第28話 遠雷 ~ 3 ~
そして次の日、視察から帰ったアスターはすぐにキースとの接見の場を
設けたが、その場のただならぬ雰囲気は戦場にも匹敵するものだったと、
お茶の給仕をしたハグサムが、後に述べている。
東棟の応接室で、キースは隣に座らせたエミリオの手を固く握り、
向かいに座ったアスターを睨みつけているし、平静を装いながらもアスターは
困惑と不快感を隠せず、ちらちらと目の前の繋がれた手に視線を送っている。
そしてエミリオは眉を八の字に下げ、弱り切った顔でおろおろと
二人を交互に見ていた。
こほんと咳払いをし、アスターが再び口を開いた。
「先ほどから何度も言っているように、貴殿にはまことに
申し訳ないことをしたと思っている」
王太子の謝罪にキースは大きく頷いたが、きつい表情を崩すことなく
言い放った。
「ですから謝罪はいりません。あなたのしていることは
エミリオに対する冒瀆だ。だから今すぐ、彼を連れて帰ります」
「それはできない」
「なぜですか?」
「できないから、こうして話し合いをしてる」
「話し合いなど必要ないでしょう。
彼がここで貴方専用の侍従をする必要はどこにもない、
だから、彼は今すぐにでも帰国できるはずです」
「貴殿の仰ることは正しい、だが……」
言葉を濁し、アスターは俯いた。
顔色を無くし、しばらく逡巡するように彼は組み合わせた手を
見つめていたが、強張った顔に微笑みを浮かべ挑むように言い切った。
「彼は、私にとって必要な人なのです」
今度はキースが、顔色を変える番だった。
強張らせた顔を怒りで赤くさせ、とうとう彼は怒鳴った。
「よくもしゃあしゃあと、そんなことが言えるな!」
「キース!」
悲鳴のような声をあげエミリオはキースを止めにかかったが、溜りに溜まった
マグマの噴火を止める術はなく、それは天をも焦がす勢いで吹き上げた。
「仮にも一国の王子が、そんな人道に外れたことをよくできるもんだ。
エミリオがここじゃ弱い立場だってことにつけこんで、
言うことを聞かせたんだろう。
興味本位か? そりゃあ、こいつは綺麗な顔立ちだからな。
ベイン要塞のむさ苦しい奴らも最初は不埒な真似をしようとしたが、
そいつらは俺が全員叩きのめしてやった!
そうやって俺はこいつを守ってきたんだ、だから、
もう指一本触れさせん!!」
「……」
「……」
目を見張りアスターとエミリオは、ぽかんと口を開ける。
なにかものすごく誤解が起きてはいないだろうか?
「キース、王子はそういうつもりで僕を側に置いているわけじゃないよ」
「そうだ、彼の優秀さが私には必要といっただけで、
彼を辱めるようなことはしていない」
二人同時にそう言い訳し、そして同時に二人は、はっとする。
ー ー いやでも、僕は王子に不謹慎な想いを抱いているし……。
ー ー いやしかし…… 何もしなかったというわけでは、ないな……。
エミリオとアスターは、ちらりとお互いを見てさっと頬を赤らめさせ、
そんな二人の様子に、キースの怒りはついに限界を超えた。
彼は、アスターをこれでもか!というほど睨みつけたまま、
エミリオの耳元に顔をよせ押し殺した声で囁いた。
「エミリオ……行くぞ」
「え?」
言うがはやいか、キースはバネ人形のごとく立ち上がり、
エミリオの手をぐいっと引く。
立ち上がらせたエミリオを引っ張り、キースはドアに突進した。
「キ、キース!」
エミリオが叫び、唖然としていたアスターも慌てて立ち上がった。
ドアを開け放ち、部屋からとびだしたキースの背を追いかけて、
アスターが叫ぶ。
「衛兵!」
すぐに通路の向こうから衛兵たちが走り来て、キースの前に立ちふさがった。
「どけ!」
キースは勢いよく叫んだが、兵たちが剣の柄に手をかけたのを見て
たたらを踏み、追いついたアスターがエミリオの空いている方の腕を掴む。
だがそれに気づいたキースが、させるか!とばかりに繋いだ手を引っ張って、
それに負けじとアスターも握った腕をぐいと引く。
「うわぁぁ」
ひっぱり引っ張られ、エミリオは二人の間で揺れる振り子のように、
あっちにこっちにとしばらく身体を揺らしたが、とうとう二人の力が拮抗して、エミリオを挟み、キースとアスターは睨み合った。
「手を離せ!」
「嫌だ!」
「なに!?」
「やるか!」
「やめてください、二人とも」
「お前は黙っていろ」
「エミリオは介入するな」
「でも!」
「うるさい!」「うるさい! 」
二人に同時に怒鳴られてエミリオは呆然とし、思った。
ー ー ふたりとも……子供だ……。
騒ぎに、侍従長とイアソンの二人が駆けつけ、なんとかその場はおさまって、
キースは侍従長とともに客室へ、アスターはイアソンとともに執務室へ、
エミリオはひとり自室へと戻る。
強く掴まれて痛む右手と左の腕をさすり、エミリオはベッドに倒れ込むと
深く息を吐いた。
子供の喧嘩のような二人には呆れたが、いがみ合いの原因は自分だ。
こんな自分を探し出しすぐにでも連れて帰る、と言ってくれたキースの言葉も、自分にとって必要な人だと言ってくれたアスター王子の言葉も、
とても嬉しかった、でも……。
「どうすれば、いいのか……な」
考えても考えても答えはでず、気持ちは屋根の上に取り付けた風見鶏のように、
くるくると空回りばかりを繰りかえした。
錆び付いた風見鶏はギシギシと哀れな音をたて、今にもポキリと折れてしまいそうだが、それはそのままエミリオの心模様だった。
いいようのない哀しみが胸に満ちる。
どんな幸せも、手の届かぬ果てしなく遠いところにあるような気がする。
掴もうと伸ばした手の先で、幸せはふっと儚く消えてしまったから。
それがどういう出来事だったのか具体的にはさっぱり思い出せないが、昏い、
底の知れない穴ぼこを覗き込むような絶望が胸に蘇り、
エミリオはきつく身体を丸め、目を閉じた。
その頃アスターは執務室で、むすっとした顔して
イアソンのお小言を聞いていた。
「仮にも一国の王子が、なんという騒ぎを起こすのですか」
「……」
「キースリー少尉のロンドミル国と、我がリバルドが今
どんな状態かはご存知のはずです」
「……」
「ましてや、彼はブラン将軍のご子息、代々続く将軍家の
御曹司なのですよ」
「わかっている」
ぼそっと呟くように言い、アスターは心の中で毒づいた。
ー ー その将軍家の御曹司が、酷く下品な想像を巡らしたものだ!!!
心の隅では “ 確かに勘ぐられても仕方ない “ と、ちらりと思ったりもするが、
ー ー 良からぬ想いを抱いているのは彼の方じゃないのか!!
と心の中で吐き捨てて、アスターはさらに眉間の皺を深くした。
まるで自分のものだと言わんばかりに繋がれた手を思い出す。
ー ー くそっ!
腹ただしくてしょうがないが、それが妬きもちだけではなく、
敗北感のせいでもあるとアスターは気づいていた。
守ってきた…..とあの男は言った、確かにそうだろう。
腹の底を舐るような嫉妬の炎を感じながらもアスターは逡巡した。
ー ー じゃあ、私はエミリオを守れるのか、これから先もずっと。
「あの方とエミリオを幾ら重ね合わせても、それは現実味のない
絵空事です。思い出に逃げるのはもうお止めください。
あなたは妃を迎え、この国を守っていかなければならないのですから」
イアソンの言葉が心を穿る。
荒れ狂っていた炎は消え去り、苦い痛みが胸を塞ぎ、
組んだ指を額に当てて、アスターはきつく奥歯を噛みしめた。
トントン ー ー 。
考えあぐねて疲れきり、エミリオはその日の夜遅くになって
キースの客間を訪ねた。
アスター王子からは “ 今晩は東棟に戻らない “ と伝言がきていたし、
とにかく、とんでもない誤解だけでも解いておいたほうがいいと思ったからだ。
キースは喜んで迎えてくれたが、疲れているようにも見えた。
国交の状態を考えれば敵国人と見なされてもおかしくないのに、
王城で、しかも王太子を罵倒したのだ、キースは “ 後悔していない “
と言ったが、無鉄砲なことをした、著しく礼儀を欠く事だったとも
思っているようだった。
「アスタリオン王子は、キースが考えているような人じゃないよ」
「うん、まぁ、お前が言うなら、そうなんだろう」
「それに王子が求めているのは、本当は僕じゃないんだ」
エミリオの言葉にキースが怪訝な顔をかえす。
「あの方にはずっと想っている女性がいる。その方に僕が似ていて、
だから僕を大切にして下さるだけだよ。
その女性がどういう方なのか、どうして心の中で想っているだけ
なのか、何もおっしゃらないからわからないけど。
ただ、僕が知っているのは名前だけ」
ふっとエミリオの顔に寂しい笑みが浮かんだ。
「名前まで似ているんだ、エミリアって」
どきん胸が大きく鳴って、キースは密かに息を飲んだ。
今、何と言った?
「エミリア?」
「うん、一度だけ王子が僕をそう呼んだことがあるんだ。
言い間違いかと思ったけど、そうじゃなかった」
どきん、どきんと胸がやかましく騒ぎ、頭が混乱して呻き声がでそうになる。
キースは、必死に考えた。
王子の想い人がエミリオになる前の、公爵令嬢であったころの、
エミリアだというのか。
でも、どうしてだ?
二人はどこで出逢った?
いや、王子が勝手に見初めたのか
しかし国交が絶えてもう長い、その前だって、それほど二国間には
交流があったわけではないのに、なぜ?
疑問が頭のなかを飛び交い、ノーズ公爵令嬢エミリアとリバルドの王太子
アスタリオンを結びつけることがどうしても出来なくて、
キースは、ただ名前が一緒のよく似た他人なのだと結論づけたが、
続くエミリオの告白を聞き、彼は今度こそ本当に呻いた。
「侍従に固執しているのは王子じゃない、僕の方だよ。
僕は男なのに…… 、…… 、アスタリオン王子のことが好きなんだ」
「う…… 」
「気持ち悪いと思うよね」
恥じらうように、悩むようにエミリオはふぃっと顔を背ける。
「男のくせに、って」
キースは、太い棍棒でガツンと一発、頭を殴られたような気分になった。
もし万が一、王子の想い人が自分の知っているエミリアなら、
そうとは知らずにいるだけで二人は両思いなわけで、
もし、無理やりエミリオを連れて帰れば、
ー ー 俺は、二人の中を引き裂くことになるのか。
それのどこが間違っている? と頭の隅で声がする。
そもそも同じエミリアだとは限らない、それに、エミリオはもう長い間、
エミリアとして目覚めないのだから、だから…… !
でも、もし、目覚めたとしたら?
自分が本当は女だったと思い出した時、彼女は悔やみ、
悲しむのではないだろうか。
真っ青になり、ふらふらとソファの背にもたれたキースにエミリオは驚いた。
「キース、どうしたの?」
「いやなんでもない」
「でも、顔色が悪いよ」
エミリオは心配したがキースは大丈夫だと繰り返すだけで、そのうち、
” もう今日は休むから “と言いだした。
いろいろなことがあり、旅の疲れもでたのだろうと部屋を辞すことにし、
また明日にでもゆっくり話せばいいとエミリオは思っていたが、その次の日も、そのまた次の日も、キースは疲れているからと言って部屋に篭りきり
逢おうとしない。
だが、やっと、三日目の晩。
キースに呼ばれ部屋を訪れたエミリオに、彼はいきなり切り出した。
「お前、ここに居たいのか?」
「えっ」
「故郷に帰るより、ここで暮らす方がいいと思っているのか?」
いきなりの直球の質問。
エミリオは戸惑ったが、思っていることをそのまま正直に伝えよう、
悩んでいることも、決めかねているのだということも、
キースならわかってくれると彼は信じた。
「帰りたいとも思う、でも…… 、なぜだかわからないけど、
王子の側が僕の居場所だとそう思うんだ。
ベルンの砦や、家族や仲間を忘れてしまったわけじゃない、
でもいつも僕はリバルドで、なにかが違う、本当はこうではない
と感じてた。失くした記憶の中には何があったんだろう、
そこにこそ真実があるんじゃないかって」
「……」
「ごめん、キース、君やまわりの人が語る過去を、
僕は信じてなかったんだ。
でも信じた方がいいと言い聞かせてた、みんな良い人たちばかり
だったから。僕の為にそうしてくれていると、わかっていたから」
「……」
「ごめんなさい」
泣きそうな顔でエミリオがうつむき、キースも同じような気持ちで俯いた。
「おまえは、なにも悪くないんだ。
俺たちは確かにおまえに嘘を言っていた。
でもそれは、おまえを守る為だった」
「うん」
顔をあげ、キースはエミリオの肩に手を置き微笑んだ。
「リバルドは故郷だが、おまえにとって安全な場所では
なくなってしまったんだ。
ここに居たいと思うならその方がいいのかもしれない」
わずかに首を傾け寄せた眉根に当惑をにじませ、エミリオがキースの瞳を見返す。
だから彼は迷いを振り切り、大きな声をだした。
「本当に帰りたいと思うまでここに居ろ、エミリオ。
帰りたいと思ったその時に、俺はもう一度、迎えにきてやる」
次の朝、知らせを聞いたアスターが急いで厩舎に向かうと、そこには旅支度を
整えたキースがエミリオと共にいた。
朝もやの中、引き出された馬の側で二人は話をしていたが、
エミリオが旅装束ではなくいつもの侍従の装いだとうことを確かめ、
アスターはほっと安堵の息を吐いた。
こちらに背を向けているエミリオは気づいていないが、先に気がついた
キースが、それ以上近寄るなというように広げた手のひらで制止し、
アスターに向け鋭い視線を投げ掛ける。
アスターが立ち止まり、それを確かめたキースはにっと口角をあげると、
自分を見上げている泣き顔のエミリオを強く胸に抱きしめた。
「元気でいるんだぞ」
「うん、キースも。みんなにもそう伝えて」
わかったと答え、キースはエミリオを離し、ひらりと馬に跨る。
「道中気をつけてね!」
馬がぽくぽくと歩き出し、揺れる背中に向かってエミリオが声を張り上げる。
「おう、帰りたくなったらいつでも連絡をよこせ、
すぐに迎えにきてやる!」
にこやかに笑いながらキースはそう叫び手を振ると、馬の腹を蹴って
走り出した。
「キーーース!」
白い朝靄の中に見えなくなる広い背中を、エミリオは目を凝らし見送り続ける。
「急な出立だったんだな」
いつの間に来たのか王子が横に並んで、エミリオは慌てて目尻をぬぐい、
そんなエミリオを見下ろしてアスターは戸惑った声をだした。
「本当に良かったのか、これで」
「良いのか、悪いのかはわかりません。でも ー ー 」
大きく息を吸いエミリオは、今は心からの笑顔をアスターに向けた。
「こうしたいとそう思ったんです、僕がそう望んだんです」
朝露を乗せ、今まさに開いていく一輪の花のような笑顔に
アスターは目を奪われて、思わずエミリオを抱き寄せた。
「すまない。だが、私は嬉しい」
「王子のお側に居させてください」
「そうしてくれ、真に私を支えるものになって欲しい」
この日を境に王子は、ただの身の回りのことだけでなく、政務や社交についてもエミリオの意見を求めるようになった。
公の場にでることは今まで通りなかったが、二人の間には主従だけでなく
お互いを支えあう信頼と敬愛が見てとれ、それは誰の目にも
好ましいものとして映った。
もう秘密の時間を持つことをアスターはせず、今までにはなかった
泰然とした姿が、王位を継ぐという人々の期待をさらに高め、
誰もが妃を迎える機は十分に熟したと思うようになる。
王太子妃を迎える約束の春は、すでに真っ盛り。
そして、運命の歯車が大きく動き出した。
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