第14話 意外な人物

 鬱蒼とした木々に覆われた中、容子と長吉は並走する。時に木の枝に飛び乗り、跳躍して密集した箇所を越えた。

 長吉は走りながら横目をやる。

「完全に回復したようだな」

「おかげさまで」

 容子は横目で言葉を返した。顔面に迫る枝は瞬時に伸ばした爪で断ち切った。

 二人は最初に出会った沼に到着した。天候に恵まれた今日であっても水面は澱んで見える。

 容子は沼の一方に目を向けた。

「ここからの道は私でもわかります」

「久しぶりにこの地を離れるから楽しみだぞ」

 長吉は子供らしくはしゃいで見せた。容子は表情を引き締め、僅かに目を開けた。

「相手は化け物です。今回は相撲だけにしてください」

「何度も聞いたが、どんなヤツなんだ?」

「……私にもわかりません。人間の姿をした化け物……私達のように変化の術を用いているのか。もしくは……得体の知れない相手であることは確かです」

 沈鬱な表情を長吉は見上げる。顎を摩って何かを考えているようだった。

「口が悪いのは勘弁な。アンタさんが弱くて相手を過剰に評価しているってことはないのか?」

「この私が弱いと? 回復の早さで証明したと思いますが」

「確かに早い。だがな、治癒能力に長けているだけかもしれねぇだろ」

「試してみますか」

 穏やかな声で容子は両手の爪を伸ばす。口の両端がメリメリと裂けて獰猛な乱杭歯を覗かせた。

「待て、待て! 俺に相手を殺傷する武器はない。そこで相撲で勝負しようじゃないか。純粋な力勝負だ」

「私に抱き着きたいのですか」

「だから、エロ河童じゃねぇよ! そんな不純な動機で相撲が取れるか!」

 瞬時に目を剥いた。全く、と文句を言いながら平坦な地に足で円を描く。

「これが土俵だ」

 中央に二本の仕切線を加えた。長吉は両脚を開く。上体を前に倒し、片手を軽く付けた。

「俺と勝負だ。徳俵はないが、勘弁してくれよ」

「必要ありません。私が力で圧倒します」

「気が強い女は嫌いじゃない」

「河童のプロポーズは受け付けていません」

「そ、そんなんじゃねぇよ! 本当に失礼なヤツだな!」

 二人は向き合う。呼吸を合わせて仕切線に同時に手を付いた。

 瞬間、長吉が低い姿勢のまま飛び出した。容子は少し遅れた。懐に潜り込まれ、後方に押し込まれる。崩れた体勢を立て直し、勢いを止めた。

 長吉は身体の力を抜いた。

「もう少し真面目にやってくれよな」

 軽い溜息で引き返し、仕切線で再び低い姿勢を取った。

「まさか」

 容子は目を開き、自身の足元を見た。踵が線の外に出ていた。徳俵があれば残っていた。それくらいの差だった。

「目が覚めました」

 容子の目が鋭さを増した。


 二人は地べたにへたり込む。

 先に顔を上げたのは長吉であった。

「三十勝五敗で、俺の勝ち越しが決まったな」

「……終盤は私の三連勝でした」

 容子は項垂れた状態で頭を振った。汗が周囲に飛び散る。片手で前髪を掻き上げてさっぱりした顔で笑った。

「立派なもんだ。もっと稽古に励めば良い力士になれるぞ」

「それはお断りします。体形が変わりそうですし、蟹股の姿も人に見せられるようなものではありません」

「相撲を侮辱するな! 神聖な儀式なんだぞ! 力士には尊崇そんすうの念を抱くべきで」

「あなたは河童ですよね?」

 容子の一言に、まあな、と目を伏せて返した。

「その化け物とやらは俺よりも強いのか。相撲の話だが」

「相撲はどうでしょうか。肉体の一部を分離させて攻撃をしてきます。空間に穴を開けることもできました……玉藻様と方法は違いますが」

 容子は苦々しい顔で立ち上がる。パンツに付いた土を手で払った。

「そりゃ、化け物だな。できれば肉体だけで相撲を取りたいのだが、どうなるやら」

 パンと膝頭を平手で叩き、勢いよく立ち上がった。

「居場所はわかるのか」

「わかります。玉藻様の隣人を名乗っていました」

「そうか、楽しみだな!」

 頬を赤くした長吉は満面の笑みを見せた。

 容子が先頭に立ち、あとに長吉が続いた。二人は沢を駆け下りて集落に辿り着いた。錆の浮いたバス停のベンチに座って何もない農閑期の畑を眺める。

 バスを経由して駅に向かい、そこから電車を乗り継いで下車した。見かけた洋服店に二人は入り、新しい衣服に着替えた。

 容子は代わり映えのしないスーツを選んだ。長吉は長い時間を掛けてジャケットと七分丈のズボンに決めた。

 身綺麗な格好で二人は通りを並んで歩く。

「すまねぇな」

 長吉は軽く頭を下げた。

「金銭の心配は不要です。本来と違う使い方ではありますが」

 容子の表情が強張ってきた。

 斜め前方にワンルームマンションの一部が見えている。夕陽に照らされて火照ったような色になった。

 長吉は容子を盗み見て同じ方向を見やる。

「あそこにいるのか。容ちゃんの言う化け物が」

「誰が容ちゃんですか」

「俺の友達、鎌鼬かまいたちの陽三郎と似ているだろ。だから同じように容ちゃんの呼び名でいいと思う訳だ。仲間と打ち解ける近道ってもんだろ」

 長吉は早口で言い切った。

 少しの間のあと、容子は口にした。

「熱心なお誘いは嬉しいのですが、所詮は河童ですし」

「アプローチじゃねぇよ! 河童で悪いかよ!」

「いえ、少し緊張が解れました。ありがとうございます」

 容子は長吉と視線を合わせて微笑んだ。

「なんだよ、俺は子供じゃねぇぞ。格好は子供だけど」

 その時、ワンルームマンションの敷地から一人の人物が現れた。

 一目で容子は震えた。拳を固めて歯軋りを起こす。

「どうして天邪鬼が」

 巫女服に身を包んだ天邪鬼が二人の方に歩いてくる。太陽が傾いて緋袴は鮮血の赤に染まってゆく。

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