第16話 交わる糸 ~ 6 ~


雪を蹴立てて馬を走らせるアスター、そしてそのすぐ後にイアソンの馬が続き、さらにその後を、数名の警備隊の隊員が必死に馬を駆りついてくる。


あれからすぐアスターは、まだベッドにいた副支部長を叩き起こしたが、

彼は引きつった顔で、自分はまだよくわかっていないので担当の者に

まかせたと、繰り返すだけだった。

埒があかず、馬車に乗っていたエバンズ大佐の部下だという隊員を問い

ただしたところ、思いがけない事実がわかった。


エバンズ大佐は奴隷商人とつながっていて、難民を引き渡すために

朝早くに出発したのだと、隊員は言い、さらに、



   「難民と一緒に捕まったあの兵士は、<神の御使い>と呼ばれる

    性を持たない身体だったんです。

    それに加えてあの容姿だから絶対高く売れるって、大佐が言い出して。

    だから急いだんです、彼がまだ手元にいるうちにって」




間に合ってくれー ー


苦しい息の中、アスターは祈るように何度もその言葉を繰り返した。


彼を、彼らを、なんとしてでも救い出さねばならない ー ー。


焦りと不安がないまぜになり、胸の中に膨らんでいく。

不安を押し殺すために彼は強く馬の腹を蹴った。

そして、速度を増した馬が岩肌がせり出したカーブを大きく曲がった時、

先を行く馬車の後ろ姿と、それに追従する騎馬の姿を、彼はやっと捉えた。



   

   「早く! もっと、もっとだ!!」




苦しげに首を振り、ふいごのような息を吐き続けている馬に怒鳴る。


近づいたアスターに気づいたのか、馬車の後ろを走っていた男が、

馬の向きを変えこちらに向かってきた。



   

   「彼の相手は私がします。王子は脇をすり抜けて馬車を追ってください」




うしろから追い上げて横に並んだイアソンが、腰の剣を抜きながら言う。


荒く馬を走らせ迫ってくる男も剣を抜き、追い越したイアソンが、

男と激しく剣を打ち合わせた。

そのわずかな隙間を巧みな綱さばきで抜け、アスターはさらに馬車の

後部に近づく。


だがその時、バン!と馬車の後ろ扉があき、エバンズ大佐らしき男が

女の子を抱えて立ち上がると、女の子の首にナイフを向けた。

はっと手綱が緩む。

わずかに躊躇すれば、すぐに馬車との差がひらきアスターは歯噛みした。

どうしたら、どうしたらいい? ー ー !!


だがすぐに、エバンズ大佐の横から小柄な軍服姿が躍り出て、もみあいになり、子供から手を離した大佐がナイフを振り上げた。


アスターは息を飲む。


だが、馬車が急に傾き、引きずられるように二人の姿も傾いだと思った瞬間、

もみ合っていた身体は二つともあっという間に馬車から飛び出して、

深い雪の谷間へと落ちていった。





眠りが遠ざかり、目覚め始めた意識がそろそろ起きる時間だよ、と告げている。

薄眼を開けてみるものの、肌触りの良いシーツやふかふかの枕の心地よさに、

まだ起きる気にはなれない。


ー ー でも、もうすぐ乳母のイルヤが起こしにくるわ、太っちょのイルヤの

   足音がして、ほら、もうすぐ、ドアが開くの……。



そう思ったところで、エミリオは目を覚ました。

朝だと思っていたのに窓からの光は昼間のものだし、ここは可愛らしい

花模様の部屋でもない。

そのうえ身体に鋭い痛みが走って、彼は顔をしかめた。


いったい、ここは?


今、自分がいるのは上等な家具や調度品に彩られた美しい部屋だ。

壁紙は地模様のあるオフホワイトで、上品な金のラインの縁取りがある。

天井から下がるシャンデリアには、細かいカットのガラス玉が光る

細い金のチェーンがいくつも下がているし、壁に飾られた絵画はどれも

すばらしい美術品だ。

ベッドのリネン類も上質で、ほど良い厚さの上掛けはシルクだし、

そのうえ細やかな刺繍までが施されていた。


砦の兵舎のぺしゃんこに潰れた綿蒲団や毛ばったシーツはどこにもなく、

同僚の熊が唸るようないびきも聞こえてこない。

そうかといって、捕らえられた時の冷たい石床や鉄格子もない。


軋んで悲鳴をあげる身体をそろそろと動かして身を起こせば、肩には

包帯が巻かれ、右足首にも手当てがされているのがわかり、

徐々に記憶がよみがえってきてエミリオは深く息を吐いた。


助からないと思った命が助かって、手当てまでうけている 。


ー ー よかった……。


でも、この部屋の豪華さはどういうことだろう?。

国境の警備隊舎の一室だろうか? それにしては良すぎるような……。


そんなことを考えていたところでドアが開き、洗面器がのった

銀のトレイを持った女性が入ってきた。

貴族の家に仕えるメイドのような濃いグリーンに立ち襟の服を着て、

白い前掛けを締めた若い女性だ。



   

   「あら、お目覚めになられたのですね」




彼女はエミリオが起きていることに気づくと朗らかな声で言い、

ベッドまできて、額に手を当てる。



   

   「熱もさがっていますわ」

   「あの、ここはどこですか」

   「ここはモルビッツ城ですよ」

   「え、モルビッツって…… リバルドの王城のですか?」

   「はい」




ポカンと間抜けた口が開いた。


王城? 王城だって? ー ー どうして 僕が、王城に?



   

   「アスタリオン王子がお連れになったのですわ」

   「え? 」

   「なにか飲む物を持って参りましょう。でも、しばらくお待ち下さいね。

    お目覚めになられたことをすぐに王子にお伝えせねば、

    私が叱られてしまいますから」

   「え??? あ、あの!」




まだ事情が飲み込めず慌てて呼び止めたが、彼女は部屋を出て行ってしまい、

エミリオは、もう一度部屋の中をぐるりと見回した。

なるほどここが王城なら、部屋の豪華さもうなずける。


ふとエミリオは、今さっきみていた夢の中の部屋を思いだした。

薄ピンク色の小花の壁紙、レースで飾られた明るいグリーンのカーテン、

壁際の椅子の上には熊のぬいぐるみ。

ベッドに横になって乳母が起こしにくるのを待っていたのは、自分、だった……?



   

   「 乳母……太っちょの乳母のイルヤ……」




頭がずきりと痛む。

自分の記憶のようでありそうではないような、曖昧でもどかしい、

いつもの感覚。


薄い膜が目の前の掛かっていて、それを払いのけようとすると、鋭い痛みが

エミリオに警告する。

ダメだ!!ダメだ!! それ以上考えるな、それ以上知ろうとするな!!!

どうしてなんだろう、自分のことなのに……。


だがすぐに重い溜息をついた彼の耳に、騒々しい足音と、それ以上に騒々しく

言い合う声が聞こえてきて、鬱々と考え込むことなどはできなくなった。



   

   「だから、用事を済ませたらすぐ行くといっているだろう」

   「それではだめです。ニェール伯爵はもう王城にお着きですし、

    気の短い方なので、おまたせするわけにはいきません」

   「イアソンにでも頼んで、話し相手をしてもらえばよい」

   「そんな…… 恐れ多くて、私なんかとても頼めませんよ」

   「いいから、なんとかしろ!」




勢いよく最初に部屋に入ってきた人物がそう怒鳴り、無情にも続けて

入ってこようとした人の鼻先で、バタン!とドアを閉めたので、

締め出された者の悲痛な声が扉の向こうでした。



   

   「王子〜 〜 ! 」




だが、またまた非情にもがちゃりと鍵をかけ、王子と呼ばれた彼は

ふぅと息をつき、あっけにとられた顔で自分を見ているエミリオに気づくと、

取り繕うように” こほん “ と小さく咳をして魅力的に笑った。



   

   「気がついたんだな、よかった!」




そう言いながら大股で歩いてきて、ベッドの傍らに跪きエミリオの手を握る。



   

   「あ、あの!」

   「ん?」

   「あなたは……王子だったんですね、リバルドのアスタリオン殿下」




ハニー・ブラウンの瞳が微笑む。



   

   「馬車を追いかけて助け出して下さったのも、殿下なんですね。

    警備隊舎でも親切にしてくださったのに、僕はきちんとお礼も

    言わなかったし、僕は…… なにも知らなくて……」




恐縮に身をすくませ、エミリオは手を引き抜こうとした。



   

   「申し訳ありません」

   「なにを言うんだ、謝らねばならないのは私の方だよ」




逃げようとする手を許さず、王子はエミリオの手を両手で包むと、

目を伏せ頭を垂れた。



   

   「弱い者を守る立場の者が悪事に手を貸している事を、彼らを

    統治する者として、知らなかったでは済まされない。

    この国を頼ってきてくれた人たちに、さらなる不幸を負わせる

    ところだった。

    もし助け出せていなかったら、私の罪はもっと重くなっただろう」

   「違います、殿下に非はありません。 だ、だから、そのように

    身を低くされていては困ります。どうかやめてください……」

   「そうか、わかった」




王子は立ち上がりベッドに腰掛けたが、手はまだ握られたままだ。


ー ー 手も離して、欲しいんだけどな。


この人といるとどうも落ち着かない。

思いもよらない感情がわきあがり、どうしていいかわからなくなる。

必要以上に恥ずかしがるのはおかしい、落ち着いて自分らしくしていれば

いいんだと、エミリオは自分に言い聞かせた。

でもすぐ、じっとみつめる王子の視線から逃げたくなって項垂れる。


そんなエミリオの様子に、アスターはぽんぽんと握っていた手を優しく叩くと、

” 余計な心配は無用だから、傷を治すことだけ考えなさい “ と言って

立ちあがった。



   

   「また顔を見にくるよ」




王子は優しくそう言って出て行き、ぼーっとしているエミリオを残し、

パタンとドアは閉まった。



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