第8章

君と会えないのはいつまでも悲しい。どれだけ時間が積み重なってもいつも新鮮に悲しい。歳を重ねると出会いが増える反面、人と別れることも増えて、それは距離的な場合も心がすれ違うことも、死んじゃうこともあって、感情をごまかすことだけが上手くなっていく。仕方がない、如何しようもない、あの人が悪い、私は悪くない。嫌な感情に触れると相対的に生きることを実感したりやり場のない気持ちをどうにかするため人気の無い道で地面を強く蹴りつける。会いたいな、話したいな、なんて考えてもどうにもならなくて、また地面に意地悪してみる。感情を持っているのは大変だ。「生きているだけで幸せ」って言葉を見かけるたびに反吐が出る。綺麗事言うなよって思う。生きている方が大変だと思うこともあるし、現実にあるし。社会の型に無理やりはめられることも増えて、ちょっとだけ疲れちゃったのかな。自分の形に合わない型にはめら続けて、はみ出た部分が痛くてたまらない。傷つきながら型通りに変形したり、無理やり切り落とされたりして、自分と自分以外みたいなものの境目がぼんやりしていく。自分を見失わないように、きつく目を閉じて傷ついた部分を未練がましく撫でることしかできない。自分を慰めきれないときは、君が贈ってくれたアルバムを開いてみる。どのページも私の写真でぎっしりと埋まっている。幸せそうに笑う写真を真似して笑顔を作ってみるけど、ちっとも上手くできない。顔の筋肉の動かし方を私は忘れてしまった。ページをめくると破られた小説や自作の詩が写真の間に貼られているのが目に飛び込んできてまた苦しくなる。君がことあるごとに口にした一節は、君の姿が薄れても脳内に居座り消えることはない。私は今でも囚われ続けている。私だらけの写真の中に唐突に現れる君が作った不細工なカレーライスや道端の猫の写真が愛おしい。このお皿はどこに行っちゃったのかな。猫は生きているのかな。猫の写真には油性の黒いマジックで、写真でもいいから君に早くあいたくて、フィルムを消費するために撮った猫です。なんて書かれている。君の全てが好きだ。考え方も仕草も声も好きだった。喫茶店でなぜか横向きに座る君の横顔も好きだった。でもね、自分の脚色した記憶と真実の見分けがつかなくなっていくよ。君がよく口にした詩だけが正しく残る。君が映った動画を開いてみる。画面の中を動く君を見てもやっぱり本当に君なのかわからない。写真の中の私さえも嘘のように思える。今は同じように笑えない。怒ることもできない。思い出が歪んでいくのは、私の目に涙が溜まっているからだろうか。使い捨てのカメラで撮られた写真は肌を綺麗に加工してはくれないけれど、素の自分の美しさを教えてくれる。中学生の時に潰したニキビの跡が愛おしい。誰のためでもなく、私のためだけに撮られた写真たち。君にこんな表情を向けていた自分を愛おしく、誇らしく思う。愛が痛くて苦しい。この気持ちを感じたら、生きていることを認めなくてはいけない。行きたいと願う自分を認めなければいけない。君が見つけてくれたから、私は多くのことを諦めたり嫌になりながらも生きているよ。私にとっての生きるっていうのは君の瞳に映ることだった。その目はもう私には向けられていない。それでも君の残した愛情で生き続けるよ。たまには、私のことを思い出してね。


そうやって思い出を振り返り始めると、君が修士課程に進んだ年のことを必ず思い出す。その頃の私は卒業制作の展示に向けて慌ただしい日々を送っていた。進路は都内の私立高校で美術の非常勤講師をしながら作品を創っていくことが決まっていた。自分が絵で大成功することは諦めていたけれど、気負わず作品を作る方が向いていたので最善の選択だと納得していた。正直に言うと、作品だけを創っている君を見ているとどうしても君のようになるのが恐ろしかった。君は以前にも増して多くの人から注目を集めるようになっていた。注目が大きくなるにつれて髪を切らなくなった。細かった身体はさらに痩せ細り、丁寧に食べられた骨付きのチキンの残骸みたいだった。ご飯は私か君の親友が誘わないと食べていないようだった。それに君と親友はあからさまにぎこちない態度を取り合っていて、私は彼女としての立場を失った。二人がいて初めて私の存在が認められると気がついたのもその頃だった。君をどうしていいか分からなくなって、私と君の親友は喫茶店で何度も君について話しあった。アトリエに絵が積み重なる度に私たちの不安は増して行った。人目を気にして喫茶店にすら行かなくなった君を交代で見張ることしかできなかった。突然どこかに出かけてしまう君を問いただすことも追いかけることもできなかった。私たちは真剣な顔で君を攫う方法を考えた。どうやっても結局のところ私たちの話し合いはいつも変わらず、出来る限り側に居ようようという考えに着地した。君は天井から吊り下げられる天蓋に自分を重ねていた?私たちは本当に何も気がついていなかった?


私たちの心配が届いたのか、君は私と別れる頃に体重は少し戻ったようだった。髪も切って、目が合うようにもなった。私は自分の不甲斐なさを誤魔化すように毎日お酒を飲んでいた。あの日の私はいつにも増して酒に酔っていて、「生きている意味がわからない。」なんてこぼしてしまった。君が必死になって私に生きる意味を与え続けてくれていたのに私は最低だった。自分の情けない言葉がアルコールで霧がかかった脳を叩き起こして、私が間違いを犯したことを分からせた。どんなときでも言葉に気をつけていたのに。人が言葉で間違いを犯すのは、相手がいるからだと私は知っていた。思想は行動に起こしたり口に出す瞬間までは間違いになることはない。個人が考えることは例えどれだけ汚いことでも卑しいことでも、いつも正しい。だってその思いを抱える自分がいるのは事実なのだから。だけど外に出した瞬間にその考えはあらゆる視点に晒される。言葉はある程度の決められた意味を持っているから、仕方のないことだ。そもそも言葉が正しく伝わることはない。一番近いニュアンスが相手に届いたら運がいい。だから人間には言葉にするまで猶予が与えられている。傷つけ合うだけにならないように、一度は脳で考えて自分の思想を内に留めか外の世界に送り出すか決めることが許される。自分の考えをどう操るかは自由なのだ。だからこそ、自分で選べるからこそ後悔するのだけど。

私の本音を聞いた君は「それを探すのが人生」などと、誰もが聞いたことがあるような陳腐な答えで諭すことも、それらしい持論を偉そうに語ることもしなかった。ただ寂しそうに私の頭を撫でた。君はいつでも言葉を自制することが出来た。誰よりも私が望まない答えを知っていた。言われたくないことを口にしないでいてくれる相手というのは意外と少ないものだ。人に期待することを恐れて、言葉を望まない私にはそれがなによりも大切で、信頼することが出来た。気持ちのこもっていない言葉をくっつけただけの慰めは嫌いだ。大嫌いだ。その時は何も言ってくれない君の事も嫌いだった。君をぶつけてくれない。もう終わりだってそう思った。それから少ししてやっぱり私たちは終わった。

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