第34話 祝砲の青空


ぽん、ぽん、と王都モルの空に花火が上がる。

城の窓からそれを眺め、アスターは後ろを振り返った。


王城のバルコニー下の控えの間には二脚のビロード張りの椅子がおかれ、

その一脚に純白のドレスを着た女性が座っている。

彼女の白いドレスは、細い銀糸で裾にむかって重なるよう

花びらの刺繍がなされ、美しくカーブを描く襟元や袖口、

細いウエスト部分には、高貴な輝きを放つ真珠が二重に縫い付けられて、

華やぎを添えている。


膝の上に置いたブーケに視線をおとしている彼女は緊張した面持ちだが、

それがまた清楚な彼女の美しさを際立たせていて、アスターはそっと

分からぬように感嘆の息を吐いた。


一体いったい今日、何度目のため息だろう。

そしてそれはまだこれから先も続く。


ー ー 身体中の空気が足りなくなるかもな


そんなことを考えてふっと笑い、アスターは彼女に呼びかけた。





   「緊張しているのか?」

   「ええ」

   「さっき、式の間じゅうもそうだったね」

   「だって……」




子供がべそをかくときのような頼りない表情をみて、アスターの胸はきゅうと

鳴き、その心の揺れのままに彼は急ぎ彼女の元に駆け寄った。





   「心配はいらない。式は無事に済み、もう貴方は僕の妻だ。

    リバルドの王太子妃、エミリア=A=リバルディなんだよ」





まだ耳になじまない名前に彼女は戸惑うような、

はにかむような笑みを浮かべる。





   「長かった」




その微笑みにアスターがそう言う。




   「でも、たった二年半だわ、信じられない」

   「努力の結果だ。それに何より、君の戦場での頑張りがあったから」

   「それは王子も同じですわ」






戦場……。

それは、二年前の冬にロンドミルで起こった内戦のこと。

反王派がウイーズ国王の退位を掲げてたちあがり、国王軍との戦いは

五ヶ月に及んだ。

リバルドは反王派を支持して軍を送り、アスターは前線にでて戦い、

そしてエミリアも戦地に赴き野戦病院で傷病の兵士の看護にあたったのだった。


最初、アスターはエミリアが戦地に行くことを認めなかったが、

彼女の意思は固かった。

キースもブラン将軍もベインの砦の仲間も、圧政に苦しんだ人々が皆、

戦っているのにひとり手をこまねいてなどいられず、彼女はアスターと

クリティールド夫人を熱心に説き伏せた。


ロンドミルで以前の彼女を知るものが、今の身分に疑念を抱くことをアスターは心配したのだが、エミリアがロンドミル社交界にはデビューしていなかった事や、

キースやブラン将軍(彼らは内情を知っている)の手厚いサポートのおかげで、

彼女は戦地でリバルドの “ アンヌ公爵家の令嬢 “ として過ごす事ができた。



もちろんそれは内戦より以前に、クリティールド公爵夫人が書いた筋書き通りに事を進め手に入れた、偽りの身分なのだが。




” 先代アンヌ公爵の末弟の嫡孫は男と女の双子で、嫡孫エミリオは王太子付き侍従を辞め、公爵家預かりとなった後、修養のため遠く大陸の東の国へ旅立ち、

そして以前の管弦の会で見事に古楽器を弾いてみせた令嬢が、実はもう一人の

嫡孫 エミリア=アンヌ嬢 だと、公爵夫人はせっせと周りに触れ込み、

周到に時期を図って、彼女を社交界にデビューさせた。


もちろん訝しがる声は挙がったが、それは、宰相に纏わる一連の事件や

スキャンダルが徐々に明らかになっていく時期と重なり、人々の関心は

スキャンダラスな事件の方へと傾いて、エミリアはアンヌ家の令嬢と

なれたのだった。




だが今エミリアは、先ほど式前に漏れ聞いた会話が心に残り、

忸怩じくじたる思いに駆られている。


あの時少しだけと、控えの間に面していた庭に出たのがいけなかったのだ。

姿は見えなかったが式に招かれた王族の男性が、庭でエミリアの出自について

話していた。





   「やっと王子が身を固める事は喜ばしいが、妃がな」

   「おや、メリアナ嬢の方がよかったですか」

   「いや、そうじゃない。あのロービスの持ち駒よりはましだが、結局、

    何処の馬の骨とも知れんのだぞ、そんな娘を王族に加えるなど」

   「アンヌ家の血を引いているらしいですよ」

   「そうだが、半分はロンドミルの血だろう?」

   「まあ、そうですがね」




不安はあったものの社交界にも慣れ、認められたと思っていたエミリアは、

急に冷水を浴びせられたような気持ちになった。


ー ー そうだわ、私は嘘で作られた令嬢。


何かの拍子に、全てが嘘と知られてしまったら。

もしアンヌ公爵家とはなんの関係もない、生粋のロンドミルの人間だと

わかってしまったら。

性のない不具の身体で、王太子の侍従をしていたことが公になってしまったら。


それは何度となく考えた事だが、式を目の前にして、不安は今までにない程の重々しさでエミリアの胸を突いた。


それからすぐ女官がやってきて支度の続きを促して、今更どうすることもできず不安を押し隠したまま彼女は式に臨んだが、式を終えた今は疲れも加わり、

平静な気持ちでいることが難しい。

指の先がすぅーと冷えて、ともすればここから逃げ出したくなってしまう。





   「……リア、エミリア」




王子が名を呼んでいることにやっと気づき、エミリアは力なく顔をあげた。

肩に手を置き、アスターが心配げにこちらを覗き込んでいる。





   「顔色が悪いが大丈夫なのか?」

   「えっ、え、ええ」




曖昧に頷くと、アスターは前に回って跪き彼女の両手を握った。

その顔に先ほどまではなかった、不安と痛みがあるのを見てエミリアは、

はっとした。


ー ー 私の所為だわ。あんなに嬉しげに誇らしげに、王子は式場で私を迎えて

   くれたのに。





   「もし辛いなら……」

   「いいえ」



まだ硬い表情だったがエミリアは微笑んで、心の中にたち込めていた不安を、

もう一度だけ力を込めて押しやった、そして指を伸ばしアスターの頬に触れる。


暖かい......。

王子の頬の暖かさが冷えていた指先を通し心にまで沁み、強張っていた心が

わずかに緩む。


アスターはそんな冷たい指先を包むように手を重ね、包んだ手のひらに

口づけた。





   「二人一緒だ、いつまでも。永遠には生きられないから、

    死が二人を分かつまで。できれば死も同時に訪れてほしいが、

    これは舞い上がっているからそう感じるだけなのかな」

   「そうかもしれませんわ、心は変わっていくものですから」




エミリアがそう答えると、アスターは笑う。





   「そこは嘘でも、” いいえ “ と言うところだろう?」

   「え? でも……」

   「嘘も必要なんだ」




そう言い切り、素早く身を乗り出すとアスターはエミリアに口づけた。

キスはだんだんと深くなりアスターは立ち上がり、片手で彼女の身体を抱き、

もう一方の手を耳下に差し込んで、キスはさらに深くなる。



   

   「王子……」




やっと唇が離れ、エミリアが息を乱して呟くと、アスターはそっと

彼女の両耳を手で覆った。



  

    「耐えられぬような心無い話は、私がこうして塞ぐ」




そして、次にエミリアの唇に触れ、



   

   「悲観的で自分で自分貶めるような言葉は、さっきみたいにキスで塞ぐ」



と続ける。

そして最後にエミリアを立ち上がらせて、彼女を胸に包み込んだ。



   

   「傷ついた心はこうして慰める」

   「王子….」



さざ波のような喜びが満ちて、エミリアはそっとアスターの肩に頭を預け、

こみ上げてくる涙を堪えた。


ー ー 私は、こんなにも深く愛してくれる人と出会って、そして結ばれたのよ   不安に負けて逃げだしては駄目だわ。


様々な思い出が胸に蘇る。


運命は彼女から大切なものを次々と奪いはしたが、新たな出会いもまた与えて

くれた。

エミリアを認め力になってくれる人は、王子だけではない。


国王は事情を知った上でこの婚姻を認め、ハグサム副侍従長など以前の

エミリオを知るものは皆、驚いたものの、快くエミリアを迎え入れてくれた。

あのイアソン補佐官もだ。

彼は、満面の笑顔のアスターに向かって ” 王子の執念のなせる技ですね " と

ため息と共に言ったけれど。

そして何よりも心強いクリティールド公爵夫人とアンヌ公爵の力添えがあった

からこそ...... 。


心を縛っていた鎖が断ち切れ、さあっーと輝く光が、

曇った空の切れ間から差し込んだ気がした。

それはあの昔のムリノーの森の陽光のように、エミリアを輝かせる ー ー 。




部屋の扉がノックされ、外から声が掛かった。   



   

   「王太子殿下、妃殿下、時間です」



名残惜しそうに二人はゆっくりと身体を離し、柔らかく微笑みを交わす。


アスターが扉外に向かって返事をすると、女官が入ってきて二人の身だしなみを整え直し、侍従がお辞儀とともにバルコニーの階段へと促した。


階段下までくると見上げた目に鮮やかな青空が映り、視界には入らないが

群衆のざわめきが伝わってきて、エミリアの鼓動は早くなった。

わずかにまた暗雲が湧き上がりかけたが、まだ心に残る陽光がそれを消し去り、彼女は階段に確かな一歩を乗せた。


先にアスター王子がバルコニーに立つ。

わぁぁーという大きな歓声が湧き上がり、広場には笑顔と喜びで人々が溢れ、

それは王都に続く “ 君主の道 “ にまで続いていた。

広場の声に応え、アスターが手を後ろに伸ばす。

その手をしっかりと握り、エミリアが純白のドレス姿であらわれると、歓声は

さらに大きく昂まった。


明るい光に目が眩み、彼女は最初、頭の中が真っ白になったが、

” 王太子殿下、妃殿下” 

“ おめでとうございます! “  “ 万歳!”  

などと呼ばわる声にやっと吾をとりもどし、笑顔を浮かべた。


声に応え手をふれば歓声はますます大きくなり、呼ばわる声の中には、

“ エミリア様 ! “ と名を呼ぶものや ” 戦場の天使 “ と呼ぶ声が混じる。

王都の市民やわざわざ地方からやってきた国民に混じり、兵士の姿もちらほら

見られ、彼らの方を見ながらアスターが小声で囁いた。



   

   「さっきから上がっている花火は、兵士やその家族が準備したもの

    だそうだよ、祝砲だと言って。

    私たちへの、特に “ 戦場の天使 “ への贈り物だそうだ。

    この婚姻を後押ししたのは、あそこに居るあなたの真の価値を知る

    者達。安全な場所で何も知らずにいて、勝手なことを言う貴族達には

    これから知らしめればいい。

    私は妃に、そう出来る人を選んだ」

   「はい」




目頭を再び熱くし、エミリアは頷く。

空の青さや喜び溢れる皆の顔が、こみ上げる涙に滲んだ。



   

   「それにしても長かった」




大きく息を吐きアスターが感慨深げに言い、その言い方がおかしくて泣き笑いのようになったエミリアが、” 自分は短く感じました “ というと、アスターは

眉を吊り上げ、ため息をついた。



  

   「恋に落ちてから何年経ったと思っているんだ」

   「まあ、だってそんなに前からの事を言われているとは、

    思いませんでしたもの」




そう言って今度はにこやかに笑ったエミリアを、さっとアスターは引き寄せる。

歓声が、また一段と大きくなった。



  

    「私の初恋を見くびってもらっては困るな」




片頬に、にやりと不穏な笑みを浮かべ、額がつくほど顔を近づけて

アスターは囁いた。



   

   「もう離さない」




熱い唇が落ちてきて、二人はこれ以上ない幸せに包まれる。


広場の歓声は今や最高に盛り上がって遠くまで響き、突き抜けるほどの

青い空には、祝砲の花火がいつまでもいつまでも打ち上がり続けた。


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