
スチームパンクな職人はやたらごつい体格で豪快な性格してるわりにその手先は相当に神経質で、手の指全部が親指のように丸々とした指してるくせにわきわきと繊細に蠢いて金属加工と精密機械を芸術的に仕立て上げる。このメカメカしい美的センスはどこの異世界でも通じるものがある。
「で、カナタ。コーヒーメーカーのお礼は期待していいんだろ?」
はい? お礼の品、ですと?
「なんのこと?」
「おいおい、熱交換の法則の話をしてやったろ。忘れたのか」
忘れた。ってか、聞いた覚えもない。別にしらばっくれるわけじゃないが、ほんとにデックが何を求めて言ってるのかがわからない。
「何の話だよ?」
「熱エネルギーは常に平均化しようと高いところから低いところへ流れ込むものだろ。だがな、あまりに膨大な熱エネルギーが一箇所に集中すると、熱交換対流の末に海の潮汐現象のようなエネルギーの揺らぎが発生する」
デックはアーティスティックなデザインのトルクレンチでびしっと俺を指差して一言決める。
「ちょうど今のカナタのようにだ」
「俺が、エネルギーの揺らぎ?」
「おまえに異世界の特殊技術が集合し過ぎているんだ。熱交換の法則的にそれはとてもまずい」
確かに俺はヴァーチャライザーで異世界を渡り歩いて異世界ガジェットを集めまくってはいるが。おかげで異世界最強の名を欲しいままにしてるし、今のところ特に不都合は感じていないな。
「エネルギーが揺らぐとそんなにまずいのか?」
「エネルギーの渦の中心にいるおまえに影響はないだろうが、周囲に生じる大渦に巻き込まれる異世界はまずいだろうな。おまえの世界にも低気圧の大渦くらいあるだろ?」
低気圧の大渦って、台風のことか。要するに俺は異世界の台風の目ってことだな。
「異世界を平均化させるのが俺の役割だって、おまえどや顔で言っていただろうが」
はて、心当たりがないが。さては、ブラックパラレルカナタの仕業だな。そもそもブラックがくれた蹴爪ブーツはスチームパンクワールド産のアイテムだ。ブラックパラレルカナタもスチームパンクワールドに何度も来ているはず。真鍮細工最高職人のデックと会っていてもおかしくない。
そういえば、あいつは異世界バランスが乱れてるって言ってたし、そうに違いない。
デックは真鍮の表面の光沢が剥げてかなり使い込んだ感のあるコーヒーメーカーで燻蒸コーヒーを淹れ始めた。狭くて機械まみれの工房が焙煎し過ぎたようなどこかスモーキーな香りに満たされていく。
「熱交換の揺らぎを利用してこの世界からスチームコーヒーメーカーを持ち出して、異世界のどんな機械を持ってきてくれるんだ? 異世界間技術の平均化だろ?」
確かに蒸気コーヒーメーカーとのトレードのアイテムがないとデックに申し訳ないな。
「ああ、そうか。えーっと、今はまだ持ってきてないよ。何が欲しいんだっけ?」
「蒸気エンジンの特徴であるすげえ重さを何とかしてくれる異世界アイテムだ。また来る時は頼むぞ」
「それなら大丈夫だ。ぴったりの異世界がある」
重さに関してならグラヴィティワールドのラライラに頼めば何とかなるな。なるほど、これが異世界の平均化か。でもそれはまた次の機会だ。いったんファンタジーワールドに戻ってイングリットさんと会っておかないと。
「悪いな、デック。次は必ずお土産持ってくるよ。ちょっともう行かなきゃなんないんだ」
「相変わらず忙しいな、異世界からの来訪者カナタは」
「なんせ四天王戦に入ったからな。常にクライマックスだ」
デック・マイヤーズ製の圧縮蒸気砲をぐっと突き上げて今までの戦いの証しを見せてやる。バトルに次ぐバトルでもうかなり使い込んでいて色艶が褪せているパーツもあるが、まだまだ傷一つない美しいボディーラインを誇っている。
「言ってる意味がわからんが、楽しんでる仕事してるようで何よりだ」
「ああ。いい仕事してくる」
ヴァーチャライザー・オン。デックの真鍮細工工房を埋め尽くす巨大蒸気エンジンの重々しい駆動音の影に、我らがリアルワールドの誇るVR16トントラックのエンジン音が見え隠れする。
リアルなエンジン音が近付いてきて、俺はもう少し広いスペースでトラックを呼べばよかったな、と軽く後悔した。この工房みたいに視界を遮る狭い空間だと、いつどこからトラックが迫ってくるのかわからない。
そういえば、このVRトラックによる異世界転移システムも、言い換えればトラックを異世界間召喚しているようなものだな、と思った瞬間、両開きの金属扉を突き破って鋼鉄の塊が突っ込んで来た。
はい、死んだ。仮想即死からのオーバーキル効果で異世界へのポータルが開かれる。ぶっ飛んだ俺の意識は何の感覚もなく何もかも存在しない無の空間を漂う。やがて数秒か、それとも数十分後か。時間の感覚も乱れてわからないが、俺が行くべき異世界へとぎゅうっと内側に引っ張られるように収束する。
瞬き一回。世界が発現する。はい、異世界転移完了。
そして俺に再び生じた感覚は寒さだった。
肌を刺すような凍てついた空気。あまりに寒過ぎると風すらも鋭い凶器になるのか。そう思わせる氷を含んだ刃物のような風。風に舞う雪、いや、雪を通り過ぎて細かい氷になっている。ダイアモンドダストって奴か。
「うわ、寒っ」
声とともに吐息が真っ白く煙り、すぐさま凍りつき微細な氷の粒となって舞い落ちる。周囲の建物も街路樹も真っ白く凍りついている。何だ、これ、寒過ぎるぞ。
異世界の扉を抜けると、そこは雪国だった。
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