第4話 芽生えた疑念
雑に閉められたカーテンに朝陽が当たる。窓際で寝ていたタマモの表情が苦し気なものに変わった。落ちてきた光を振り払うかのように小刻みに顔を動かす。あっちいけ、と寝言まで飛び出した。
眠りが浅くなった時に合わせるかのようにくぐもった音楽が流れる。
タマモは瞬間的に瞼を開けた。掛け布団に収まった状態で、くるりと回って折り畳んだコートのポケットを探る。取り出したスマートフォンはトレーナーの中に突っ込んだ。
目を瞬いて起き上がる。地雷に等しい天邪鬼や赤子を踏まないようにしてトイレに駆け込んでスマートフォンを耳に当てた。
「こんな時間に何なのよ」
画面に表示された名前は油屋容子となっていた。
『申し訳ありません。時間ができたもので』
上司と部下の立場を弁えた声が返ってきた。タマモの顔から険が取れる。
「それでどうかした?」
『まずはこちらの状況をお伝えします。仲間の一人を見つけました』
「それは、まあ、朗報なのかな」
歯切れの悪い声を返す。
『……大変に心苦しい報告になるのですが、報復の件は相手に拒絶されました。酷く怯えているようで、会話が成立しませんでした』
「仕方ないよ、それは」
タマモは苦笑した。便座に座って一息入れる。
『痛み入ります。玉藻様にお変わりはございませんか』
「何もないよ。スマートフォンの使い方を学んで、軽く近所を調べて、あとは晩に鶏団子鍋を食べたよ」
翠子達との遣り取りで鍛えられたのか。子供らしい口調で今日の出来事を伝えた。
『鶏団子鍋ですか。玉藻様が自炊されたのでしょうか』
「あ~、ほら、コンビニってあるでしょ。そこに一人用の鍋があって買ったんだよ」
『そういう意味でしたか。もう少し栄養価の高いものを召し上がっていただき、現役に復帰して……急ぐ必要はないかもしれませんが』
容子の声が重く沈む。昔の仲間に拒絶された件が明らかに尾を引いていた。
「落ち込むようなことじゃないよ。相手は四百万の軍勢だからね。誰だって逃げたくなるよ」
『玉藻様、二百万ではありませんか』
「そうそう、そんな感じ。迫力が凄かったんだよ。炎を吐いたり、風で家屋を吹き飛ばしたり」
『まさかとは思いますが……玉藻様も怖気づいているのですか?』
瞬間、タマモは声を失った。言葉のナイフがすっと喉元に刺し込まれた。
「そんなことある訳ないでしょ。身体がこんな状態だから、少しは、ほんの少しくらいは弱気になることがあってもおかしくないって。それにわたしに限って怖気づくなんて、ないよ、ないない」
『大変な失言でした。申し訳ありません。こちらは引き続き、仲間を募る旅を続けて参ります』
通話を終えたタマモは脱力した。年寄じみた格好で、仕方ないじゃない、と不満気に呟いた。
水を流してトイレを出た。再び地雷原と向き合う。
タマモの目が斜め横へと流れた。ベッドで寝ていた翠子が寝返りを打ち、俯せの姿となった。食み出た右腕をだらりと下げる。
無防備な姿を注意深く見た。タマモは身を震わせた。地雷原を渡って早々に布団に潜り込む。翠子に背を向ける横向きで丸くなった。
一時間後、朝食を迎えた。竜司の姿はなかった。天邪鬼の
キッチンに立ったのは赤子で昨晩の鍋は味噌汁に変わった。各種の漬物は事前に用意されたものらしく、歯応えと絶妙な塩加減でご飯が進んだ。
食べ終わると急に慌ただしくなる。突風に吹かれたような髪型の翠子がクローゼットに掛けれたスーツを引っ掴む。
「みんな、早く! 時間がないんだから!」
言いながら着替えた。最後は全員を外に連れ出し、解散、の一言で走り出す。
「赤子も帰るのです」
「またな~、マリモ」
「タマモだよ!」
大きな声で返した。天邪鬼は振り返らず、適当に手を挙げてヒラヒラとさせた。
タマモは一人になった。踵を返して自身の部屋に戻る。
中に入るとコート姿のまま、中央の布団に前から倒れ込んだ。じっとして過ごし、ごろりと転がる。
窓の外で縄張り争いをしているのか。雀の
タマモは上体を起こした。伸ばした脚の指先を黙って見詰める。
何かを思い付いたかのように勝気な顔となって立ち上がる。両手で解れた髪を伸ばし、力強く玄関に向かう。
靴を履いたところでスマートフォンを手に取った。位置情報を確認したあと、少し範囲を広げる。表示された地名に目を凝らし、道を何度も目でなぞった。
満足そうに頷くと部屋を勢いよく出ていった。
タマモは道に出るとスマートフォンの画面に目を落とす。自身の動きに合わせて地図上の立体の人形が酔っ払ったような千鳥足となった。楽しそうに笑って、こっち、と声に出して歩き出す。
「悪いな……」
その一言で白い特攻服を着た竜司が姿を現した。マンションの壁から半身を覗かせて、また引っ込んだ。タマモの背中を見失わない距離を保ち、電信柱や生垣を難なく擦り抜けてゆく。
竜司による尾行が密やかに始まった。
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