第7章

過度な孤独で死んでも、愛の摂りすぎで死ぬことはない。あなたは、言葉で愛を伝えたことはあるだろうか。声に乗せて相手に伝わるまで、何度も、何度も、伝えたことはあるだろうか。恥ずかしくて声が小さくなっても、声が裏返ってもそんなことはたいした問題ではない。想いを伝えないことの方が問題なのだ。いつか気持ちに気づいてくれることを願うだけの透明な優しさを与え続けるだけでは足りない。自己犠牲はひどく美しいけれど、結局のところ綺麗な愛情などないのだ。相手の目を見て言葉にするのだ。あなたの大切な人が孤独になったときの分も言うのだ。言葉は永遠の味方になるから。人間が他人に与えられるものなんてお金か愛情くらいしかないのだから惜しまずにあげてしまえばいい。大抵の人は自分の生活で手一杯で、お金を与え続けるのは難しい。それにお金なんてあまりロマンチックじゃない。だから愛情は、せめて愛情くらいは惜しんではダメだ。全部渡してしまうくらいでいい。恥ずかしがって緊張して言葉にして欲しい。歌でもいい、手紙でもいい。とにかく、直接伝えることが重要なのだ。大切な人を孤独で死なせてはいけない。それは自分のことも傷つけるから。私は、君を失った悲しみで死んでしまいたいのに、君に与えられた愛情で死ぬことができない。君に与えられた残りの人生を諦めることができないよ。君は今どうしてる?私のことを思い出すことはある?私の伝えきれなかった愛情はどこに置けばいい?頭の中で君との日々を今日も繰り返す。


途切れることなく部屋に補充され続けていた少し硬めのグミを自分で買い足しに行ったとき、初めて愛を失ったことに気がついた。居た堪れない思いがして、手に取ったグミを元置かれていた場所に戻しながら私はそれが特別に好きでは無いことを思い出して更に愛を失った。なんて愚かなのだろう。

君と付き合った期間は約五年間で、別れを切り出された頃には二十五歳になっていた。別れるのは嫌だと思ったけれど、長い年月をかけて君が私に与え続けてくれたことを考えるともう何ひとつ求めることが出来なかった。嘘を付くことは私にとって簡単なことだったので、いつもと変わらない口調でわかったとだけ短く答えた。本当は泣き喚いて引き留めたかったけれど、自分の惨めさに耐えるだけの強さは持っていなかった。君は私がどう答えるのか分かっていたし、感情を殺せることを知っていたので、寂しそうな表情を繕うこともしなかった。少し間を置いてから私のことを優しく抱きしめて頭を何度も撫でた。まるで綿密で繊細に作られたガラス細工に触れるように。どれだけ一緒にいる時間が増えても、私に触れるときに手を乱暴に使うことをしなかった。その瞬間だけ自分は存在を許されたような、特別な人間のような気がして幸せだと感じた。自分の存在価値なんて普段はどうだってよかったけど、君には少しでも意味のある私を受け取って欲しかった。君と一番近くて、目が合わないその瞬間だけ心に触れている気がした。少しでも愛が届くように願って君の頭を同じように撫でる。どんなに意識しても同じように手も指先も動かすことができなかった。君は私の溢れて隠し切れない気持ちを受け取ってくれたことはあったのだろうか。背の高く無い私とほとんど変わらない形の君が好きだった。いつでも目を合わせて話すことが出来たから。服を共有することもできたし、電車の窓ガラスに映る二人の姿がなんだか愛おしくて好きだった。そんなことに君は気がついていたかな。言葉にすることができなくて届かなかったから私たちは崩れてしまったのかな。食べ終わったショートケーキ、少しだけ皿に残る生クリーム、それを指ですくって舐めるような図々しさを持っていたらなにか違ったのかな。


思い返すと君と私の恋愛は最後まで私の片思いでしかなかったように思う。白い天蓋の中で帰宅もしていない君の親友に隠れるように唇を重ねた。私の視界は君と天蓋とチープな電飾の光で満たされる。電飾の光が私たちを祝福する。君の手のひらが後頭部を滑る音、私の吐息、君の呼吸、私だけ早い心臓の音。孤独な二人の結婚式。どうかこの中に私たちを閉じ込めてください。私は何度も願ったけど、願いは叶わない。どんなに美しい瞬間を集めても、それだけでは愛を手には入れられない。君と私はキス以上の行為をすることはなかった。週に一度だけ君は私の家に泊まって手を繋いで寝る。私に許されるのはそれだけだった。それ以外はアトリエで過ごす。君と親友の彼は私たちなんかより恋人のようだった。君が向ける視線は恋そのもので、それに気がつかないほど私は鈍感でいられなかった。けれど君の手を離してあげられるほどの強さも持ち合わせていなかった。私とのキスに親友を重ねていたとしてもできなかった。一人の夜は右手の人差し指の先端から第一関節まで伸びた細くて深い線をなぞり、君を思った。いつかの夜、反りが合わなかった母親に年々似て来ている気がしてナーバスになっていた私は、母親と同じ血が流れることが怖いと泣いた。君はそんな私の指先をナイフで切り、自分の指も同じように切った。傷口をぴったりと触れ合わせてから強く押し合わせ、今から君の体には僕の血も流れていると笑った。僕にも優しい血が今日から流れると喜んでくれた。互いの指先に舌を絡ませて私たちは混ざり合った。穏やかで優しい君を愛していた。私が落ち着いてからインターネットで血液感染について調べて、二人で怯えながら笑った。お互いのせいで死ねるならそれで良かった。軽率な愛情が私たちにはちょうど良かった。優しい人間でありたい。君のように。優しさってなんだろう。考えるのに疲れて指先を舌で包み込む。下半身に指を運んで自分を慰める。


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