第3章
第11話 交わる糸
「エミリオ! おーい、エミリオ!」
キースの大声が廊下のむこうから聞こえてくる。
その後、何か話し声がするのは、近くにいた誰かにエミリオはどこだ?
と、尋ねているからにちがいない。
「こんなところにいたのか」
数分ののち扉のむこうに現れたのは、北部森林国境部隊 第二隊隊長、
キースリー=ブラン。
軍人らしい短い黒髪に、焦茶色の瞳。
きりりとした顔立ちは、奉仕作業でやってくる村娘の噂の的に
なるほどだが、本人は少しも自分の容姿に自覚がない。
「聞こえていただろ? 返事ぐらいしろよ」
「僕がここで精一杯大声をはりあげても無理だよ。
キースほど声がでかくないからさ」
書類の仕分けの手を休めることなく、かわいげのない返事をよこした
同僚をキースはしげしげと眺めた。
たんぽぽの綿毛みたいな短い金髪、身長は低く軍服を着ているが、
少年にしか見えない。
「だとしてもだ、ちょっとそこから廊下に顔をだせばいいんじゃないか」
「手が離せなかったんだ、でも、これで、おしまい!」
最後の書類をNo.5の棚に入れ、エミリオはやっとキースの方を見ると、
にっこりとした。
「それで、なんの用?」
「ああ、明日、第二隊には特別休暇が認められた。そしてこの三日間
降りつづいた雪のおかげで、森の中は絶好のコンディションだ」
「えっ、じゃあ」
「明日、第二隊の有志で狩りに行く」
「やった!!」
大きく手を広げエミリオはキースに抱きつき、離れてお互いに
ハイタッチをする。
「事務官長には俺が言っといた、エミリオ=デュッソは
明日休みますってな」
「さすが親友 サンキュー! キース、大好きだよ!
そうと決まったら官長がどんな文句もいえないほど、
完璧に仕事を終わらせるよ、今日中にね」
「ああ、がんばってこい」
弾むような足取りで部屋から出て行くふわふわ頭を見送って、
キースはため息をついた。
「大好きだよ……か」
人の気も知らないで ー ー 。
だが、それはもはや言ってもどうにもならない愚痴だ。
「こうなっちまって、良いんだか、悪いんだかわかんねえな」
ぽりぽりと頭を掻き、首をコキコキ鳴らすと、
「仕事もいいが、狩りの道具の準備もしろよ!」
と、自慢の大声をはりあげて、キースはエミリオを追って部屋を出ていった。
雪は森の中を一変させる。
じめじめと湿気るぬかるみの道も、急な上り坂も、すべて雪の下に
隠れてしまい、普段なら入れないようなところに踏み入ることができる。
「おいエミリオ、息があがっているぞ」
一人だけ左に折れて、沢に降りていったキースがもう追いついてきて、
エミリオはちぇっと口をとがらせた。
「手をひいてやろうか」
長身で体格のいい彼に小柄な自分がかなうはずもなく、エミリオは
つんと鼻をあげると、苦しい息を吐きながら言い返した。
「ハ、イジカの、足跡を見つけたのは、僕なんだからね……
そ、の、デリカシーのない歩き方で気づかれたら、困るん、
だから……気をつけて、よ!」
「わかりました 隊長!」
通り過ぎざま振り向いて、ふざけてキースが最敬礼する。
その姿は凛々しく立派だったが、息を弾ませて歩いていたエミリオが
ひゅっと息を飲んだのはそのせいではなく、彼の背後、八ル・マール
(約七メートル)ほど向こうにハイジカの姿が見えたからだ。
「しっ、キース、、向こうにハイジカがいる」
指差した向こうを見ることなく、素早くキースも反応して、二人は
身を低くしながらゆっくりと近くの小岩へと移動した。
そぉーと首を伸ばせば、向こうを向いていたハイジカが、何かを
嗅ぎ取ったかのように急にこちらを振り返り、二人は慌てて頭をひっこめた。
「やべぇ、警戒してやがる」
そう言いながら、キースがエミリオの肩に手をまわした。
岩はあまり大きくなく、ぴったりくっつかないと身体が隠れないからで、
二人の距離は近くなり、キースが低い声で囁いた。
「感づかれたかな」
「どうだろう」
エミリオは不思議な気持ちになっていた。
ー ー 以前もこんな風に岩のかげで、誰かと肩を寄せあったことがある。
その記憶ははっきりとしなかったが、切なく甘酸っぱい気持ちをおこさせた。
「以前にもこんな風に狩りにでて、こうして隠れたことがあったのかな」
問いともただの呟きともとれる声で物思う顔のエミリオが言い、
縮こまって座っている彼を見下ろしてキースはひやっとした。
「なんだよ、突然」
「記憶を失くしているからわからないけど、まえにも
森の中で、誰かとこんな風にしていたことがあるような気がするんだ」
「あー、あったかもな」
内心キースは動揺していたが、悟られまいとわざと明るい声をだした。
「親父は、お前がお気に入りだったから、狩りに
つれてったんじゃないか ? 俺には内緒で」
「初心者のわりには弓射の筋がいいって褒められるのは、
ブラン将軍のおかげかな」
「多分な。 今度アンセルに帰ったら親父に聞いてみろよ。
おい、それより鹿だ、まだいるか確認するぞ」
「うん」
頷き、二人一緒に息を詰めてそろりと首をのばす。
だが残念なことに、鹿はもういなかった。
「ちぇっ、いい獲物だったのに」
ずるりと岩にもたれて座りこみ、キースが子供みたいな拗ねた顔をする
のを見てエミリオの口許に笑みが浮かぶ。
彼と一緒にいるといつも楽しい。
キースは使用人の息子にすぎないエミリオを、まるで弟のように
大事にしてくれる。
ー ー でも、すべて本当なんだろうか?
過去の話になると、彼が苦労して嘘をついているようにエミリオは感じる。
記憶を無くしてから、アンセルのブラン家で働いている両親は、心配して
ベインまで来てくれたし、今は自宅で病気療養中の将軍も、エミリオが要塞で
働くことになった経緯を詳しく話してくれたけど、なんだかみんなどこか
不自然だった。
” 要塞の階段から落ちて頭を打ち、記憶喪失になった “
は本当だとしても、もし語られる過去が嘘ならば、どうして誰もが
そうするのだろう?
エミリオの心にはいつもその疑問がべったりと張りついている。
「へたれこんでる暇はねえな、次いくか」
ぽんと膝を打ち、鼻の穴から盛大に息を吐いて立ち上がったキースを見て、
エミリオは笑った。
ー ー キースの容姿を見てきゃー、きゃー言っている
見せられないな。
彼も、まわりの人達もみんないい人で、彼らが隠したほうがいいと
思っているのならこのままで間違いないんだと、エミリオはそう思うことに
している。
「ほら、さっさと立て」
「キースのそのデリカシーのなさがいけなかったんだからね、
ハイジカは繊細な生き物なんだから」
「うるせえ、ちび」
「気にしてること、言うなぁ!」
立ち上がり、歩き出しながら背中を小突きあって笑う。
にぎやかな二人に驚いて小鳥が飛び立ち、枝に積もっていた雪が宙に舞った。
粉雪は美しい燦めきを陽射しの中に広げ、途切れることのない二人の笑い声は、
冬の青い空にいつまでも響き渡った。
あかあかと燃える暖炉の火のおかげで食堂の中は暖かく、今日の狩りの
成果を自慢し合う兵士たちの陽気な声で沸き返っている。
みんな思い思いの場所に座って、残り少なくなった休日を楽しんでいた。
一番獲物が多かった縮れっ毛の兵士の周りに集まったグループが、
一番陽気にはしゃいでいて、エミリオもその中で酔いで顔を赤くして
笑っているが、キースはそこから少し離れた場所でひとりジョッキを
傾けていた。
時々、ちらりと視線をエミリオにむける。
ー ー あーぁ、あんなに無防備に頬を染めやがって。
ただでさえ、妻や恋人と離れたこんな辺境暮らしだ。
その上まわりはむさくるしい野郎ばかり。
そんな中でエミリオの色白の肌や整った顔立ち、華奢な体型は目立ちすぎる。
そのうえ性をもたないことがいらぬ興味を引いた。
今でこそエミリオに不埒な真似をしようとしたり、言い寄ったりする輩はいないが、最初のうちキースは本当に苦労したのだ。
” エミリオがここで、心安らかに暮らせるようにせよ”
それは父、ブラン将軍の命令でもあったが、実はキース自身の為でもある。
なぜなら、彼はエミリアを知っているからだ。
九年前、父とともにノーズ公爵家を訪れた十二歳だったキース少年は、
十歳のエミリアに一目惚れをした。
ほんの半日一緒にいただけだったし、お互い住む場所は遠く離れている。
男兄弟の中、軍人の家に育ったキース少年の頭の中に “ 文通 ” などという
小洒落た ” お近づきテクニック “ はまったく存在していなかったし、
軍人になることが夢だった彼は ”淡い恋 “ を、毎日の武術の鍛錬の中に
埋もれさせていってしまったが、どういう運命の悪戯か、少年は再び
少女と出会った。
だが彼女は女ではなくなっていて、そして追って届いた彼女の父、
ノーズ公爵が亡くなったという知らせが、彼女から記憶までも奪ってしまった。
執事とともに訪ねてきた老いた治療師は、悲しみに満ちた声でキースに
こう話した。
「次々と突きつけられる残酷な現実に、とうとう耐え切れなくなった
んじゃろう、エミリアの自我は、心の奥深くに隠れてしまった。
どうしたらもとの身体に戻るのか、わからぬ……いや、或いは
戻らぬかもしれぬ。
今はエミリオとして暮らす方が幸せなのかもしれない」
夏が過ぎ、秋が過ぎ、冬が来ても彼女は目覚めない。
その間にブラン将軍が病に倒れ、エミリオのことはキースだけの責任
になり、複雑な思いのまま彼は、エミリオ(エミリア?)の番犬を
続けているが、実はそれが頭の痛い問題を引き起こしていた。
「よぉ、相変わらずの恋煩いか? 遠くからベインの姫君
を見てるだけなんて、切ないねぇ」
「ほっとけ」
「男同士だってかまうもんか、みんなお前を応援しているぞ」
「……」
第二隊で一番の古参兵のホッグズが、赤く顔をテカらせてビールを
片手にやってきてキースの肩をバンバンと叩いた。
” 頭の痛い問題 “ とは、これだ。
今では要塞の誰もが、キースはちょっと変わった性癖の持ち主だと思っている。
「人それぞれだが、女の味はまたいいものだぞ?
お前知らないんだろう。女も試してみてからにしてはどうだ」
「俺は親父に頼まれたから、エミリオの面倒をみてるだけだって」
散々口にタコができるほど使った言い訳をいうと、
ホッグズが真剣な顔を近づけて声をおとした。
「ってことはだな、ひょっとするとブラン将軍もそっち好きなのか?
いや、でもそうなりゃ、お前は生まれてないわ!! はっはっは!!」
これはもう、みんなで飲んだ時のおきまりの冗談になっている。
ー ー ロンドミルの獅子とまで言われた親父が、まさかこんな風に
言われているとは、思ってもいないだろうなぁ……
「お前は見てくれもいいし、強いし、頭も悪くねえ、残念だなぁ。
唯一、あっちがまともじゃないんだなぁ」
俺はまともだ! エミリオは本当は女だ!! しかも公爵家のお嬢様だ!!!
と、どれだけ大声叫びたいかー !!!!!
言えない言葉がキースの中で渦を巻く。
ばしっと、ホッグズが持っていたジョッキをひったくり、叫ぶかわりに
キースは口をあんぐりとあけているホッグスを尻目に、大ジョッキいっぱいの
ビールをいっきに飲み干した。
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