第10話 二人の宴
天邪鬼の力は強かった。握られた手は貼り付いたように引き剥がせない。足の踏ん張りも意味がなく、疲労が増すだけであった。
タマモは諦めて自発的に歩いた。正面に見えていた小さな城門が見上げる程の大きさになる。外部の者を快く受け入れるかの如く、鉄扉は開いていた。
「マリモ、ここからが町になる。行くよ」
「……うん」
マリモの呼び名を受け入れた。または指摘しても無駄と悟ったのかもしれない。
二人は手を繋いで城門を潜った。少しの風で土埃が舞いそうな道の左右には瓦屋根の長屋が軒を連ねる。みすぼらしい印象はなく、古い時代の日の本をじんわりと胸に伝えた。
タマモの目が優しくなる。その眼差しは住人にも向けられた。
長屋の前の
天邪鬼はタマモの顔を覗き込む。
「な、なに?」
「意外と肝が据わっているんだな」
「……意味がわからないんだけど」
タマモは朗らかに笑いながらも目が泳ぐ。
「鬼や一つ目を見ても驚いていないよね。もしかして見慣れていたりする?」
「え、絵本の中にいる、みたいで……少しうれしくなったの、かも」
たどたどしい言葉で答えた。タマモは相手を窺うように上目遣いとなった。
天邪鬼は赤い双眸で笑った。
「そんなに楽しいなら、酒呑童子様を見たら笑い転げるよ」
「それは、ないかなぁ。あ、あの、会わないとダメなの?」
「そりゃ、ダメだろ。この世界の住人になるのに」
「え、そうなの!?」
「会えばわかるって」
天邪鬼はタマモを片腕で抱えた。瞬時に疾走に移る。道の土埃を巻き上げて最奥を目指す。凄まじい風を顔面に受けたタマモは叫ぶことも出来ず、口の中に空気の塊を突っ込まれた。
緋袴を激しくはためかせて高床式の
「マリモを忘れていた」
横滑りで止まって引き返す。ぐったりとしたタマモの靴を脱がせると適当に放り投げる。くるりと回って再び風となった。
大広間に駆け込んだ天邪鬼は辺りを見回す。がらんとして誰の姿もなかった。
「酒呑童子様は、まだみたいね」
その名にタマモの頭が跳ね上がる。じたばたと暴れて天邪鬼の腕から逃れた。四つん這いの姿で落ちると畳に額を押し付けた。
その見事な土下座に天邪鬼は不思議そうな目を向ける。
「亀の真似?」
「……話しかけないで」
「酒呑童子様は来てないんだけど」
「え、そうなの?」
タマモはゆっくりと顔を上げる。
そこに地鳴りのような足音が響く。現れた鬼は高い天井に届きそうな
タマモはすでに土下座の姿で固まっていた。
「その童女が翠子の言っていた者か」
酒呑童子は上体を傾けた。厳めしい顔で亀となったタマモを見下ろす。
隣で正座をしていた天邪鬼は嬉々として語る。
「その通りです。身なりは小さいですが肝は太くて、この世界の住人を目にしても驚いた素振りも見せません」
「そうなのか? 少し震えているようだぞ」
「酒呑童子様の姿を見て興奮しているだけですよ。武者震いみたいなものです。どうでしょう。この世界の住人として、迎え入れていただけないでしょうか。お姉様の希望でもありますし、ねえ、お父様」
最後にさりげなく自身の欲望を添えた。
「小娘、その呼び名はむず痒いぞ。おい、そこの童女。まずは名乗るがよい」
「……鳥居、マリモです」
耳にした天邪鬼はタマモの背中を笑いながら叩いた。
「おいおい、それはアタシがつけた
タマモの耳が赤くなる。先程よりも激しく、身体を震わせた。
酒呑童子は身を乗り出し、タマモの小さな背中を注視する。
「
「……このままで、いいです」
酒呑童子はタマモを掴んだ。顔に引き寄せて強引に裏返す。
二人は間近で視線を合わせた。タマモは硬直した顔で口角を上げる。
「タマモちゃんですぅ。怖い顔のおじちゃん、よろしくねーん」
実に子供らしい自己紹介であった。
酒呑童子の頬が不自然に盛り上がる。小鼻が大きく膨らんで大口を開けた。
瞬間、
「ぷぇぇ~」
タマモはびしょ濡れになった。気付いた酒呑童子は、その姿を見て更に笑うのだった。
「……酷い目に遭ったわ」
タマモは不機嫌な顔で黄金色の湯に浸かっていた。風情のある岩風呂は来客用で、そこそこに広い。
湯気で煙る中、タマモは横目をやる。岩の一部が鬼の顔になっていた。目の部分から湯が溢れ出す。
「……鬼の目にも涙」
口にして頭を左右に振った。苦笑いを浮かべて、ないわ、と素っ気なく口にして湯から上がる。
脱衣場には小鬼達が待ち構えていた。タマモは突っ立っているだけで着物姿となり、新たな鬼に連れられて別間に通された。
そこには一人の若い女性がいた。金髪のショートに不釣り合いな甚平を着て手酌で呑んでいる。
「ようやく来たか。赤子の着物だが、よく似合っているぞ」
「えっとぉ、お姉ちゃん、ありがとねーん」
「女狐、その口調はよせ。また噴き出すところだったぞ」
胡坐を掻いた膝に何度も平手を打ち付ける。
その一言でタマモは悟った。膝から崩れ、真後ろに倒れ込む。両腕と両脚を開いて大の字の姿となった。
「酒呑童子に抗う術はない。好きにすればいいわ」
「確かに人間の童女に等しい、非力な存在に成り果てたものだ。どうとでも出来るのならば、今でなくてもいいだろう」
猪口の酒を一気に呷る。
タマモは上体を起こした。信じられないという風に目を丸くする。
「それに女狐には大いに笑わせて貰った。腹の底から笑えた。その礼はしないとな。もちろん、呑むのだろう?」
「まあ、できれば」
「実はな、用意しているぞ」
女性の声を皮切りに朱塗りの膳が次々と運ばれてきた。酒や肴が所狭しと置かれ、二人だけのささやかな
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