その⑤

 

 悪魔って……レイスのこと?

 奴の『悪魔騎士』という異名から浮かんだだけだが、ロア君の様子を見ると、どうもそんな「おまえ性格悪すぎ、本当に悪魔だな!」みたいに使われる意味とは違うようだ。

「なんとなく、悪い存在ということしかわからないわ」

 素直にそう答えると、ロア君はしんみような顔でうなずいた。

「この国では馴染みの薄い存在です。常ならば、精霊女王の守護するこの地はを寄せつけません。ナーフ王国で生まれ育った人間は、悪魔のにんしきが曖昧な者がほとんどなのではないかと。しかし、精霊が存在するように、本物の悪魔もまた存在します」

「確かに……いてもおかしくはない、わね」

「悪魔は人をまどわせおとしいれる。人の心にう清き精霊とは対極です。まぐれに人間とけいやくを結び、人知をえた力を貸す代わりに、対価を要求して自身の力を強めます。……そして悪魔と契約し、その身の内に悪魔を宿した人間は、『悪魔き』と呼ばれます」

「あくまつき……」

 耳馴染みのない言葉に、私は瞬きを繰り返す。

 悪魔が対価として求めるものは、契約内容によって変わるそうだが、視覚やちようかくなどの五感のどれか、身内の命、腕や足などの体の一部……と、聞いているだけで気分が悪くなるようなものばかりだった。

 また実は教会では、一部の霊力の強い使徒がとくしゆな訓練を受け、国外に出て悪魔ばらいを引き受けることもあるそうだ。霊力は悪魔にもたいこうし得る力なのだとか。

 ……そんなのまったく知らなかったわ。

「どれもおおやけにしている話ではありません。ただたび、スーリア様に悪魔について明かしたのには理由があります。一連の精霊使い行方不明事件……あれは、悪魔絡みのものであると判断されました」

 ここで事件の話が出てくるとは思わず、意表を突かれて身動みじろぐ。私の中ではまだぼんやりとしていた悪魔の存在が、一気に現実味を持った気がする。

 でも、ロア君の解説通りならばそれはおかしい。

「今月からこの国で起こっている事件よ? 精霊女王の力が働いているこの国に、悪魔は近寄れないのでしょう?」

「常ならば、です。ここまで悪魔をのさばらせたのには、二つの要因が考えられます」

 男の子にしてはきやしやな指を立て、ロア君は語る。

「一つは、『悪魔使い』が絡んでいるからだと予想されます」

「また新しい単語が出たわね……悪魔使いって?」

「強力な悪魔と契約した上で、さらに何体もの悪魔を自在に従える人間です。奴らは自分以外の人間に悪魔を憑けることもできます」

「ええっと、他者と悪魔のちゆうかいをするということかしら?」

「はい。単独で悪魔と契約した場合、契約は不完全な場合が多いのですが、悪魔使いが間にかいにゆうすると、より細かい契約を強固に取り交わすことが可能です。悪魔使いによって『悪魔憑き』にされた人間は、綺麗に悪魔と同化する。よってその悪魔の気配が、契約者である人間の気配にまぎれてしまうのです」

 なるほど……それで、精霊女王の目をくぐるわけか。

 同化が完全であればあるほど、悪魔憑きの人間なのかどうかの判断は難しくなるそうだ。ただ、悪魔は基本的には契約に従うが、油断をすれば、契約者の意識と体を乗っ取ろうともするらしい。同化が進めば、その危険性も高くなる、と。

 ロア君は、その中性的な顔に苦い表情を浮かべる。

「おじい様ほどの霊力があれば、一目見ただけで同化した悪魔憑きを見つけられるかもしれませんが……僕には無理です。傍にいたとしても、おそらく気付けません」

「おじい様……?」

「ああ、申し訳ありません! つい……!」

 わたわたと取り乱したあと、ロア君はクッションの上で居住まいを正す。

「おじい様とは、まだスーリア様が面会されていない、使徒長であるガウディ=フィンスのことです」

「フィンスって……」

「……実は、僕は使徒長様の孫なんです」

「そうなの!?」

 もろもろとつぴようもない話より、私にはこちらの方が身近な驚きだった。

 それなら、ロア君がこの若さで教会で働き、精霊姫の世話役にばつてきされたのもわかる。もちろん実力もあるのだろうけど。

 ロア君は「うっかりおじい様と呼んでしまいました……別にとがめられることではないのですが……お恥ずかしい」とほんのり頰を染めてうつむいている。

 学舎で先生をお母さん呼びするようなものかしら?

 なんにせよ、気が重くなる話ばかりだったので、少し気分がほぐれて癒された。

「おじ……し、使徒長様ほどお力のある方か、精霊でもよほどびんかんな精霊でないと、同化の進んだ悪魔憑きは気配だけでは見分けられません。ただ悪魔憑きにも、目に見えるとくちようはあります」

「どんな?」

「胸元に悪魔との『契約印』があるのです。逆さまになった、黒い蝶の印です」

 黒い蝶は悪魔の遣いなのだと、ロア君は言った。

 そういえば薬屋のレオンさんも、「黒い蝶はなにかの遣いだった気が……」と呟いていたわ。八人目の行方不明者が黒い蝶を追いかけていたことからも、事件が悪魔絡みだと判断されたようだ。

「それと、悪魔憑きは体内に悪魔の『気』が流れているため、体が冷たいのです。……悪魔に温度は、ありませんから」

 ロア君は自身の掌に視線を落とす。そのため悪魔憑きは普段、ぶくろなどで不自然なまでに手を隠したり、人と触れ合うのをきよくたんに避けたりするそうだ。

 冷たい体。

 胸元の黒い蝶。

 人との接触を避ける。

 ドクリと、嫌なふうに心臓が脈打つ。頭の中でロア君の言葉が巡るが、一部だけもやがかかってはっきりしないような、そんな気持ち悪さにう。あと少しでなにかに気付きそうなのに……気付いてしまっては、いけない気もして。

「この国に悪魔がのさばった二つ目の要因はですね……っと、だ、大丈夫ですか!? スーリア様!」

「え……?」

「顔色が悪いです! こ、こんな話を一気にされたら、ご気分も悪くなるかと……たんりよでした。残りは別の機会にして、もう退出します……!」

「ちょ、ちょっと待って!」

 そそくさと出ていこうとするロア君の手首を咄嗟につかんで引き留める。

「わ! て、手が……! あの、は、放して頂けると……!」

「あ、ごめんなさい」

 音を立ててふつとうしそうなほど、ロア君は耳まで顔を紅潮させた。少し触れただけでここまでな反応をされると、こちらが照れる。

 ロア君の乙女度、私より高くて困るわ。

「私は平気よ。話の続きは今聞くわ。ロア君の時間が許すなら」

「ぼ、僕もまだ大丈夫ですが……」

 まだ顔に赤みを残したまま、ロア君はクッションに座り直す。そしてコホンとせきばらいして、彼は続きを話してくれた。

「え、えっとですね、悪魔がくにに入り込み、事件を起こすのを許してしまった二つ目の要因なのですが……それは、今が聖鐘節であることが関係しています」

「聖鐘節が? なぜ?」

「……これは精霊姫様の『本当の役割』に関することなので、本来ならば、使徒長様からお話しすべき内容なのですが」

『貴方なら、精霊姫の本当の役割をきちんと果たせるはずです』

 そうみを浮かべた、マリーナさんの尊顔が脳裏を過る。

 あの時は疑問を抱いたまま終わったが、存外早く、ロア君の口から聞けるようだ。

「そもそもなぜ、精霊姫が精霊女王と謁見するのが三年に一度なのか。それはその周期で、女王の『けがれ』がまってしまうからなのです」

「穢れって……?」

「『悪い気』のようなものだと、思って頂ければいいかと。女王はそのだいなお力で、がナーフ王国を守護してくださっておりますが、それはえれば様々な悪い気が国内に蔓延はびこる前に、女王が一身に引き受けておられるということです。女王とて力を使えばへいし、けきれない穢れが少しずつ溜まります。……その溜まった穢れを祓うのが、精霊姫の本当の役割なのです」

「女王の穢れを祓う……」

「文言や剣舞は、清めの儀式のいつかんです。故に精霊姫は、霊力の強さ、性格、身分などをこうりよした上で、霊力にじようの素質がある方が選ばれます。けいこう的に、水の精霊と相性のいい精霊使いは、その素質を宿している者が多いですね」

 水は穢れを洗い流す──水の精霊は元より、浄化の力が強い生き物らしい。

 歴代の精霊姫も、水の精霊と交流をはかっていた方が大半なのだそう。そういえばマリーナさんも、ちゆうるいっぽい水の精霊と仲良しだったわ。

 ……ウォルにそんな力があるとは、とても想像できないけど。

 穢れを綺麗にするより、お菓子の皿を綺麗にする方が上手だと思うわよ、あの子。

「ここまでの話で、精霊姫様のお役目はご理解頂けたでしょうか?」

「ええ、わかったわ……なぜ聖鐘節だと、悪魔が暴れやすくなるのかも。穢れが溜まると、女王の加護も弱まるのでしょう? そのすきを、悪魔がねらうわけね」

「その通りでございます! 精霊姫様が女王にお会いするまでの準備期間である、聖鐘節。それは別の見方をすれば、穢れが溜まり祓われる前、女王の力が最も弱い間を指すのです。しかしこのことを知るのは、教会の者でも限られた一部。それと、歴代の精霊姫様だけです。此度の事件は、今月、聖鐘節の期間に入ってから起こりました。最初はぐうぜんかと思いましたが……悪魔憑きが関わっているとなると、話は変わります」

「意図的に、悪魔憑きは聖鐘節の期間に事件を起こした……?」

 それはつまり。聖鐘節に女王の力が弱まると知る者──教会に関連する人物と、犯人の悪魔憑きは繫がっている、ということになる。

「疑いなど持ちたくはありませんが……。悪魔憑きに情報を漏らした存在は確実にいます」

「……その犯人の悪魔憑きは、精霊使いを何人も誘拐して、なにをしたいのかしら?」

「考えられるのは……なにかしらの儀式です。身の内の悪魔の力を使い、より大きなことをすための儀式。攫われた精霊使いの方々は、おそらくそのいけにえです」

 不穏な単語に背筋が冷える。

 それって救出がおくれたら、行方不明者の命が危ない、ってことよね?

「現在は、悪魔憑きによる犯行という新たな線で、調査を見直しております。ですが急がなくては。満月の夜が近いのです」

「満月?」

「悪魔は月の光を力に変えます。太陽の光を好む、精霊とは真逆です。もしこの考察が正しく、悪魔憑きが儀式を行うのなら、次の満月の夜が最も可能性が高いのです」

 リック君の情報でも、行方不明者が消えたのは月明かりの強い夜だった。

 今日の月は雲間に潜んでいる。だけど満月の日にあの雲が晴れ、強い月明かりが地に降り注いだら──。

 ロア君は、ぎゅっと小さなこぶしを握る。

「──悪魔の儀式を成功させるなど、精霊女王のもとで許すわけにはいきません。必ず儀式をし、攫われた方々を無事に助け出します。そして犯人の悪魔憑きはらえ、女王のもとにひざまずかせます。それが、教会の使徒である僕の使命です」

 藍色の瞳に、強固な意思の輝きが宿る。

 幼い顔立ちに急に男らしさが生まれ、不覚にも私はドキリとしてしまった。

 ロア君、可愛いのにカッコいいとか、将来有望すぎて心配になるわ。天然タラシに成長しないといいけど。

「スーリア様も月明かりの強い夜は、どうか十分に注意されてください。……といっても、精霊姫様と護衛騎士様には、女王の加護がされていますので、悪魔憑きに狙われることはないかと。弱まっているとはいえ、女王が自ら施した、聖鐘節の間だけの特別な加護です。普段は感じられないかもしれませんが、女王の力がスーリア様や騎士様に働いているはずです」

「レイスにも……?」

「はい。しかも騎士様には、精霊水晶までお渡ししております。あの水晶は、霊力を溜められるだけでなく、悪魔の力もふうじられるすぐれものです。聖鐘の森に広がる泉の底から取れ、女王の宝剣のそうしよくにも使われております。あれも聖鐘節の間しか効果が発揮されませんが、とっても貴重なんですよ!」

 ほこらしげに胸を張ったかと思えば、次いでロア君は難しい顔で「おじい様があの水晶を騎士様に渡された理由は、たぶん……事件をして、騎士様がスーリア様をお守りする助けになるように、だと思うのですが……」と、ボソボソと呟く。自分で言っていて、その理由がしっくりきていないふうにも見える。

 あと独り言だからか、おじい様呼びに戻っているわよ、ロア君。

「と、とにかく、教会のしんにかけて、事件の解決を必ずやお約束します。──それでは、夜分に失礼致しました」

 話が終わると、ロア君は素早く退出した。「もう、今日はまっていく?」とからかって、最後に彼をりん色にして遊んだのは、可愛い年下をいじりたくなる私の悪い癖だ。不穏な話で不安になり、誰かに傍にいてほしくて半ば本気で言ったことは……胸の内にっておこう。

 ……でも、どうしてかしら。パタリとドアを閉じ、一人きりになった部屋で思い浮かんだのは、いつかのレイスの冷たい赤の瞳だった。

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