第11話 白い破壊神
膳を挟んで向かい合った二人は手酌で呑み進める。
タマモは猪口に注いだ酒を呷る度に、はぁ~、と幸せそうな息を吐いた。塗り箸でタラの西京焼きの身を摘まみ、噛み締めると笑顔が零れた。
女性は片膝を立てて愉快そうに笑う。
「そこまで喜ばれると悪い気はしないぞ」
「……この姿だと、色々と不便なのよ」
「ここでは心置きなく呑んで、食べるといいぞ」
女性は猪口を手放し、ぐい呑みに酒を注ぐ。一回の呷りで呑み干し、炙ったゲソを纏めて口に放り込んだ。
自然体の姿にタマモは箸を止めた。
「警戒心がないのね」
「非力な童女を警戒する意味はないぞ」
ぐい呑みに酒を注ぐ。溢れそうになり、慌てて口を付けて啜った。
「……いずれ、わたしの力は戻るわ」
タマモは口の端を釣り上げる。同時に正座から横座りとなった。
女性は目を見て鼻で笑う。ぐい呑みの酒を一気に空けた。
「殺意のない相手に言われても困るぞ。その気があるのならば翠子に正体を明かすがいいか」
タマモの全身が震えた。持っていた猪口から酒が飛び散る。泣きそうな顔で口をパクパクさせた。
「それが答えだぞ」
満足そうに言って焼いたシシャモの尾を摘まみ、頭からバリバリと食べていった。最後に指を舐めて空になったぐい呑みに酒を注ぐ。
「わたしにも
身を震わせて猪口に酒を注ぎ直す。尖った口で啜るように呑んだ。
「仕方ないぞ。あまり大きな声では言えないが、あの姿を見た時、身体が震えた」
「まさか……本当のことなの?」
「矜持があるので、これ以上は訊いてくれるな」
苦笑いでぐい呑みの酒をちびりとやる。目に付いた揚げ出し豆腐の皿を手に取ると勢いよく箸で掻っ込んだ。
タマモは表情を和らげた。先程、零した酒で着物の一部が濡れていた。太腿の辺りを撫でて掌に指を擦り合わせる。
「着物が濡れてしまったわ。何か拭く物は」
「甚平で拭けばいいぞ」
女性は四つん這いで近づき、手前の膳を手で押しやる。タマモの濡れたところに裾を強く押し当てた。
瞬間、襖が開いた。女性とタマモを黒い影が覆う。
「……ぽぽ」
女性は顔を上げた。
「どうした?」
「ぽ、ぽぽ……ぽぽぽぽぽぽ!」
声の激しさは激怒と受け取れた。
タマモは急いで後ろを振り返る。瞬時に仰け反るような格好で顔を引き
白い鍔広帽子を被った大柄な女性、八尺様が見下ろすようにして立っている。長い髪で顔のほとんどが隠れていた。漂う雰囲気は尋常ではない。白いワンピースは死を漂わせる。
「あ、あの、なにかな?」
タマモが子供っぽく笑うと、八尺様は大きく口を開けた。
「ぽぽぽぽぽ!」
巨大な両手がタマモに迫る。受け止めたのは女性であった。両方の掌を合わせた状態で身体が大きく膨らむ。背も伸びて限界を迎えた甚平がはち切れた。
酒呑童子と八尺様は力比べをするように互いの手を握り合う。押し合ってもいるのか。畳の繊維が切れて苦痛の声を上げた。間に挟まれたタマモは両手両足を駆使して部屋の隅に縮こまる。
「ママ、少し落ち着け。浮気ではないぞ」
「ぽぽぽ、ぽぽ、ぽぽぽぽぽ!」
「酒を零したので拭いていただけだぞ」
「ぽぽぽぽぽぽ!!」
「言い訳ではないぞ」
聞く耳を持たない八尺様が隅で震えているタマモに顔を向けた。前髪の隙間から覗いた眼が鈍い光を放つ。
タマモは頻りに顔を振った。
「ち、ちがうって! ホントにお酒をこぼして」
「ぽぽ、ぽぽぽぽ!」
タマモは言葉の意味が理解できず、酒呑童子に目で尋ねる。
「こんな幼い子供が酒を呑むはずがないと。これは困ったことになったぞ」
「ど、どうしよう」
「説得を諦めて逃げた方がいいかもしれんな」
その騒動を聞き付けたのか。天邪鬼が走り込んできた。
「こんなところで何してんのよ! 探したじゃ、マリモ! アンタ、また色目を使ったのね!」
「な、な、なに言ってんのよ!」
「翠子お姉様のベッドに潜り込んだくせに! 今度は酒呑童子様を離れに誘って垂らし込んだのね!」
天邪鬼はタマモを指差して怒鳴りつける。豪勢な膳の中身を見て、悔しい、と金切り声を上げた。
「逃げるぞ」
その一言でタマモは
「え、どうして!? 何なのよ!」
事態が呑み込めない天邪鬼は二人に向かって怒鳴る。
八尺様の怒りが頂点に達した。振り上げた長い腕が天井に穴を開ける。強く踏み出した一歩で畳が抜け落ちた。その状態で跳躍。邪魔な物は全て両手で叩き壊し、二人を追い掛けた。
「来たぞ!」
「ぴぇぇぇぇ~!」
酒呑童子はタマモを肩に担いだ。庭木や庭石を縫うようにして走り抜ける。
「ぽぽぽぽぽぽぽ!!」
八尺様は白い破壊神となって全てを壊した。最短距離で二人に迫る。
遠目に見ていた天邪鬼は腕を組んだ。
「なんだか知らないけど、マリモの移住計画は無理かもね」
呆れたように言うと座敷に戻る。倒れていない徳利を振ってにんまりと笑う。
転がった猪口を手に極上の酒の味を堪能するのだった。
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