その④


「スーリアさん、今日の特訓はこのくらいにしておきましょう」

「え……もう終わりですか?」

「はい。まだあらいところはありますが、今日は肩の力が抜け、だいぶ動きが洗練されていました。この調子なら、無理せずとも予定通り仕上がりそうです」

 淡い黄色の瞳を弓なりに細め、マリーナさんは手を叩いて終了の合図をした。

 私は宝剣を放り投げて喜びそうになり、かろうじてこらえる。ふふっと小鳥のさえずりのような声をこぼすマリーナさんは、本日もお淑やかだ。さっきまでは鬼畜だったけど。

 真っ白な床が広がるだけの殺風景な空間で連日行われた特訓も、そろそろしゆうばんかしら。

 私は剣を片付けたあと、乱れた軽装を直した。あせで顔に張りつく金茶の髪をはらえば、マリーナさんの細い指に目が留まる。

「あの、マリーナさん、その指輪……」

「ま、まあ、気付いちゃいました?」

 マリーナさんの薬指には、一昨日まではなかった、黄水晶シトリンを加工した指輪がまっていた。貴族であるマリーナさんには、些か安い造りのようにも感じるが、彼女の瞳の色をほう彿ふつさせる石は似合っていててきだ。

「もしかして、恋人からとかですか?」

「……そう、なんです。実は先日、頂きまして」

 ほのかに頰を染めるマリーナさん。用事とは恋人さんとの約束だったのか。

 じらいながらも隠しきれない喜びを表す様子が、普段と違って乙女感たっぷりで……なにかしら、マリーナさんがすごく可愛いわ。

「お相手も貴族の方ですか?」

「いいえ。他国で知り合った教育者の方です。実は私はこの『せいしようせつ』に入り、精霊姫の指導係として呼ばれるまでは、勉学のために他国に出ておりまして」

 精霊姫が選ばれ、女王と謁見が許される日。その定められた日までの準備期間を、この国では『聖鐘節』と呼ぶ。今はその真っただ中だ。

「年上で目の不自由な方なのですが、彼も故郷はこのナーフ王国だそうで、話が合って仲が深まり……私が国に戻る際、彼もこちらへ来てくれたのです。私は貴族の身でありながら、姉さま方のようにこんやくしやを作らず、ままを通して好きな勉学に打ち込んでまいりました。そして精霊姫の役割を終えたあとに、すぐに他国へ出たのです。こんな勝手な娘の連れてきた相手を、家族は気に入り、皆が祝福してくれました」

「それならよかったです。お相手の方も、きっとらしい方なんですね」

「はい」と、マリーナさんは花がほころぶように微笑む。

 それが本当に幸せそうで……私は少しだけ、そんな相手のいるマリーナさんをうらやましく感じた。私の恋心は、幼少期に呼吸を止めたままだから。

しつけな質問かもしれませんが、スーリアさんにはしたうお相手はいらっしゃいますか?」

「いや、いないです。これっぽっちも」

「あら、そくとう

 ストロベリーブロンドの長い髪を揺らして、マリーナさんが困ったように眉を下げる。

「私はてっきり、あの騎士様とそういった仲なのかと……おさなみだと聞いていたので」

「驚くほど違います! 幼馴染みなのは本当ですがそれだけです!」

「そ、そうなのですか? 失礼致しました。騎士様はスーリアさんが特訓で苦心されているご様子を、よく心配そうに見ておられましたし、愛されていらっしゃるなと……余計なかんりをしていました」

「それは気のせいです。愛されているとかあり得ません。大体、アイツは私のこと……」

 遠い日の情景がよみがえり、私は服のすそを強くにぎった。

 だってアイツは私のこと……『大嫌い』って、言ったもの。

「……スーリアさんになら、きっとよいお相手が見つかりますよ。なんといっても、私の特訓にめげずについてくる、がいのある方ですからね」

 じようだんめかして笑うマリーナさんは、私とレイスの複雑な関係を察し、触れずに流してくれたのだろう。その気遣いが有り難い。

 マリーナさんはそっと指輪をひとでし、えるように背筋を伸ばした。

「失礼を承知で申し上げますと、最初はなぜ、スーリアさんが精霊姫に選ばれたのか疑問でした。貴族や教会の使徒でもなければ、特筆して霊力が高いわけでもない。どうしてこの方が、と」

「それは……実は私も、いまだに不思議なんです」

「ですが今日までの貴方を見て、貴方はとても精霊に好かれている……そう感じました。スーリアさんのその心の強さが、精霊たちには心地よいのでしょう」

「そ、そんなことは……」

 以前にも旦那様に似たようなことを言われたが、過大評価な気がする。ウォルとは特別仲はいいけど……他の精霊たちにもそんなしたわれているかしら、私。嫌われてはいないくらいだと思うんだけど。

「そんな貴方になら、『精霊姫の本当の役割』をきちんと果たせるはずです」

「本当の役割って……精霊姫は精霊使いの代表として、儀をおこなうだけではないということですか?」

「もっと大切な役割があるのですよ。でもそれは、使徒長様からお聞きした方がいいです。会えたら必ず教えてくれるでしょう。まあ、その理由だけで例外的に選ばれたというのも、まだなつとくのいかない部分があるのは確かですが……」

 最後の方は、ほとんどマリーナさんの独り言のようだった。このあたりで立ち話は終わりにし、最後に互いに礼をして、本日の特訓は正式に終了となった。

 精霊に好かれている、というふわっとした要素はひとまずおいといて。私が精霊姫に選ばれた理由、それに精霊姫の本当の役割って……一体なんなのかしら。


「スー、スー! 夜ご飯のデザート、いちごのパイだったね! おいしかった、わけてくれてありがとー!」

「よかったわね、ウォル」

「でもボクは、スーの作ったパイの方が好きだよ。早く領に帰って食べたい!」

 嬉しいことを言ってくれるウォルの、ざわりのいい水色の毛を撫でる。私の肩口くらいの高さでふよふよ飛んでくれるので、非常に撫でやすい。

 どこもかしこも、一点のくもりもない白に統一された教会内。

 視界を過る円柱には蔦模様が彫り込まれ、ぐるりと金のくさりが巻かれている。鎖からさげられているのは小さな鐘だ。王都内もそうだったが、至るところ鐘だらけ。それは精霊女王への敬意のあかしなのだろう。

 私たちは今、そんな教会の食堂で夕食を終え、かいろうを歩いて部屋に戻る途中だ。

 完全に空気と化しているが、私たちの後方にはレイスもいる。外出した翌日から彼の護衛体制は強化され、夜はこうして部屋まで送り届けられるようになった。月明かりの強い夜に起こるという、精霊使い行方不明事件を案じてのことだろう。

 教会内でめつなことは起きないと思うが、職務すいこうには存外忠実な奴だ。

「領のみんなは元気かしらね。旦那様はウォルに会いたがっているんじゃない?」

「そうかな? でもボクは、会えたら嬉しいけど、別に会いたいとは思わないよ!」

「……ウォル、あのね。旦那様に会ったら、うそでも『離れていて寂しかった、早く会いたかったよー!』って言うのよ。人間にはね、社交辞令というものが存在するの」

「ボクにはよくわかんない!」

「ちゃんと言えたら、旦那様がお菓子をいっぱいくれるわ」

「じゃあ言う!」

 そんな軽口をウォルとわしつつ足を進めていたら、私たちの部屋のある階についた。レイスも護衛なので同じ階だ。ウォルはおなかいっぱいでねむいのか、欠伸あくびを零して姿を消してしまう。

「夜は絶対に、勝手に外へは出るなよ」

「……子どもじゃないんだから、そう何度も言わなくてもわかっているわよ」

 私の部屋の前で別れる際、レイスは強い口調で言い残していった。最近は毎日のように同じことばかり念を押されている。

 年下のくせに。子ども扱いはやめてよね。

 くされた気分で部屋に入ると、開けっ放しだった窓から夜風が入り込み、カーテンがせわしなくはためいていた。冷えるので閉めておこうと歩み寄るが、窓の外に広がる光景に、私はかんたんの息をらす。

 ピンクの花が咲き乱れる中庭は、雲で月がかげうすやみに包まれている。

 その中で、黄色い光をつばさに纏う小鳥たちが五、舞うように飛んでいた。

 羽ばたくたびに光のりゆうが散って、やみいくもの星を産む。点の星は線になり、光のどうを描いては消えていく。それはとてもげんそう的な光景だった。

 彼らは光の精霊だ。

 だが通常なら光の精霊たちは、夜はその形をひそめていることが多い。精霊は元々、太陽の光を好む生き物だ。光の精霊たちは特に陽の光を力とするので、昼間にしか人前には現れない。

 そんな彼らが、夜につどい舞をおどる時──それは、死者へのとむらいを意味する。

「あの子たちと、仲のよかった精霊使いがくなったのね。……今日が命日なのかしら」

 ここで踊っているということは、教会の使徒だった人間だろうか。こうして彼らがちんこんの舞をささげているくらいだ、よほど親しいあいだがらだったとみえる。

 アルルヴェール領で一度、きんりんに住んでいた精霊使いのさんかいにこの舞を見たことがあったが、何度見ても綺麗だけどどこか物悲しい。

 私は瞼を下ろして、静かにもくとうを捧げた。

 そして瞳を開けば、耳に入ったのはひかえめなノックの音。

「誰かしら……?」

 夜中、というにはまだ早い。レイスがなにか伝え忘れたのかもと、念のためにドアのすきから人物を確認する。予想に反して、相手はレイスではなかった。

「ロア君……?」

「夜分に申し訳ありません、スーリア様」

 白いローブ姿で、私より背の低いロア君が、ドアの向こうで深々と頭を下げた。

 サラサラの金髪が、丸みを帯びた愛らしい頰にかかる。

「スーリア様にお話ししておきたいことがあり、うかがいました。とても重要なことです。なくも例の事件の対処に追われ、時間が今しか取れず、どうか急な訪問をお許しください。スーリア様さえよろしければ、その……」

 ロア君が落ち着きなく瞳を泳がせる。部屋の中をチラチラ見ていることに気付き、私は体を横にズラした。

「いいわよ、入って」

「も、申し訳ありません! や、夜分に女性のお部屋に……し、失礼致します!」

 部屋の中心に広がる丸いカーペットの上に、銀糸で花がしゆうされたクッションを置き、そこにロア君に座ってもらう。縮こまるロア君の前に、私も同じように腰を落ち着けた。

「それで、話というのは?」

「は、はい。大切なことばかりで、どれから話すべきか……」

 緊張したおもちで床を睨んでいたロア君は、やがて改まった表情で顔を上げた。

 清廉な輝きを放つ藍色の瞳が、私を真正面からえる。

「単刀直入にお聞きします──スーリア様は、『悪魔』という人ならざる者の存在をご存じでしょうか?」

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