その④
「スーリアさん、今日の特訓はこのくらいにしておきましょう」
「え……もう終わりですか?」
「はい。まだ
淡い黄色の瞳を弓なりに細め、マリーナさんは手を叩いて終了の合図をした。
私は宝剣を放り投げて喜びそうになり、
真っ白な床が広がるだけの殺風景な空間で連日行われた特訓も、そろそろ
私は剣を片付けたあと、乱れた軽装を直した。
「あの、マリーナさん、その指輪……」
「ま、まあ、気付いちゃいました?」
マリーナさんの薬指には、一昨日まではなかった、
「もしかして、恋人からとかですか?」
「……そう、なんです。実は先日、頂きまして」
ほのかに頰を染めるマリーナさん。用事とは恋人さんとの約束だったのか。
「お相手も貴族の方ですか?」
「いいえ。他国で知り合った教育者の方です。実は私はこの『
精霊姫が選ばれ、女王と謁見が許される日。その定められた日までの準備期間を、この国では『聖鐘節』と呼ぶ。今はその真っただ中だ。
「年上で目の不自由な方なのですが、彼も故郷はこのナーフ王国だそうで、話が合って仲が深まり……私が国に戻る際、彼もこちらへ来てくれたのです。私は貴族の身でありながら、姉さま方のように
「それならよかったです。お相手の方も、きっと
「はい」と、マリーナさんは花が
それが本当に幸せそうで……私は少しだけ、そんな相手のいるマリーナさんを
「
「いや、いないです。これっぽっちも」
「あら、
ストロベリーブロンドの長い髪を揺らして、マリーナさんが困ったように眉を下げる。
「私はてっきり、あの騎士様とそういった仲なのかと……
「驚くほど違います! 幼馴染みなのは本当ですがそれだけです!」
「そ、そうなのですか? 失礼致しました。騎士様はスーリアさんが特訓で苦心されているご様子を、よく心配そうに見ておられましたし、愛されていらっしゃるなと……余計な
「それは気のせいです。愛されているとかあり得ません。大体、アイツは私のこと……」
遠い日の情景が
だってアイツは私のこと……『大嫌い』って、言ったもの。
「……スーリアさんになら、きっとよいお相手が見つかりますよ。なんといっても、私の特訓にめげずについてくる、
マリーナさんはそっと指輪を
「失礼を承知で申し上げますと、最初はなぜ、スーリアさんが精霊姫に選ばれたのか疑問でした。貴族や教会の使徒でもなければ、特筆して霊力が高いわけでもない。どうしてこの方が、と」
「それは……実は私も、いまだに不思議なんです」
「ですが今日までの貴方を見て、貴方はとても精霊に好かれている……そう感じました。スーリアさんのその心の強さが、精霊たちには心地よいのでしょう」
「そ、そんなことは……」
以前にも旦那様に似たようなことを言われたが、過大評価な気がする。ウォルとは特別仲はいいけど……他の精霊たちにもそんな
「そんな貴方になら、『精霊姫の本当の役割』をきちんと果たせるはずです」
「本当の役割って……精霊姫は精霊使いの代表として、儀を
「もっと大切な役割があるのですよ。でもそれは、使徒長様からお聞きした方がいいです。会えたら必ず教えてくれるでしょう。まあ、その理由だけで例外的に選ばれたというのも、まだ
最後の方は、ほとんどマリーナさんの独り言のようだった。このあたりで立ち話は終わりにし、最後に互いに礼をして、本日の特訓は正式に終了となった。
精霊に好かれている、というふわっとした要素はひとまずおいといて。私が精霊姫に選ばれた理由、それに精霊姫の本当の役割って……一体なんなのかしら。
「スー、スー! 夜ご飯のデザート、
「よかったわね、ウォル」
「でもボクは、スーの作ったパイの方が好きだよ。早く領に帰って食べたい!」
嬉しいことを言ってくれるウォルの、
どこもかしこも、一点の
視界を過る円柱には蔦模様が彫り込まれ、ぐるりと金の
私たちは今、そんな教会の食堂で夕食を終え、
完全に空気と化しているが、私たちの後方にはレイスもいる。外出した翌日から彼の護衛体制は強化され、夜はこうして部屋まで送り届けられるようになった。月明かりの強い夜に起こるという、精霊使い行方不明事件を案じてのことだろう。
教会内で
「領のみんなは元気かしらね。旦那様はウォルに会いたがっているんじゃない?」
「そうかな? でもボクは、会えたら嬉しいけど、別に会いたいとは思わないよ!」
「……ウォル、あのね。旦那様に会ったら、
「ボクにはよくわかんない!」
「ちゃんと言えたら、旦那様がお菓子をいっぱいくれるわ」
「じゃあ言う!」
そんな軽口をウォルと
「夜は絶対に、勝手に外へは出るなよ」
「……子どもじゃないんだから、そう何度も言わなくてもわかっているわよ」
私の部屋の前で別れる際、レイスは強い口調で言い残していった。最近は毎日のように同じことばかり念を押されている。
年下のくせに。子ども扱いはやめてよね。
ピンクの花が咲き乱れる中庭は、雲で月が
その中で、黄色い光を
羽ばたく
彼らは光の精霊だ。
だが通常なら光の精霊たちは、夜はその形を
そんな彼らが、夜に
「あの子たちと、仲のよかった精霊使いが
ここで踊っているということは、教会の使徒だった人間だろうか。こうして彼らが
アルルヴェール領で一度、
私は瞼を下ろして、静かに
そして瞳を開けば、耳に入ったのは
「誰かしら……?」
夜中、というにはまだ早い。レイスがなにか伝え忘れたのかもと、念のためにドアの
「ロア君……?」
「夜分に申し訳ありません、スーリア様」
白いローブ姿で、私より背の低いロア君が、ドアの向こうで深々と頭を下げた。
サラサラの金髪が、丸みを帯びた愛らしい頰にかかる。
「スーリア様にお話ししておきたいことがあり、
ロア君が落ち着きなく瞳を泳がせる。部屋の中をチラチラ見ていることに気付き、私は体を横にズラした。
「いいわよ、入って」
「も、申し訳ありません! や、夜分に女性のお部屋に……し、失礼致します!」
部屋の中心に広がる丸いカーペットの上に、銀糸で花が
「それで、話というのは?」
「は、はい。大切なことばかりで、どれから話すべきか……」
緊張した
清廉な輝きを放つ藍色の瞳が、私を真正面から
「単刀直入にお聞きします──スーリア様は、『悪魔』という人ならざる者の存在をご存じでしょうか?」
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