第3話 見えている?
タマモが答える代わりに正面にいた翠子が言った。
「最近、隣に引っ越してきた子で、そう言えば名前はまだ訊いてなかったよね?」
左隣で胡坐を掻いていた天邪鬼が身体を傾ける。自身の膝の上に手を置いて赤い目を近づけてきた。
「な、なにかな」
「アンタ、似てるよね」
タマモの背筋が伸びた。髪のほつれを気にするような素振りで目を逸らす。
「……長い黒髪がアタシに似ている。可愛い顔も被るし」
「あ、そっちなんだ」
タマモは笑顔を見せた。逆に天邪鬼は
「それ以外、なにがあるのよ」
「な、なにも……」
タマモは急速に縮こまる。天邪鬼は追い打ちを掛けるように顔を突き出した。
「ド変態が幼い子供を虐めているのです。姉様、鉄拳制裁をお願いするのです」
右隣で正座をしていた赤子が翠子にちらりと目を向ける。
「そんなことしてないじゃない! アンタね、ちょっと妹だからって調子に乗りすぎなのよ!」
「ちょっとではないのです。純然たる妹なのです。妹成分百パーセントなのです」
「その言い方、なんか腹立つ」
翠子は仲裁の意味でパンパンと手を叩いた。静かになったところで目をタマモに向ける。
「ごめんね。賑やかなお姉ちゃん達で。名前を教えてくれるかな」
「うん、わたしは鳥居タマモ。よろしくね」
「タマモちゃんか。見た目通りのかわいらしい名前だね」
翠子の斜め後ろに控えていた竜司が呟く。
「……鳥居でタマモ?」
「マリモみたいでいいじゃない」
一言で済ませた天邪鬼は座卓の上の土鍋に目を注ぐ。その様子を見て翠子は呆れながらも笑って蓋を開けた。
白い湯気が立ち上る。一同の目が自然と中身に吸い寄せられる。適度な煮え具合で各種の葉物野菜は瑞々しい緑を保っていた。エリンギ、エノキ、シイタケが脇を固める。メインの鶏団子は大ぶりで数が多く、我が物顔で浮かんでいた。
赤子は息を吸い込んだ。少し胸にとどめて、ゆるゆると吐き出す。
「昆布とカツオの合わせ出汁に香り高い醤油が」
「そこ、うるさい。食べればわかるでしょ。それとアンタはシイタケ禁止ね。共食いになるから虫のように白菜でも食べれば?」
赤子の言葉を遮った天邪鬼が底意地の悪い笑みを見せた。それでいて翠子には甘えたような表情で宛がわれた椀を差し出す。
「お姉様、アタシに愛をいっぱい注いでください」
赤子は暗黒の目で歯をカチカチと鳴らす。
居合わせたタマモは反応に迷い、子供っぽい笑みを浮かべた。
「鶏団子には自信があるのよね」
翠子はお玉で各種の具をバランスよく入れて天邪鬼に手渡す。タマモや赤子にも同じように注いだ。
早速、天邪鬼が鶏団子を箸で摘まみ、一部を齧る。溢れ出す肉汁を舌で受け止め、舐るようにして食べた。
「お姉様が指で丁寧に
「欲望を曝け出した痴女が気持ち悪いのです。食欲がなくなるので姉様に摘まみ出して貰いたいのです」
「こら、そこ! 話の腰を折るな!」
「ぷふぅ」
タマモは堪え切れずに少し噴いた。
「おかしいお姉ちゃん達だよね~」
にこやかな顔で翠子は立ち上がる。いそいそとキッチンに向かい、木製のおぼんに三本の徳利を載せて戻ってきた。
「お猪口は三つ用意したけど、どうする?」
「アタシは喜んでいただきます。口移しでもいいですよ。お姉様なら前みたいに激しくしてくれても……」
頬を赤らめた天邪鬼が目を伏せる。
赤子は横目で翠子を見た。おちょぼ口を硬くする。
「タマモちゃん、ごめんね。思い込みが激しいお姉ちゃん達で。気にしないでどんどん食べてね」
「いただきます」
言われた通り、肉厚のシイタケを食べる。染み出した汁の熱さに手こずりながらも呑み込んだ。
「おいしい!」
鶏団子は箸で突き刺して食べた。白菜を口に入れて、更にエリンギを押し込む。食欲のままに口と手を動かした。
「赤子もお猪口を貰うのです」
自ら手を伸ばし、手酌で飲み始めた。表情は乏しいものの、一気に呷る姿は怒っているように見えた。
徳利を一本、呑み干した赤子が後ろに倒れた。気を失ったように動きを止めて寝息を立て始める。
タマモは腹を突き出した姿勢で眺める。前回は赤ワインで酔っ払った。口の端から一部が零れ、畳に血溜まりのように広がった。目にした翠子の逆鱗に触れ、その後、最大の災厄が降り掛かる。
一瞬、全身が震えた。正面にいた翠子はお猪口をグイッと呑み干す。
「タマモちゃん、寒くなった?」
「そ、そんなこと、ないよ。平気だから」
「それならいいけど」
「まさかとは思うけどぉ、マリモはお姉様を狙ってないわよね~」
左隣にいた天邪鬼が徳利を口に運び、喉を鳴らして呑んだ。座卓の上に並べられた徳利は十本を数える。
「ね、ねらうなんて、そんなの、思ってない! あと、タマモ!」
「そうよね~。マリモみたいなおこちゃまには、お姉様の良さはわからないよね~」
「あ、そっちなんだ」
「だからぁ、どっちよ~」
ヘラヘラと笑いながら天邪鬼は横向きに倒れた。幸せそうな顔で唇を突き出す。
「だらしないわね。まだ、残っているんじゃないの」
翠子は
「姉御、俺がお酌しますよ」
「悪いわね」
竜司は徳利を受け取ると翠子のお猪口に酒を注いだ。
「うるさい二人がいないと、本当に静かになるわ。寂しいくらいに」
「いがみ合っている訳でもないので、これはこれでいいのかもしれないですね」
「まあ、あんたと赤ちゃんみたいな感じよね」
翠子は袋に手を突っ込んで新たな肴を摘まみ出す。
「最初の時よりはマシですが、どうですかね」
「あの、そろそろ帰るね」
二人の話を聞いていたタマモは、ようやく一言を切り出せた。
「一人は寂しいよ。何もない部屋よりは、こっちの方がいいんじゃない?」
「それは、そうだけど……」
「姉御は優しい人だ。何も心配はいらないよ」
竜司は慣れない笑顔で言った。タマモは考えるように黙り込み、そうする、と小さく返した。
程なくして座卓は片付けられた。空になった徳利は竜司がキッチンに持っていく。
翠子は押し入れから掛け布団を取り出し、寝入っている二人に適当に被せた。
「タマモちゃんには敷布団を敷いてあげるからね」
「ありがとう」
そんな二人の遣り取りを竜司は耳にしながら、ふと片付ける手を止めた。
「あの子、俺が見えているんじゃ……」
過去の記憶を探るような顔で竜司は口を閉ざした。
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