第11話 異世界の時法算術学者はすでにお茶を淹れて待っていた


 異世界転移してまず目に飛び込んできたのは斜めだった。


「うわあ、いつ来ても酔うわ、ここ」


 違う種類の物理法則に支配される異世界に相転移した時、身体は勝手に順応するが目に見える超常的な空間から感覚が混乱したりする。この現象を異世界酔いとでも名付けようか。


 斜めに生えた緑の樹木の群れ。ちょっとした広場のようになった空間に突き立っている街灯みたいな電気スタンドも斜めってる。遠くの背景も薄緑色した空にやけに透き通った雲が斜めに流れている。しかもけっこうな速度で右上から左下に流れて地面の向こう側に消えていく。


 どれもこれも仰角66.6度ってとこか。俺が足を乗せている地面は感覚的に視線とぴったり横一線、いわゆる水平って奴だ。でも自然の造形は地面から斜めに突っ立っていた。どこをどう見ても視界の一部が斜めに傾いていて、どうしても身体が斜めってしまう。


「何でこんなに歩きにくいんだよ」


 よたよた、真っ直ぐ歩いてるつもりでも、すべてが右上から左下に流れる世界のせいでやや左側に寄ってしまう。


 斜め下に流れ落ちる海の岸壁に本が何冊も積み重なったデスクとソファが置いてある。デスクには甘い香りの湯気を斜めに立ち上らせているお茶のカップが二つ。人影はない。


「おーい、フレスコ。いないか?」


 ここは彼、あるいは彼女のお気に入りの場所のはずだ。俺はこの斜めに流れる異世界の友人の名を呼んだ。時法算術学者のフレスコ・スピリタスはいつもどこにでもいて、いつもどこにもいない。わけがわからないが、いつもそうだ。


「いたぞ。異世界を探究する者タナカ」


 不意に背後から返事がした。驚いて振り返ると、いつのまにやらフレスコがソファに座っていた。さっきまで誰もいなかったのに。


「うわ、びっくりした。急に現れるなよ」


「言いがかりはよくない。急に現れたのはそっちの方だ」


 フレスコはソファの背もたれに身を任せて足を組んだ。ロングスカートからちらりと覗く細い足首をぷらぷらさせて、甘い香りのカップを静かに傾ける。


「甘茶を一番美味しい温度にしてタナカを待っていた。飲め。美味しいぞ」


 歳下の若い男なのか、はたまた歳上のお姉さんなのか、中性的な顔立ちに低い声でフレスコはぱっつんと切り揃えた前髪を斜めに揺らした。


 ここはタイムレスワールド。時間の概念がぶっ飛んだ異世界だ。


 フレスコ・スピリタスは時間の計算方法を研究している数学者で、時間を自在に操作できるからいつもどこかにいてどこにもいないめんどい奴だ。そもそも男か女かもわからないし、いつも時系列めちゃくちゃに対応してくれるから混乱してしまう。


「急いでいるのは話してて理解した。だからお茶を飲め。それでオマエの問題は解決した。何よりオレが淹れたお茶は特に美味い」


 いやいや、まだ一言も話していないんですけど。それと、タナカじゃなくてカナタな。俺は異世界を探究する者カナタだ。あまりに普通に言うから思わずスルーしちゃったぞ。


「そういえば最初からお茶が二つ用意してあるな。それ、俺の?」


 そこのデスクには湯気が斜めにのぼるお茶のカップがもう一つ。


「さっきからそう言っている。飲め、と」


 じゃあ、いただきます、と思ったら。


 次の瞬間。俺はすでにカップを手にしてフレスコの隣に座っていた。カップを見ればもう半分くらい減っている。途中の時間が飛ばされてお茶を飲むと言う結果が優先されたな。


「勝手に俺の時間を使うなよ。ここのお茶は一口目が一番美味いのに」


「オマエの時間はオレのもの。オレとの会話の時間がオマエのもののように。あとでちゃんと省略した時間は清算されて訪れる」


 わけわかりません。


『時法操作算術スキルレベルアップ。時間操作完了』


 ヴァーチャライザーのウィスパーボイスが響く。ほら、いつのまにかスキルレベルアップしてるし。


「もうどうにでもしてくれ」


 考えるのを諦めてとにかく一口お茶を飲もうとした時、いつのまにやら左手首にスマートフォンが腕時計のように括り付けられていた。まただよ。端末を受け渡す時間を省略したな。


「それはオマエから預かっていたスマホとか言う時間に縛られた機械端末だ。改造しといてやった。ありがたくお茶を飲め」


「おまえのせいでまだ一口も飲んでないぞ」


「よせ。照れる」


「褒めてねえし」


「それとな、もう帰るんだろ? 16トンなんたらとかも喚んでおいてやった」


 はい? ふと重々しい気配に気付いて右斜め上を見上げれば、やっぱり16トンコンボイトラックもタイムレスワールドの物理法則に従って右上から左下へ斜めに暴走してきた。


「おいっ!」


 結局、俺はフレスコの美味しいお茶を飲むことも叶わずにVRトラックに跳ねられて仮想死亡を遂げた。

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