第11章

2の部屋も1と同じ仕様になっていた。手慣れた様子で彼女が機会を再生するのを僕はただ眺めていた。簡易的なスクリーンの中で君が話し出す。


「僕が二十三歳を迎えたころ、贈り物が届いた。道でマスクをした女に唐突に呼び止められ渡された。その女は、愛子ちゃんは「お父様からの贈り物です。」と言いながら僕に真っ白な封筒を手渡した。心臓が高速で動き出す。何か言いたいけど声が出ず、愛子ちゃんの背中を見送った。鳴り止まない自分の心臓の音を聞きながら走って家に帰り封筒を開けると、DVDが入っていた。再生すると画面には僕が神になった日のアノ儀式が写し出される。生々しいかわいそうな僕を見たくないのに、体をうまく動かせない。映像だけが淡々と進んでいく−恐怖と絶望―様々なことが頭によぎる。僕の大切な二人に知られたらどうしよう。僕に大切な人がいることを知ったら、お父様が接触しに行くであろうことは明白だった。いや、もう知っていてその上での脅迫だとも取れた。お父様は僕のことを愛していた。彼は僕を熱烈に愛していた。性的な意味で僕を愛していた。それは殺人を犯すほどの愛だった。そしてもう一つ、僕は思い出した。愛子ちゃんに売られた自分を思い出した。それまでなぜ忘れていたのだろう。僕の母の葬式に来た愛子ちゃんは感情のない顔で僕に言った。本当はアイコもお父様の力を分けてもらうはずだったの。アイコ嫌だったから、君の写真をお父様に見せたの。お父様は美しい男の子が好きだったから。そしたらね、その後に君のお父さんが“偶然”死んだから、君をお父様に届けたの。アイコ悪い子?僕は絶句し、愛子ちゃんを責めてあげることすらできなかった。

また僕は奪われるのだろうか。僕は君たちを失いたくなかった。僕はお父様を殺そうと思った。その考えに至るまで時間はかからなかった。僕は人が適切に裁かれないことを知っていた。この事件を表沙汰にする方法はいくらでもあるように思えたけれど、被害者の方が晒し者になることも想像がついた。お父様を警察に突き出しても、警察は取り合ってはくれないだろう。僕の父の自殺を覆すのは難しいだろうし、小児虐待への刑なんてたかが知れている。僕のような被害者を再び出す可能性があるのに、他人の手に任せて裁かれるのを待つなんてもうできなかった。いまも誰かが犠牲になっていそうで不安だった。彼は人を支配する能力に長けている。あの男はある性質を持った人間を操ることを非常に得意としている。お父様だけは僕がどうにかしなくてはいけない。本当は自分が晒されても、僕たち家族がインターネットのおもちゃになっても、僕は法のもと闘わなければならない。それが世間を変えるための唯一の方法だ。けれど僕にはそんな気力などもう残っていなかった。お父様を殺して僕も死ぬ。もう楽になりたい。僕には楽になる権利がある。父が死んだあの日から大丈夫なフリを精一杯頑張った。親友への愛情をエネルギーに変えた。彼女との時間を癒しに変えた。でも、もう無理だ。僕は結局お父様から逃れられない。僕を傷つけた変態のクソみたいな人間から逃れることができない。自分の手で終わらせて安心して死にたい。お父様はすぐに僕に接触してきた。僕は洗脳されたままの十一歳の可愛そうな僕を装った。お父様の信頼を得るためにはなんでもした。お父様には残された仲間が二人いた。愛子ちゃんと愛子ちゃんのお母さんだった。僕には全員を殺す必要があったけど、一年経っても殺せずにいた。何かの事故が起きて、みんなが死ぬことを望んだけれどそう都合よくはいかない。みんな消息不明になっていたから、死んだところで気がつかれる可能性は極めて少ない。でも殺すのはやはり怖い。どんなに憎くても、いざとなると恐ろしい。逃げるように絵を描いた。僕の絵が評価されていく。僕に向けられる視線が増える。早くしなければ、気持ちだけが焦る。僕がヘマをしたら君たちも傷つける。優しくしてくれた新しい両親にも負い目を感じて欲しくなかった。僕は綿密に計画を練った。


そして僕は人を殺した。僕は二十五歳の夜に人間を三人殺した。寒い日だった。


僕は間違っていたのだろうか。人間が人間を裁くのはいけないことか?法律を決めたのは人間なのに?僕とお父様はどちらが悪いのだろうか?心を追い詰めて自殺させることと身体を直接壊すことの違いはどこにあるのだろうか。お父様は僕と再会してから僕を抱いて、一日中酒を飲んだ。酔いが回ると多くのことを一方的に語った。僕の母が死んだ後にお父様の存在が漏れそうになったこと、お金で無かったことにしたこと、そのお金は信者から巻き上げたこと。お父様があの警察は扱い易かったと笑った。僕に大丈夫と語りかけた警察を憎らしく思ってももう遅い。途中から僕に何も聞かなくなった情けない大人に再び傷つけられる。世の中こんなもんか。お父様は話を辞めない。君のことは本屋で見つけたと言った。あの、新進気鋭の鬼才なんてありふれたタイトルが付けられたインタビューが僕の人生を狂わせた。僕が絵を辞めない可能性に賭けていたと嬉しそうに笑った。僕はまた絵で自分の人生を壊してしまった。ソレ以外にも、若い頃の手柄を自慢するように僕を一目見たときからものにしたかったと僕を撫でた。父を脅迫したことも語る。僕のお母さんがバカそうなことも調べて知っていたとまた笑った。僕も笑った。本当に面白いと思った。それ以外にも、何人も僕と同じような仕打ちを受けた子がいたこと、また宗教をやりたいことお父様はベッドに横たわる僕の髪を撫でながら言った。お父様は僕が想像する何倍も狂っていた。同時に正常な思考も持ち合わせて、他人の弱点を鋭く見つけた。お父様は正常な頭で、他人を自分のモノにする方法を思いついた。お父様は、汚い大人でもあり、純粋な子供のようでもあった。欲望のままに欲しいものを手に入れたいだけの人間だった。途方のない悪夢と倫理。お父様と愛子ちゃん親子を殺したとき、僕の心は完全な死を迎えた。人を殺すのは自分を殺すことと同じことだっだ。だから人を殺してはいけないのだ。誰も殺していないフリをして生きていけると期待したけど、そんなことはできるはずがなかった。どこから間違えてしまった?僕は、悪い人間なのだろうか。


本当は、君たちに何も言わず死ぬつもりだった。でも、最後に僕は自分の生きた意味を求めてしまった。僕はわかったふりで多くのことを語ったけど、何もわかっていなかった。僕の人生は二人に捧げたい。僕の最後の作品は君たちを深く傷つけるだろう。僕のために傷ついて欲しい。僕を忘れないで欲しい。僕は傷つけることでしか、誰かの心に残る方法を知らない。僕は自分を知ってもらうことを、存在を受け入れられることを渇望していた。作品にぶつけても、偉そうな大人たちが頓珍漢な解釈を付けるだけだった。分からず屋たちは死について描いた作品を生への希望の絵だと討論した。絵にはそれぞれの解釈があって正解がある。でも君たちには本当の意味を知ってほしい。僕の絵の背景はここまで語った僕の出来事だ。一枚だってその思いが反映されていないものは無い。だけど、最後に、ようやく最後に、君たち二人にそれぞれのことだけを純粋に思って絵を描くことができた。お父様を殺してから一年かかったけど、できたよ。もう心残りはない。奥の部屋にあるから、これは君たちに受け取って欲しい。遺言も書いた。遺言は絵の下に置いたから、それには触らずに警察に連絡するんだよ。君は優しく笑った。

その絵は僕からの君たちへの愛だ。信じて欲しい。生きてきた背景は変えられなかったし、僕自身に打ち勝つことはできなかったけど、そんな僕を生かして新しい心を作っていたのは他でもない君たちだ。僕は死んだら晒し者になってもいい。君たちの手でなら大丈夫だ。僕は世界を変える。だから君たちも変えてくれ。僕みたいな人間をもう存在させないでくれ。僕は本当は君たちと生きたかった。僕は生きたかった。でも僕はおかしいのだ。苦しくて辛いのだ。自分が狂うのをもう一人の僕が見つめている。もう一人の僕も、もう長くは生きられないだろう。死ぬ理由くらい自分で選べる時に死にたい。他人に殺されてたまるか。僕は君たちのために死ぬんだ。君たちの神になる。君たちの幸せを守りたい。だから、どうか君たちの作品で今度は僕のことも幸せにして欲しい。とびっきりの不幸にもして欲しい。君たちには才能がある。これは贔屓目なんかじゃない。もっと振り切れよ。親に遠慮している?世間体が気になる?お金?将来?結婚?全部捨てろよ。生きていればどうにだってなる。いくらだってやり直せる。僕の死体を目に焼き付けろ。そして、祈るのだ。俺は二人だけの神だ。なんでも分かる。君たちはやるべきだ。どうか自分を責めないでほしい。僕は自分の問題で死ぬのだ。君たちに出会って得るはず無かった時間を手に入れた。愛情は暖かくて、優しくて、離れがたくなってしまった。そんなときに思い浮かぶのは、お父様だった。逃れようともがくほど、お父様が僕の腕を掴んで離さない。僕は宙ぶらりんの天蓋を見つめると安心した。天蓋は僕の死そのものだった。いつか自分が天蓋のようにこの部屋で自由になれると思うと安心した。いつでも死ねると思った。いま、僕は、心が穏やかだよ。

僕の代わりに僕を完成させて欲しい。

夜になると寂しさがこみ上げてくるよ。

僕は君の中での僕でありたい。

声が聞こえる。嫌な音だ。

僕を奪ってみんな楽しそうだ。

心をとってしまおうと思って爪を伸ばす。

心臓めがけて突き刺して、夢中になって自分を探した。

痛みだけがそこに残って、僕はただ生きていることを思い知る。

痛みが怖くて死ねなくて、痛みで生きていることを実感する。

死んでも名誉を守りたい。

娯楽になんかなってたまるもんか。

僕は死んで、君が僕に意味をつける。

それが一番いい。

君が言う。相変わらず低い耳馴染みのいい声は涙腺を刺激する。

気持ち良さそうな顔で話す。僕は君たちがアトリエで眠っている姿を見て、一人泣いていた。僕の二十六歳の誕生日だった。久しぶりに三人で集まったあの日、暖かくて、幸せで、涙を流した。涙は寂しいものじゃないことを知った。僕が泣けたのは、愛おしい二人が僕を挟んで、安心している姿を見せてくれたからだ。僕はそうやって泣きながら、死を夢見ていたよ。もう一度なにかに立ち向かう気力はやっぱり使い果たしてしまったままだった。僕の人生はこの涙のために続いてきたことが分かった。僕を幸せにしてくれてありがとう。僕は魂を削りすぎた。僕は不器用なのだ。自分にあるものを上手いペースで使えない。君たちに使い果たすことができてよかった。僕の愛は重いかな、重いよね。受け取ってくれたらいいな、大好きだよ。愛してる。」涙と鼻水でグシャグシャな顔は清々しい笑顔を作る。僕は再び恋に落ちる。


そこで作品は終わった。僕は、データを取り出した。1の部屋に戻ってそちらのデータも取り出す。どちらもDVDだった。君のパソコンはどこを探しても見当たらないので、君が処分したのだろう。僕は冷静だった。彼女も取り乱すことなく、君の情報が残っていないか確認した。まだ熱が残る機械に別のDVDを入れて、カバンにさっきまでみていたDVDを詰め込む。椅子を移動して、看板は作品の中に紛れ込ませる。今までみた映画のシーンを思い返しながら、警察の行動を予測する。君を守れるだろうか。君を晒し者にしてたまるか。僕は君にこんなことをさせるまで気がつかなかった愚か者だ。僕は君のために映画を撮る。僕は君の救いになりたいと思っていた。でも自分の才能の低さに気がついて怯えた。大勢に受け入れられないことが怖かった。君一人を救えればよかったのに、それに気がついたのは君を失った今この瞬間だ。僕はこれからの人生を通して君を救い続けなければいけない。君が愛した彼女を巻き込んで、君から受け取った全てを通して、自分を癒さなければいけない。君はなんて素晴らしい芸術家だろう。僕は奮い立っている。彼女も奮い立っている。これからの人生、一瞬たりとも君の目から逃れられないことは分かっていた。僕は君が生まれ変わってこの世界に戻ることを信じている。僕は、映画監督にも芸術家にも政治家にもなんだってなれるのだ。君が信じてくれたのだから、なんでもなれる。僕は世界を変える。君が戻ってきたとき、安心して過ごせるように。世界は熱意のある誰かが変えてくれると思っていた。僕がやらなくても熱意と才能のある誰かが。人任せにしていてたまるか。深呼吸した。彼女と目を合わせ、頷き合った。


君に会える最後の機会を目前に、僕たちは恐怖の外にいた。


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